第2部 対談 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

Newsletter
ニュースレター

第2部 対談

「日本の感染症対策は万全か?-HIV感染症から新型インフルエンザまで-

岩﨑 惠美子 × 伊藤 雅治

司会:特定非営利活動法人 ネットワーク医療と人権 理事 花井 十伍

「感染症の専門家」を育てる

花井:
 それではディスカッションに入っていきたいと思います。ここまで非常に多様なお話があって、どこを掘るかというのは非常に司会としても悩ましいところなんですが、まず大枠としてエイズのお話がありました。エイズも今や第5類感染症になって、かなり重篤性も感染力も弱いという整理になっているし、結核は第2類感染症、エボラ出血熱みたいなものは第1類と、いろいろとやはり感染力と重篤性によって対策が整理されているわけです。
 まず、一般論というか大枠のところで、岩﨑さんの方から、かなり日本の感染症対策というものの不備が指摘されたと思います。その中で、「感染症の専門家っているのか」という問いかけがあったと思うんですけれども、例えば、諸外国では専門家というのはこういうふうに育成されている、というのがありましたら、それを岩﨑さんにお尋ねしつつ、伊藤さんの方からは、日本において公衆衛生の専門家というと、一義的には行政官だと思うんですけども、行政官の中でそういう専門家というのはどのように育成されているのか、というところで、ちょっとご意見があったらお聞きしたいんですけど、いかがでございましょう。

岩﨑:
 日本のように、ウィルス学、あるいは細菌学の専門家が感染症の専門家ということはありません。やっぱり臨床家が感染症は中心になっています。日本の場合は、内科だとか、小児科だとか、そういう立場で話をしたりすることがほとんどですけれども、やっぱり臨床的な知識のある方がきちんと言っているということは、「病原体の種類だとか、強さだとか、そういうことも問題だけれども、罹った人がどういうふうにして罹り、どういう行動をとるかということが、感染症には大きい因子として関係している」ということが、しっかり行き渡っているということですよね。だから、内科なら内科の先生が、肝炎なら肝炎のことをきちんと知っている臨床の先生方が、予防から全部考えるという形です。

花井:
 ということは、感染症対策として、いわゆる公衆衛生的な意思決定をする時に、そこに臨床家が中心になって関わっている、という理解でよろしいですか。

岩﨑:
 私はそういうふうに意識しています。

花井:
 そうすると、伊藤さん、日本の場合、その辺はどうですかね。一般的に行政官がやっていると思うんですけども。

伊藤:
 私も現役時代にそういったことを提案したことがあるんですが、実現しませんでした。日本の感染症対策は、非常に細かいところまで、厚生省、厚生労働省の行政官がいろんな采配を振るう形になっているんですね。一方、アメリカなんかでは、例えばCDC(米国疾病予防センター)を見てみると、日本で言うところの厚生労働省、つまり本省がやっていることの非常にたくさんの部分を、行政の仕事も含めてCDCが自分たちでやっています。ですから、日本もぜひそういう形にして、本当に中央官庁がやるべきなのは、法律を作るとか、ごく限定された仕事にして、現場の感染症のサーベイランス(調査)ですとか、それから蔓延防止対策ですとか、どういう治療体制にしていくか、というあたりは、国立感染症研究所に大幅に権限を委譲する、ということも現実的な選択の一つだと思います。しかし、日本ではそれがなかなかできません。これは今でも僕は課題だと思っています。
 それから、もう一つは、先ほどの岩﨑さんの話と関連するんですが、本当に私たちのような行政官が細かいことまでやっていいのか、ということがあります。例えばCDCには、そういう専門の育成コースがあるんですね。だから、行政官や都道府県の職員をそういうところに派遣をして人材を養成するという、そういう制度も作ったんですが、本当にわずかな人しか応募してこなくて、なかなかそういう体制ができませんでした。これが現実です。ですから、感染症対策として岩﨑さんがやった仙台方式のようなことをやっていくためには、ウィルス学や細菌学の専門家じゃなくて、感染症対策の専門家というものを、やっぱりきちっと養成していくということが必要だと思います。

花井:
 なるほど。いわゆる養成する枠組み自体もないことはないけれども、そういうものを活用できていない、という感じですかね。

伊藤:
 これは、中央官庁だけの問題ではなくて、都道府県レベルにも、そういう人材が必要だと思うんですね。ですから、やはりそういう人材養成コースは必要だと思います。国立感染症研究所が作るのか、国立保健医療科学院が作るのか、いずれにせよ、それはやっぱり国としてやらなければいけないと思います。

日本におけるインフルエンザ対策の課題

花井:
 新型インフルエンザ騒動の時に、舛添さんが「水際作戦」とか極めてナンセンスなことを言っていて、メキシコから一晩でカナダに飛ぶような感染症を水際でどう防ぐのかとか、いろいろ批判があったと思います。岩﨑さんは、地方行政に関わって、先ほど仙台方式のお話の中で、そういう国の方針とは違うことをやって、いろいろ軋轢があったとおっしゃいましたけど、その軋轢とはどういうものですか。本省の方から、「なんでうちのアジェンダ(政策)を守らないんだ」という、そういう圧力がかかるという感じなんですかね。

岩﨑:
 それもちょっとありましたけれども、やっぱり感染症というものをどう考えているのか、ということです。特にインフルエンザですよね。インフルエンザというものがどういうものであって、その対策にはどういう方法がいいかという、私には自分の中の確たる信念がありましたから、それに沿ってやりました。私はその説明に、本省に何回も行きました。そういう意味では、「違うことをやる」ということを「足並みを揃えない」というふうにとられたことも事実でしたし、同じ仙台の医師会の先生方も「これでいいんだろうか」という不安を持ち、私が「これはインフルエンザなんだから、これでいいんだ、いいんだ」と言っても、最初はなかなかなびいてくれなかった、ということもありました。また、「たとえウィルスが変異しても、発生するのはインフルエンザなんだ」ということをずっと言い続けている獣医さんが一人、北海道大学の先生におられまして、その先生を何回も連れてきて、先生方の前でお話をしていただいたり、そういう意味では、ずいぶん回り道をしなければならなかった、というのは事実だったと思います。ただ、最終的には、感染症課の課長さんに「先生が責任をとられるなら」ということを言われて「分かりました」という、そういう感じで、もう強引に進めました。役所というのは、やっぱり責任というものをすごく気にしますよね。これは中央官庁だけではなく、自治体なんかでもやっぱりそうです。私は市の中でも、「何か起こった時にはどうするのか」ということをいろいろ言われました。ただ、私はこと感染症に関しては自分なりに自信があった、と言ったらおかしいですけど、そんなに無茶な格好で広がったりするようなことはない、広がり方には一定のルールがある、ということを信じていました。「強引に進めた」といえば、そういうことになりますけども。

花井:
 日本のインフルエンザ対策というのは、傍から見ていると、結構右往左往しているように見えます。ワクチンを買って余らせたりとか、輸入するとかしないとか、なんか結構些末なところでやっているように見えて、やはり現状のインフルエンザ対策は万全と言えるかというと、そうじゃないと思います。伊藤さんは、何がいちばん問題だというふうに考えておられますか。

伊藤:
 いろいろあると思いますけれども、やっぱりシーズンが到来する前にきちっと必要なワクチンの量を確保して、そしてその予防接種を徹底的に進めるということ。それから、今はかなり難しくなってきているのかもしれませんけれども、私がまだ厚生省にいた頃は、翌年の流行株の予測というものをやっていたわけですね。日本の場合は、シーズンの終わりに流行した株が翌年の日本での流行株になるという、そういう経験則に基づいて翌年の流行株を予測して、3種類くらいの混合ワクチンを作る、という形になっていました。それが今はどうなっているのか。
 それと、もう一つは、岩﨑さんがやったような、感染した人の治療体制をどうとっていくか。そういうことが基本になると思います。ですから、その辺のところをバシッとやれればいいんですが、あまり細かいことをどうこう、という話になると、たとえ地方自治体の方が「フレキシブルに対応できますよ」と言っていても、首長さんにとっては「自分の判断で」というより、何か質問が出た時に「いやいや、厚生省からこういう指示が来ているんですよ」と言えた方が非常に楽なんですね。逆に私が厚生省にいた経験から言うと、いろいろ自治体の要請を聞いているうちに、細かいルールを作らざるを得ないところに追い込まれていくという、そういう一面もまたあるわけです。それは、やっぱり現場にきちっとした専門性のある指揮官がいない、というところに根本的な問題があるんじゃないかなと思います。感染症というのは、事態の推移に柔軟に対応して判断をしていく、という要素が非常に強いわけですから、全てマニュアル通りに、機械通りにはいかないという前提でどうするか、というふうに考えないといけないと思います。

花井:
 自治体は「なんか本省がうるさいことを言って『予算をつけたから言うことを聞け』とか言うから、自治体としては言うことを聞かないといけないんだ」と文句を言い、今伊藤先生がおっしゃったように、本省の立場からは「自治体から『何から何までルールを作ってくれ』と言われるから、仕方なくやっているんだ」という意見もありましたけれども、基本的に感染症法は、かなり権限が知事に割譲している、という法律体系ですよね。

新型であろうとインフルエンザはインフルエンザ

花井:
 よくインフルエンザで議論になるのは、先ほど仙台方式のお話がありましたけれども、普通に考えれば、合理的な話にならない一つの理由として、例えば指定感染症化したら、今度は指定感染症が診られる医療機関と診られない医療機関に分かれて、下手に診断を確定してしまうと、「この医療機関では扱えない」とか、そういういろいろな事情が出てきてしまって、1類と分かったウィルスを分離したら、「それはどこで分離できるのか」とか「分離しなければ、それは『疑い』だからいいのか」というような、「疑い」か「患者」かみたいなところで、僕らから見ているとちょっと分かりにくいところもあるんですけど、この辺の整理というのは、実際現場ではどうなんですかね。例えば、新型インフルエンザと分かった患者さんを診療所で診るのは違法なんですかね。

岩﨑:
 いえ、だって診てしまいますよね。具合の悪い患者さんが来れば、お医者さんはみんな診てしまうんですよ。だから、そういう意味では、内科の先生とかも、新型であろうが旧型であろうが、インフルエンザを実際はそんなに怖がっているわけではないと私は思うんです。ただ、そういうふうに規定して、こういう施設でなければ診てはいけない、とかと言われると、そういうところからは手を引こうという・・・

花井:
 なんかそういうムードがありますよね。

岩﨑:
 はい。

花井:
 「指定感染症に指定したんだから、それは指定感染症でしょう」と。

岩﨑:
 完全にそうだと思います。だから、実際に「疑い」なのか「患者」なのか分からなければ、結局お医者さんは診てしまうものなんです。私なんかは「先生、診ましょうよ」という感じで実は仕切ったわけですけれども、本当にそういう意味では、仙台は政令指定都市ですから、市長の権限というのが結構強いんですね。だから、私も副市長としてだったからそれが可能だったのかもしれないなと、今になってみると思います。市長も「いいんじゃないの」という感じだったので、「やっぱりそうなのかな」という感じはします。ただ、国の対策にしても市の対策にしても、国の言うとおりにやっていれば責任はそっちにいきます。じゃあその国は、というと、「WHOが言っている通りにやれば」という感じで、逃げ腰なんですね。そういうふうなところが、私はやっぱり今の感染症の対応をしている人たちの中にはちょっと見えるような気がします。だから、何度も繰り返しますが、WHOが出している指導や勧告は途上国に向かって出しているものなのに、それを全部自分たちがやらなければいけないような感じで思っているこの国の人たちに対して、私はとても不満に思います。

花井:
 WHOは、日本では結構「WHO様」というか、そういうところがあると思うんですけれども・・・

岩﨑:
 非常にそうですね。権威があるというか。

花井:
 伊藤さんは行政をやっていて、そういうところというのはいかがでしょうか。やっぱり世界の情勢というものは大きいと思うんですけども。

伊藤:
 ですから、一口に新型インフルエンザと言っていますけれども、今いろいろ「こういうふうにしなさい」と想定されているものは、本当に毒性が強くて、バタバタ人が死んでいくような、そういう前提で作られていると思うんですね。「新型といえどもインフルエンザなんですよ」と岩﨑さんが強調されていますけど、実際はやっぱりシーズンの初めに患者さんが出てきた時に、そのウィルスの毒性を確認して、人が次から次へとバタバタ死ぬようなものではなかったら、またそれに適応した対応をするというのが基本原則だと思うんです。
 これは、まだ私が厚生省の保健医療局長だった時の話ですが、本当に強毒性の新型インフルエンザが出た時に、アメリカならどういう対応をするかといえば、例えばワクチンの接種は、軍の維持と治安をまず優先して、軍人と警察官に対して第一次優先順位で予防接種をやるんですね。お年寄りとか子どもは後回し。日本でそういうことを行おうとすると、必ず「子どもやお年寄りは死んでもいいと言うのか」という、そういう議論になるわけです。ですから、そういう事態を想定した時のこともきちっと考えておかなければいけないけれども、仮に新型であっても、そんなに今までのインフルエンザと変わらないようであれば、病原性なり流行の実態に合わせた対応をすればいいのであって、「新型だから、こうしなければいけない」という考え方自体が、僕はおかしいんじゃないかと思います。

花井:
 ありがとうございます。「トリアージ(注1)」なんていう考え方が、救急外来でアクセプトされてきたのは最近ですよね。そういう意味では、時代とともに、そういうある種の合理性というものが政策に活きる、というふうになっているのかもしれません。


(注1)災害医療等において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること。

エイズ対策の現状

花井:
 では、インフルエンザの話から、今日の参加者はたぶんエイズ関係の人も多いと思うので、第5類感染症ではありますが、エイズ対策について、ちょっとお尋ねしたいと思います。医療の現場からすると、今は格段に薬が良くなっています。ただ、サーベイランスでいちばん最初に報告された患者さんの数は、僕の記憶では6人でした。それが今、年間1500人を超えているわけです。一方で、エイズ対策に対する政策的モチベーションというのは、6人と報告された時代より、1500人と報告されている現在の方が逆に下がっているように思うんですけど、その辺はどんなふうにお考えですか。

岩﨑:
 私も仙台にいた時に、エイズ対策に少し市として関わったことがあります。仙台の場合は、仙台医療センターがブロック拠点病院になっておりまして、そこの先生方が中心になって、ということでしたけれども、一般の人たちにとって見ると、相談する場所としては、やっぱり敷居が高いんですよね。だから、「もうちょっと町場で相談できるような場所を」ということで、そういうところをいくつか作ったり、検査所も作ったりはいたしました。ですけど、行政自体も、その対策に対してはあんまり力が入っていないというか、「えっ、それやるんですか」みたいなことを言われて、ちょっと驚いたことがあります。「面倒臭いこと」、地方行政ではそんな感じでしたね。だから、そういう意味では、よっぽど熱心にそういうことをきちんとやるような人がいない限り、やっぱりどうしても、今の流れから言ったらちょっと停滞している、停滞していってしまいがちだなと、私は地方で感じていました。

花井:
 人に依存している、ということですよね。やる気のある人がたまたま担当で行くと一生懸命やるところもあるけれども、その担当が変わってしまったら、急に何もやらなくなる。

岩﨑:
 そうだと思います。これはどんな部門でもそうですよね。「一生懸命やる人が誰か一人いないとやらない」という姿勢を、残念ながら私は感じています。

花井:
 伊藤さんは、どうでしょうか。先ほど「ACCの機能も役割も、時代とともに変わってくる」というふうなことをおっしゃったと思うんですけども、ACC設立から、すでにもう十数年が経っているわけです。政策の重点という面も含めて、エイズ対策の現状をどうお考えですか。

伊藤:
 薬害でHIVに感染した人の対策は、それはもうきちっとやっていかなければいけないなと思いますが、それに加えて、特に都道府県レベルにおいての同性愛者ですとか、青少年に重点を置いた普及啓発と、それから検査の体制。どこに行ったら検査を受けられるのかとか、感染した場合に、どこに行ったら相談・治療を受けられるのか。そういうことを、やはりきちんと県自体が中心になって、指定都市も含めて計画を作る。そして、その計画を作る時には、やはり行政だけで作るのではなくて、そういうものを利用する立場の人にも入ってもらって、一緒に計画策定をして、そしてそれをあらゆる手段を通じて普及させる。情報をきちっと必要な人に届けるような対策をやっていく。そういうことが今、非常に重要になってきていると思うんですね。ですから、昔の大騒ぎしていた頃のエイズ対策とは違う、本当に地道な対策が求められています。感染症がこれだけまだ増え続けているわけですから、そこのところは、県レベルから保健所レベルまで、きちっと対応していかなければいけないと思います。

本当の意味での「協働」

花井:
 ちょっと話が横に逸れるんですけど、エイズに関しては、特定感染症予防指針というものを定期的に策定して、それを実施する、というふうになっていて、それにもその辺のことはちゃんと書いてあるわけですよね。最近の行政の審議会とかの指針でよくあることなんですけども、法で定まって、そこでちゃんと指針として取りまとめてそれを各自治体に周知する。それでちゃんと正しいことが綺麗にまとまってできあがるんですけど、必ずしもそれが実施されずにたなざらしになる、というのが結構あるんですよね。こういうことは昔からあることなんでしょうけど、最近特に目に余るという感じがします。それは、行政官としてどうご覧になっているんでしょうか。特定感染症予防指針の全てがたなざらしになっている、とは言いませんけど、やっぱりちょっとそういう傾向が無きにしも非ずなんじゃないかと思います。それは、やっぱり最近の特徴なんでしょうか。それとも、大体そういうことになるんですかね。ちょっと変な質問ですけど(笑)。

岩﨑:
 日本の場合は、特に薬害のことがあったりいろいろして、エイズ対策は特殊な形態でスタートしていますよね。従来はエイズであろうが感染症の一つとして、淡々と症状だとか、どういうふうにして感染するとか、そういうことがきちんと語られないといけないと私は思います。だから、そういう意味では、まだ成熟していない。日本の中ではこういう形しかないのかな、という気もしますけれども、実際に私は地方自治体にいながら、「やれインフルエンザだ、やれ何だ、計画だ」といろいろ出てくると、それほど感染症をやっている人間がいっぱいいるわけじゃないので、やっぱりどうしても、なんとなく疎かになっていく、というのは本当に私も感じています。何かあった時にはワァッと騒ぐんですね。

花井:
 どうしたらいいんですかね。

伊藤:
 今の花井さんの質問というのは、本当に難しいと思うんですね。行政に「それをどうするんだ、どうするんだ」と問い詰めるだけでは、僕は答えは出てこないと思います。ですから、少なくとも私が一つ言えるのは、例えば今日主催をしておられるようなNPO団体、それからあとは「JaNP+(注2)」なんかもありますよね。「協働」という綺麗な言葉がありますけれども、行政だけではなくて、感染者や患者さん、そういうNPOなんかの人も含めて、そういう状況に対してどうしていくか、そしてどこにその原因があって、それに対してどういう対応が可能かということを、まず一緒になって「どうしたらいいか」と相談をするところから始める以外、僕は方法がないんじゃないかなと思います。なかなか「これだよ」という一つの答えは、パッと出せないんじゃないかなと思うんですけども、どうでしょうか。

花井:
 政策策定者とステークホルダー(利害関係者)が共同で指針をまとめたり、それから検討会で会議を持ったりすることは、たぶんここ十何年で、すごく進んだと思います。しかし、今度はそれを実際に現場でワークする枠になると、必ずしもそういうことが進んでいない。こういうことなんですかね。ただ、一部ではやっていますよね。例えば、保健所の検査なんかは、NPOが行政の委託を受けてやっている場合があります。一方で、ちょっと悪口を言えば、「NPOをこき使って、少ない予算で行政をするために」というふうな感じにもなります。これは、やっぱり「協働」とはちょっと違ってくると思います。だから、その辺のことを解決する、ということかなと思うんですけど、いかがでしょうか。これは僕が思いつきで言っているだけなんですけど(笑)。

岩﨑:
 非常に難しいですね。やっぱり自治体にいて思ったことは、何かトピックスになったようなことは、「やらざるを得ない」という感じでやるけれども、そうじゃないものに関しては、なかなか手が出ない、というのが正直なところです。ほとんどの地方自治体はそうだと思います。本当はそれではいけないのであって、感染症対策というのは、淡々と、きちんとやらなければいけないし、もっと医療関係者が普通に対応できれば良いわけですよね。そういうふうにしていかないといけないんじゃないかなと私は思っているんですけれども、難しい現実があります。


(注2)特定非営利活動法人日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス。HIV陽性者の支援を目的とするNPO 法人。

感染症の知識とは

花井:
 先ほど、「B型肝炎は性感染症である」というお話をされていましたが、僕はちょっとそれを不思議に聞いていました。いわゆるウィルスの専門家であっても、B型肝炎が性感染することは、知識として知っていますよね。知識としてそれを知っていることと、それが性感染症として認識されるというのは、やっぱり距離があるということですか。

岩﨑:
 そうですね。日本では、それは言っていないですよね、そういう肝炎の専門の先生方も。

花井:
 たぶん肝炎の専門の先生方は、「いや、そんなことは知っていますよ」と言うでしょうね。

岩﨑:
 そう言うと思います。でも、私たちは大学の医学部の授業の中で、そういうふうに習ってはいません。

花井:
 性感染症とは習っていない、という趣旨なんですよね。

岩﨑:
 そうです。

花井:
 どうやったら感染するかは習っているけれども・・・

岩﨑:
 「血液で、針刺しで」という、そういう感じでは習います。だけども、私は性感染症として習った記憶はありません。そういう意味では、性感染症というと、何か腫れ物に触るような感じがまだ日本の中にはすごくありますよね。これはごく普通のことで、誰にでも感染の機会があることです。だから、やっぱりもっと知識をきちんと入れて、特別扱いをしないで、淡々と感染症対策をやる、という方向にいかないと絶対にダメだと私なんかは思うんですけど、日本人は難しいですね、そういう意味で。

花井:
 知識という意味においては、昨年度も医学部のモデル・コアカリキュラムなんていうものを策定して、毎年覚えることがどんどん増えているわけですよね。たぶん医学部で学ぶ範囲の中に、B型肝炎ウィルスやラッサ熱、そういう感染症に対するウィルスとしての知識は全部入っていると思うんですよ。それだけの知識があれば、一応頭を使えばいくらでも応用が利くような話なんだけれども、必ずしも臨床医というのは、人と社会の関わりの中でその疾病を診て、「今すべきことは何だ」というふうに応用が利いていない、とも言えるのかなと思います。これは大学教育との関係では、どうですかね。日本と海外とでは、多少違うんですか。

岩﨑:
 私はタイの大学で、初めて「B型肝炎は性感染症だ」と言われて、「えっ、日本ではそういうふうに教わらなかった」という感じでビックリしました。日本では、ウィルスのことは習います。針刺しだとか、そういうふうにして感染するんだ、ということは教わりますけど、B型肝炎を性感染症の中に入れられて習った覚えは全然ない。それが、外国ではごく普通に性感染症の一つとして教えられているということが、実は私は外国へ行って、ちょっとビックリしたんですけどね。だから、そういう意味では、なるべくそういうことには触れたくない、という恥部のような感じが、私はまだ日本人の中にはあるんじゃないかなと思います。

花井:
 感染症は、やっぱり医療者の間でも「嫌だ」という感じはあるんですかね。僕は体験上あるんですけども(笑)。

岩﨑:
 あると思います。だから、患者さんの扱い方も非常にお粗末ですよね。消毒とか、普通のことをやっていれば、そんなに心配はないんだけれども、患者さんの見ている前でアルコールで拭かれたりとかいろいろしたら、やっぱり人間誰でも傷つきますよね。そういうことは、現に行われています。医療関係者のレベルがそんなものだから、やっぱり患者さんに対してそういう扱いをしてしまうというのが、私はまだ日本の現状のような気がします。

感染症対策における地域連携

花井:
 話をまとめるわけではないんですけど、ある種、臨床をちゃんとやっている医師が感染症を知っていて、そういう医師がいわゆる正しい知識というものを持っていて、ウィルスやら細菌やらの知識ではなくて、そういういわゆる感染症の正しい知識を持った人が、行政レベルとか対策レベルにちゃんといれば、もうちょっと良くなるという、全体としてはこういうお話だと思います。その中で、当事者との関係、「協働」というものも必要だ、というお話が出たと思います。そろそろ、ちょっと会場に話を振ってみて、もしあれば、会場からの質問を受けたいと思います。何か質問とかありますか。何でもいいです。エイズ対策や感染症対策でもいいですし、あと地方行政といわゆる本省がどういう関係かという話も、お二人は詳しいと思うんですけれども。

会場:
 私はこのような場所に出席するのは初めてで、新聞の記事で、本日このような会があるということを知り、兵庫県から参った者なんですけれども、今日は岩﨑先生、伊藤先生のお話をお聞きして、大変勉強になりました。仙台で、地方自治体としての仙台方式を確立された当事者であるといったようなこと、その他のことも、全て感心しながら聞かせていただきました。それで、実は私は年金生活に入っていて、現役を外れてかなり経つんですけれども、数日前に、西宮市のある種の講演会に行ってきました。それから昨日、芦屋市で開かれた講演会にも行きました。西宮市の講演会には、市長が参加されていて、それから市の幹部も多数参加していました。また、演者ではないんですけれども、西宮市の商工会議所の会頭も出席されておりました。そこで私が感心したのは、産・官・学、それから民間のボランティア団体、4者全ての代表が参加して、町作りをどのようにすべきかの議論をしていたことです。さらに、西宮市には、大学が短大を含めて10校ありますが、そういった学生の代表も出ておりました。それから、昨日にあった芦屋市の講演会は、B型肝炎の話題が中心だったんですけれども、そこにも阪神間の総合病院の先生、または開業医の方々が多数出ておられて、いわゆる肝炎に関しての議論が行われていました。そのように、広く市民に対しての公開講座がたくさん行われているのを知り、非常に感心しました。

岩﨑:
 今、日本医師会が、市民公開講座というものをあちこちでやっております。どういうものを取り上げるかは、それぞれの地域によって違います。インフルエンザを取り上げたり、肝炎を取り上げたり、多種多様な講座が開かれています。皆さんには、ぜひそういう会に参加していただければと思っています。そういうところで正しい知識をきちんと得ていただかないと、やっぱり予防だとか、そういうことは難しいですよね。そういう意味でも、ぜひ参加していただきたいと思います。
 日本では、子どもの予防接種は話題になっていますけども、高齢者の予防接種というものは全然話題になっていないですよね。60歳を過ぎたら肺炎球菌ワクチンを受けるのが、欧米ではごく普通です。また、お年寄りは、インフルエンザでは亡くなりません。インフルエンザで肺炎を併発して亡くなるんです。そういうことも、まだ十分情報として伝わっていないですよね。だから、感染症の情報は、私たち発信する側もまだまだ十分じゃないし、だから当然皆さんにも十分行き渡っていない、というのはすごく感じます。これは、医療従事者もそんなに十分知識があるわけじゃないという、ちょっと恥ずかしい面も実はあるんですけれども、できるだけ、日本医師会が今やっているそういう講座を、ぜひ聞きに行っていただけたらと思います。

花井:
 在宅医療なんかでは、実際に介護を受ける人や市民とやり取りをして、それぞれの地域で在宅医療の連携のあり方を作る、みたいなことが試みられています。しかし、感染症対策には、意外にそういう枠というのはあまりないですよね。政府のトップレベルではやっていますけれども。

岩﨑:
 結局、それは各自治体の問題になりますよね。だから、公費助成をするのかしないのかなどということは、みんな自治体で決まっていくわけです。

花井:
 市町村、一次医療圏単位ぐらいでやっているんですかね。

岩﨑:
 そうです。自治体のトップが熱心であれば、高齢者に対する肺炎球菌ワクチンへの補助もあるし、そうじゃないところはないしと、そういう意味では、本当に自治体差がものすごくあるのが感染症対策である、と私は思っています。

専門家の育成と地域連携がカギ

花井:
 最後に何か一言あれば、伊藤さん、岩﨑さん、いかがでしょうか。

伊藤:
 感染症も含めて、やっぱり根本的な問題の一つは、医師の養成制度をどうしていくか、ということだと思います。大学病院で紹介患者を中心に診ていると、診断名も全部付いた患者さんしか来ないんですね。だけど、いちばん重要なのは、初めて症状を出した時に接触するドクターの臨床推論というか、こういう症状を出している時は、何を検査して、何を治療選択するかという、そういうことを考える力です。それが今の医学教育の中で、非常に弱まってきている。大学病院中心の臓器別専門医の養成、このあり方をひとつ見直していかなければいけません。それからもう一つは、やはり医療計画。医療計画は都道府県の役割になっていますけれども、これから高齢者の増加による在宅医療と介護の連携だとかになってくると、県だけじゃなくて、市町村とどういう地域との間で仕組みを作っていくか、ということになります。僕はこの2つが課題じゃないかな、と思っています。そういうところへ、ぜひ花井さんをはじめ、こういうNPOの人たちも、行政と一体となって、どうしていくか、どういう地域を作っていくか、ということで参画していって、「一緒になってやっていきましょう」という方向じゃないかな、と思いますね。

花井:
 ありがとうございます。岩﨑さん、いかがですか。

岩﨑:
 今は、これだけ高齢者が増えているわけですよね。そういう方々に対する、きちんとした感染症対策はまだ上手くいっていないし、感染症に対する系統だった知識というものを医学部の中で受けていないところがやっぱりいちばん問題なのかな、というふうに思います。そういった意味では、感染症の本当のプロを、私たちは育てていかないといけないんだろうな、という気がしています。

花井:
 ありがとうございます。いろいろ広い話だったので、まとめようもないんですが、一つは、感染症の専門家というものが必要であるということ。それから、トップで、つまり全体の中で考える、働く専門家もいるけれども、例えば、市町村単位でそういう専門家や市民が協働できるような仕組み。極論すれば、両方が今足りないんだ、というお話が出たと思うんですが、その両方の面からのアプローチが重要である、ということが指摘されたと思います。それから、全体として、やっぱりもうちょっと合理的な対応というのは可能じゃないか、というお話もあったかと思います。いろいろ多様な話だったかと思いますけれども、今後の感染症対策やエイズ対策、インフルエンザも含めて、皆さんも今のお話を参考にして、これからもいろいろご活躍いただけたらと思います。それでは第2部を終わります。本当に伊藤先生、岩﨑先生、ありがとうございました。