第2分冊 資料編 医師の語り | ネットワーク医療と人権 (MARS)

第2分冊 資料編 医師の語り

医師と患者のライフストーリー
輸入血液製剤によるHIV感染問題調査研究 最終報告書


第2分冊 資料編 医師の語り

はじめに

Ad医師 -1980年代に血友病診療を行っていた小児科医

 第1回 せめてものつぐない。それが我々に任務だと思う
 第2回 いかにベストを尽くしたかどうかっていうことを議論すべき
 第3回 あんまり親しいもんだから言えなくなっちゃったんですよね
 第4回 たとえわからなくても、そのことに対する責任というかはやっぱりありますね
 第5回 薬害エイズは私の医療やいろいろなことの転換であったのは確かなんでね
 第6回 現役をやめたときにはわかりませんね。薬害のことで悩むかもしれないし
 第7回 逆に信頼関係ができているために言えなかったということもある
 第8回 自分の弱みを聞いていただいた、それに尽きますね

Bd医師 -1980年代に血友病診療を行っていた小児科医

 第1回 医師に道義的責任はやっぱりあると思うんですよね
 第2回 患者からの「ありがとう」は、医者にとって一番大きいんですよ

Cd医師 -1980年代に血友病診療を行っていた小児科医

 第1回 全部が全部、正論を通しているわけじゃないんですよね
 第2回 加熱が絶対に良い、副作用もおこらないとは誰も思わなかった
 第3回 大いに騒いで、お互いに議論し合って、
      それからその先の方向を決めていくというような習慣はつけたほうがいい

Dd医師 -1980年代に血友病診療を行っていた血液内科医

 第1回 「研究生になって無給になったとしても、余計なことは考えなかった」
       -血友病当事者でもある専門医にとっての「薬害HIV事件」

Ed医師 -1980年代に血友病診療を行っていた血液内科・感染症医

 第1回 HIVの感染率が不明だったんです、まずね。発症率も、死亡率も不明なんです
 第2回 肺炎を100人診たら珍しい肺炎があるだろう思ってたら、カリニ肺炎という突拍子もない肺炎が出てきた

Gd医師 -1980年代に血友病診療を行っていた血液内科医

 第1回 患者さんの側に立つ医者になりたいと思っていたけれども
 第2回 患者さんの身体は、患者さんのもの

Hd医師 -1980年代に血友病診療を行っていた小児科医

 第1回 とにかく一緒にがんばって、なんとか乗り切ろうや
 第2回 ああ、なんでどうして、もう少しなんとかできなかったかなと思ってね、うん

Jd医師 -主に1990年代から血友病診療を行っている血液内科医(薬害HIV以降の医師)

 第1回 やっぱり非加熱を使ったと思いますよ、僕は。いろいろ検証してますけど。
     (自分なら)どうしてたかといつも思いますよ

Kd医師
 -主に1990年代から血友病・HIV診療を行っている感染症科医(薬害HIV以降の医師)

 第1回 (抗HIV薬の副作用について)大丈夫って言ってる自分の中に、
      時々なんか自問自答させられるような時があって
 第2回 6年生の臨床講義のときにHIVの話を聞いたのが、はじめてのはずですね
 第3回 私がちゃんとしゃべって伝えていかなあかんというふうには思うようにはなりました

Ld医師 -主に1990年代から血友病・HIV診療を行っている内科医(薬害HIV以降の医師)

 第1回 臨床医を中心に交流を通して情報交換する会が必要であるというふうに感じていた

Md医師 -1990年代後半からHIV診療を行っている感染症科医(薬害HIV以降の医師)

 第1回 医師という仕事の手ごたえっていうのは、患者さんが治るとか、よくなるとか、
      そういうところですごく感じやすいんですよね

Qd医師 -1980年代に血友病診療を行っていた内科医

 第1回 二次感染した奥さんと夫に怒られました、感染告知をしないで
 第2回 「ライフワーク」が最後は不本意な形になってしまって

zd医師 -血液内科・感染症医(1997年以降のHIV感染症医師)

 第1回 血友病医はすごい精神的な重荷は持っていたんじゃないでしょうか
 第2回 感染した人たちが自分たちで壁をつくっちゃったというところがありますよね

用語集