基調講演1 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

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基調講演1

「ゲイ・レズビアンの解放運動は前進したのか?」

特定非営利活動法人アフリカ日本協議会 国際保健部門ディレクター 稲場 雅紀 氏

稲場 雅紀:1969 年生。1990 年~ 1994 年、横浜・寿町で日雇労働者の医療・保健・労働問題にかかわる。1995 ~ 2001 年、「動くゲイとレズビアンの会」アドボカシー担当ディレクター・評議委員(のち、(特活)動くゲイとレズビアンの会副代表理事)。2002 年よりアフリカ日本協議会国際保健部門ディレクター。2016 年より一般社団法人 SDGs 市民社会ネットワーク代表理事。

はじめに:自己紹介

 アフリカ日本協議会という団体で国際保健部門のディレクターをしている稲場雅紀と申します。よろしくお願いします。

 このイベントへのお誘いに花井さんから電話がかかってきた時、私はケニアにいました。今まさにケニアから西アフリカのガンビアに向けて旅立つという時に、花井さんから電話がかかってきて、このイベントをするので話をしてほしいと言われました。本当なら「いやいや、私にはそんな大役はできません」と答えなければいけなかったのかもしれませんが、もう飛行機に乗る直前で時間がなく、「はい、分かりました」と言ってしまいました。そういった経緯で今日ここにいるわけです。
 私は 1991 年から 2002 年まで「動くゲイとレズビアンの会」という団体に所属していました。1994 年以降は「動くゲイとレズビアンの会」のアドボカシー部門ディレクター、1999 年に同団体が NPO 法人になってからはアドボカシー担当副代表理事を務めました。そこで「府中青年の家」裁判(注1)や、1998 年にできた感染症予防・医療法に基づく「特定感染症予防指針」の一つである「エイズ予防指針」の策定、あとは、いまだに法律になっていない「人権擁護法案」や東京都人権指針などに関して、基本的には異性愛者社会に対する交渉窓口として、私がいろいろと交渉をしたりしていました。私は、時には激しく、時には厳しく、「動くゲイとレズビアンの会」の異性愛者社会担当の仕事に取り組んでいたわけです。ですので、逆に言うとゲイ・コミュニティの中ではあまり知られていない存在です。例えば「府中青年の家」裁判の二審の原告団の代表は私がやっていたのですが、ゲイ・コミュニティの中で聞いてみたら、皆さん「誰それ? 知らない」と言うでしょう。私はそういう役回りをしてきた人間です。

 その後、2002 年にアフリカ日本協議会という団体に移り、アフリカのエイズの問題、特に治療アクセスの問題に取り組みました。1990 年代後半から 2000 年代、特に 2003 年ぐらいまでのアフリカにおいて、エイズの治療へのアクセスの問題は非常に深刻でした。この問題をどう打開するかというのがちょうど 2001 ~ 2003 年ぐらいの話で、私はアフリカ日本協議会の国際保健部門のディレクターとしてその問題に取り組みました。その後、2003 年にいわゆる「3 by 5」、つまり 2005 年までに300 万人に治療薬を届けるという WHO と UNAIDS(国連合同エイズ計画)のイニシアティブが出て、国際社会として、アフリカにおいても治療アクセスを推進することが決まりました。私はその後、グローバル・ヘルスに関する多国間のイニシアティブや、日本の国際保健政策などに取り組むようになりました。そういう意味で言うと、2002 年以後は日本の HIV/AIDS やゲイ・コミュニティに関しては少し距離を置いてきました。もちろん、地球規模のエイズ問題という文脈の中では、いろいろな形で関係の方々とお付き合いをしましたし、「動くゲイとレズビアンの会」にいた時よりも、むしろ、より幅広い形でお付き合いをしています。ただ、コミュニティレベルの活動という意味では、かなり距離を取っていた立場です。ですので、ある種 2002 年以降の LGBT 運動に関するリアリティという意味では、若干、限界があるかもしれません。その辺りについては、ぜひ割り引いて聞いていただければと思います。実際、2002年はかなり昔の話です。9.11(アメリカ同時多発テロ事件)も 2001 年ですから、そういう意味では相当時間が経ってしまっています。「府中青年の家」裁判に関しても、1997 年に判決が出てからもう 20 年経つわけです。ですから、そういう意味では、時代認識も変えなければいけないところもあるのかなと思っています。

(注1) 同性愛者の団体に対し、東京都が「青少年の健全な育成に悪い影響を与える」として宿泊施設「府中青年の家」(現在は閉鎖)の利用を拒絶した事に対して、1991 年 2 月に訴訟が起こされ、1997 年 9 月の二審で原告団体の全面勝訴で結審した損害賠償訴訟(参考:Wikipedia)。


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