基調講演1-2 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

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基調講演1-2

「ゲイ・レズビアンの解放運動は前進したのか?」

特定非営利活動法人アフリカ日本協議会 国際保健部門ディレクター 稲場 雅紀 氏


(前頁からの続き)

権力と人権:「オールロマンス闘争」から現代へ

 今日のいちばん肝心な話は、配布資料にもありますように、「権力と人権」についてです。「『オールロマンス闘争』から現代へ」という非常に大仰な名前を付けました。この「オールロマンス闘争」については後で詳しくお話をさせていただきます。

 1997年に「エイズ予防指針」を策定するという話が出てきました。「感染症予防・医療法」というものが1998年にできて、その法律に従って様々な感染症に関する方針を決めるということで、「特定感染症予防指針」を定めることになりました。そこで、例えばエイズや性感染症などについての予防指針を決めていくという政策に帰結するわけなのですが、その一つがこのエイズ予防指針です。

 これを策定するために、エイズ予防指針の策定小委員会が、旧厚生省の公衆衛生審議会の下の分科会として立ち上がり、HIV陽性者の委員が4名選ばれました。今日ここにいる花井さんも、私が所属していた「動くゲイとレズビアンの会」からは大石敏寛さんという方が委員になりました。私たちの団体にとって、この「エイズ予防指針」は極めて大事なものだったので、私とあと数名の活動家が大石さんをサポートするということでタスクチームを作り、「エイズ予防指針」の制定に向けて何をしていくのか、しっかり議論をしました。その一環として、様々な外国の事例や各国のエイズ政策はどうなっているのかということをしっかり研究したのですが、我々としては特にオーストラリアのケースを研究しました。

 オーストラリアにおける「エイズ予防指針」にあたる、エイズに関する国のガイドラインでは、4つのいわゆる「ターゲット・グループ」がセットされています。その一つがMSM(男性とセックスをする男性)です。2つ目がセックス・ワーカー、3つ目がドラッグ・ユーザー、4つ目が先住民です。先住民というのは、インドネシアとの間にトレス海峡というところがあるのですが、そのトレス海峡先住民と、いわゆるアボリジニの人たちです。この4つのターゲット・グループを設定して、これに対してしっかりファンディング(資金調達)をして、しっかり対策を練って、しっかりNGOや当事者グループを支援して、あるいは組織して、という形の対策指針を持っています。

 ところが、当時の日本はどうだったかというと、「エイズはみんなの病気です」というスタンス一辺倒でした。もちろん、それ自体は間違いではありません。誰もがかかる可能性があるわけです。ただ、当時は「エイズはみんなの病気です」と言って、いわゆる一般広報しかしていませんでした。例えば、一般向けの映画館で少しコマーシャルをする、あるいは空港などのテレビでコマーシャルをするというような形で、いわゆる普及啓発広報に関して、あるいは予防啓発のメッセージに関して、国家権力は一般的なところにしか予算を出していなかったのです。しかし、重大なことがあります。実際には1996~1998年当時のHIV感染の6~7割は、もう既にMSM、ゲイ・コミュニティの中から起こっていたわけです。ところが、ゲイ・コミュニティに対するいわゆる特別の手当、あるいは予防プログラムなどは、一つもありませんでした。お金を全く投じられていなかったのです。我々は、これをどうにかしなければいけません。つまり、新たなHIV感染事例の6割がゲイ・コミュニティから出ているのであれば、端的に言って、本来はいわゆるエイズ予防の予算の6割はゲイ・コミュニティにいっていいはずなのです。

 この現実から考えて、我々としては、「エイズ予防指針」において、いわゆる個別施策層と今は言われているターゲット・グループの設定を、まさに人権という観点を伴う形で行わなければなりませんでした。そのころは、すでに「HIV陽性者の人権」についてはよく言われるようになっていたのですが、それ以外に、実際の個別施策の対象になるような、例えばMSM、あるいは外国人、セックス・ワーカーというような人たちに対して、しっかりした予防対策や、その他HIV/AIDSにかかわる手厚い対策が、人権上の配慮と共にエイズ予防指針に入ることが是が非でも必要であると我々は考え、とにかくそれを成し遂げようと決意したわけです。そのためには、官僚がおぜん立てを図ってくる審議会政治というものを打ち破らなければならない。なので、実際にエイズ予防指針の委員会の前と後には、必ず疾病対策課の課員あるいは課長とミーティングを持ちました。「この時はこうだったね、ああだったね」、「この論点についてはもっとやってほしい」というようなことを相手に伝え、対話する小さなミーティングを持って、どうやっていわゆる審議会政治というものを我々の側にしっかり引っ張っていくのかということを、実際に一生懸命追求しました。その時、私は「オールロマンス闘争」という言葉を思い浮かべていたわけです。もちろん、他のメンバーに共有したわけではありません。他のメンバーは「オールロマンス闘争」なんて知らなかったと思います。

 「オールロマンス闘争」とは何か。戦後の部落解放運動の出発点がこの「オールロマンス闘争」です。これはいろいろな意味で非常に大事な事件なのですが、昔「オールロマンス」というカストリ雑誌(注2)で、京都の被差別部落をいかにも面白おかしく描いた通俗小説が掲載されました。これに関して、当時の部落解放運動の人たちが非常に怒りまして、「このようなものが出ることは絶対に許さない」ということで糾弾闘争をしました。しかし、この糾弾闘争は、単に「オールロマンス」という雑誌に対して糾弾闘争をするだけでは終わりませんでした。ここが重要なところなのですが、実際に「オールロマンス」に書いてあるような酷い状況に被差別部落はあるじゃないかということで、さらに京都市に対する行政闘争に発展させたのです。

 例えば、部落とその隣の地区において消火栓がいくつあるかを当時実際に数えて比較をしたところ、部落地域における消火栓は非部落地域の300分の1 しかありませんでした。そもそもこういう雑誌に書かれるのはこういう状況だからであり、これをとにかく改善することが差別をなくす上で大変重要なことなのだということで、雑誌に出た小説をてこにして、包括的な行政施策の必要性を訴えたわけです。これが「オールロマンス闘争」です。その結果として、京都市におけるいわゆる同和対策事業が始まっているわけです。

 実は、これには少しオチがありまして、いわゆるこの「オールロマンス闘争」における部落は、被差別部落ではなくて在日朝鮮人の部落であると、歴史家のキム・チョンミさんという方が後で暴露しました。「本当は在日朝鮮人の部落であるにもかかわらず、それを無理に被差別部落の問題にして、日本の部落解放運動が利益を受ける形で運動が作られた。そんなことができるのは、奥に在日朝鮮人差別があるからではないか」という告発を1990年代にしています。これは日本の差別問題における、より深刻な事態を明らかにしています。

 私は、いわゆるこのエイズ予防指針を巡る問題、すなわち新規感染事例の6割がゲイ・コミュニティから出ているのに、そこに予算が一銭も使われていないという事態には、まさに現代の「オールロマンス闘争」が必要だと考えました。これを所管していた、厚生省の疾病対策課はある種「普通」の指針を作りたいと思っていたのだろうと思うのですが、私自身が様々な戦略を立て、オーストラリアなどの好事例を導入し、例えば「こうした個別施策層にきちんとアプローチをしなければいけない」、「なおかつ、個別施策層に関して人権上の配慮をきちんとしなければならない」というような資料もガッチリ作って毎回出しました。あと、もう一つは政策の進展に関するレビューです。政策レビューをきちんとしなければいけません。こういった課題を我々が持ち込んだことについて、疾病対策課はかなり真面目に取り組んでくれました。

 人によって評価は変わると思うのですが、疾病対策課で指針策定を担当した中谷比呂樹課長は、私の感覚では、かなり熱心に、しっかりと追い込んでやってくださったと思っています。この中谷さんという人は、実は後にWHOのエイズ・結核・マラリア対策事務局長補になりました。私は後に、途上国のエイズ・結核・マラリア対策に資金を供給する国際機関「グローバルファンド」(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)の理事会に、日本の市民社会の立場として出席することになりましたので、そこでこの中谷さんと会うことになります。ただ、これは中谷課長だけではなくて、その後に疾病対策課長となった麦谷眞里氏も後に厚生労働省の国際保健総括審議官になりました。麦谷氏は参議院議員の武見敬三氏のサポートで、途上国の保健において非常に大きな問題であった保健人材の育成・定着・雇用を司る国際機関である「国際保健従事者同盟」(Global Health Workforce Alliance、GHWA)という組織の理事会議長になります。ただ、このGHWAという団体は、その後、途上国の保険人材の課題解決について、十分な働きがなかったために、後にお取り潰しになってしまうことになります。このように、その当時出会った課長クラスがWHOの何かになって再会するというようなことはよくありました。非常に興味深いなと思っています。

 このエイズ予防指針は、そういう形で我々として、一生懸命参加し、要求もして作っていったわけですが、この指針は結果として、「日本の既存の施策は全般的なものであったため、特定の集団に対する感染の拡大の抑制に必ずしも結び付いてこなかった。こうした現状を踏まえ、国及び都道府県等は、個別施策層に対して、人権や社会的背景に最大限配慮したきめ細かく効果的な施策を追加的に実施することが重要である。」という前文が付くという、しっかり歴史の教訓を踏まえた興味深い指針になりました。この辺りの話は、非常に面白いところだということで、新ヶ江さんの本にもいろいろと書いてあります。これを読むと、我々がやったことが本に書かれる、自分が書かれる立場になるというのは興味深いな、と今振り返って思います。

 「エイズ予防指針」を作るにあたって一つ出てきた課題が、個別施策層の名称をどうするかです。例えば、「エイズ予防指針」には男性同性愛者と明示してあります。ほかに、「外国人」、「性風俗産業の従事者および利用者」、「青少年」がそうです。これに関して、いろいろ議論がありました。その結果なのですが、例えば男性同性愛者に関しては「性的指向の側面で配慮が必要な男性同性愛者」、外国人に関しては「言語的障壁・文化的障壁のある外国人」などというように、なぜこれらのコミュニティを個別施策層にするのかに関して、理由が明記されています。これは、我々が要求をしたからです。

 この中で、我々の側の議論、つまりコミュニティ側の議論としていちばん深刻な課題になったのが、個別施策層の「特定」です。個別施策層の特定を指針において国家権力にやらせるのかどうかというのは、非常に深刻な問題でした。この議論を、私たちは花井さんとの間でしなければなりませんでした。我々としても、この問題に対してどういうふうに向かっていくのかということに関して、極めて重要な問題をはらんでいたわけです。

 急に、非常に本質主義的な提起をして申し訳ないのですが、端的な、分かりやすい理論として提起するならば、権力というものは、本質的に「悪」です。「悪」である以上、そういう権力が、特定の集団がターゲット・グループであるなどということを、法の条文に書き込むということは、もし、権力が「悪」の本性をむき出しにしたとしたら、どういうことになるのかというところが実際にあります。

 実際に、人権に関して、長い裁判闘争を抱えてやってこられた人たちがいます。我々も「府中青年の家」裁判では7年もかかりました。大阪エイズ薬害訴訟の原告団も、長く苦しい裁判闘争を抱えました。大変さにおいていろいろな違いはあったかもしれませんが、それぞれ個別の大変さはあったと思います。こうした経験をした私たちも、大阪原告団も、そういう中で、やはり、権力というものが実際に「悪」の本性をむき出しにした時に、だれだれが個別施策層だ、などと書いてあったら、実際にその力によって、どういうことをされるのか分からないという懸念が一方でありました。

 この懸念があるにもかかわらず、なぜ、「個別施策層」を特定しなければならないのか。私たちは以下のような提起をしました。つまり、「将来、権力が『悪』の本性をむき出しにして何かしてきたらどうするか」という立論に対して、私たちは、「私たちは、すでに今、ここでこの瞬間にも黙殺されているのだ」という議論を対置させました。先ほども言ったように、新規HIV感染の6割以上がMSMから来ている時に、政府はMSMに対して一銭も使っていないのです。こういう事態が放置されていいわけがありません。「そもそも我々は今、ここで、弾圧され、黙殺されて、権力の『悪』の本性を突き付けられているんだ」というのがこちら側の議論です。この辺りの話はかなり真剣に議論したような気がしますが、つまり「我々は今ここで権力の『悪』の本性に直面しているんだ」というのが、こちら側の感覚だったわけです。

 その真剣な議論の結果として、最終的にゲイ・コミュニティからそういう意見が出てきたということであれば、二重三重のフェイル・セーフ(注3)構造をきちんと置く。つまり、まず指針全体において人権をきちんと色濃く出す。次に「個別施策層」の特定の部分においては、なぜ「個別施策層」に指定するのかということに関して、人権上の配慮がある程度行き届いた理由付けの文言をきちんと付ける。とにかく我々が、「黙殺」という今の状況を乗り越えるために必要だからということで、こういう二重三重のフェイル・セーフ構造を指針の中にしっかり持たせることにしたわけです。これによって、なんとか私たちは、ある種の了承を得る形でこの指針に反映することになったわけです。これが私自身の歴史観です。花井さんの歴史観は、この後の鼎談の時に別途お話しいただければと思います。

 私どもとしては、こういう形で個別施策層をきちんと位置付けて、そして今まで実際にゲイ・コミュニティに対する予防啓発に関して予算が一銭も来なかった状況をどう変えるのかということについて、いわゆる広い意味でのコミュニティ内部の議論、そして権力に対する議論、この辺りをなんとか乗り越えて、最終的に制定された「エイズ予防指針」に結びついたわけです。

 その後の話として、この辺りのことが果たして正しかったのかどうかということがあります。私はとりあえずこんな風に熱弁しているわけで、それを聞いていると、なんとなく正しかったような気になっていらっしゃる方もいると思いますし、もちろん反論がある方もたくさんいるでしょう。時間軸を長くとって、これは今から20年前の話ですから、20年後から振り返ってそれが本当に正しかったのかどうかということに関して検証するというこのシンポジウムは、大変重要なシンポジウムです。つまり、こういったいわゆるアイデンティティ・ポリティクスに基づく、マイノリティ政治に基づくいわゆる権利要求運動というものが、長尺で測った時に、今なら実際にどう評価できるのかということです。

 そもそも私がこのシンポジウムを受けるべきかどうかという問題があります。ケニアで飛行機に乗る直前に、花井さんから電話がかかってきて、「はい、分かりました」とその時には言ってしまったので、今日ここにいるのですが、逆に日が近づくにつれて、このシンポジウムの重要性に打ちひしがれてしまいました。「いったいどうするんだ」と思いながら日々の仕事をこなして過ごしているうちに、配布資料のようなレジュメしか作れないということになってしまったわけです。今から振り返ってどうかというところは、かなり大きな問題だと思います。


(注2)太平洋戦争終結直後の日本で、出版自由化を機に発行された大衆向け娯楽雑誌をさす。これらは粗悪な用紙に印刷された安価な雑誌で、内容は安直で興味本位なものが多い(参考:Wikipedia)。

(注3)なんらかの装置・システムにおいて、誤操作・誤動作による障害が発生した場合、常に安全側に制御すること。またはそうなるような設計手法で、信頼性設計のひとつ。これは装置やシステムが『必ず故障する』ということを前提にしたものである(参考:Wikipedia)。

その後の「個別施策層」対策と現代

 その後の個別施策層対策は現代に移っていきますが、これは、現在、東京のaktaをはじめ、各地に点在するエイズにかかわるコミュニティ・センターに発展していきます。これは非常に大事なことです。指針を作ったのは疾病対策課の中谷課長でした。指針を作った後、それを運用する最初の課長になったのが麦谷眞里氏です。先ほども言いましたが、後に厚生労働省の国際保健総括審議官およびがん問題総括審議官になる人物です。

 しかし、これは私の印象ですが、麦谷氏は、最初の2年間、出来上がった指針を運用することに関して、よく言えばきわめて「慎重」でした。我々としては、このことは非常に腹立たしいことでした。麦谷課長があまりにも、いわゆる「慎重」なので、このままではどうなるんだ、という話になり、最終的に、彼の任期最後の年に男性同性間のHIV/AIDSに関する委員会が立ち上がり、集中的な議論がありました。それが、結果としていわゆるコミュニティ・センターに結びついたわけです。東京のaktaをはじめとする様々なコミュニティ・センターが全国主要都市にできることになりました。そして社会的アプローチの活用ということで、実際にaktaなどのコミュニティ・センターがコミュニティの様々な活動、例えばコンドームの配布などの活動のいわゆる拠点として位置付きました。そういう意味で、もちろん、いろんな評価はあるものの、コミュニティ・センターを設置しての社会介入については上手くいったという定評があります。

 残念ながら、私は2002年以降、国内のエイズ対策に関して直接関わることはしていません。もちろん「今の国際的な流れはこうなっています」というような文章を書いたり、あるいは国際的な流れに関して講演会をしたり、そういうことはたくさんしています。ですので、いろいろな形でHIV/AIDSあるいはゲイ・コミュニティの中で取り組んでいる人たちとのコミュニケーションはそれなりにやっているのですが、こういった具体的な政治に踏み込むことは2002年以降一切していません。ですので、この辺りについての評価を行うことについては、私自身は謙抑(注4)的でなければならないと思っています。

 ただ、日本では、今までコミュニティ・センターなどが全くなかったところ、指針を踏まえて、こういう形でコミュニティ・センターができて、それが様々なコミュニティのサークル活動の基盤となり、エイズ予防啓発の基盤ともなっていったことに関しては、「個別施策層対策」が予防指針に明確に明記されて、そこにお金を付けなければいけないことになったからこそ起きたことだ、ということが言えます。ただ、一つ問題なのは、我が国においては、こうした取り組みに関して、例えば厚生労働省の疾病対策課が持っているお金の中で使えるものは、「研究」のお金しかないのです。いわゆる事業実施のお金が仕組み上付けられず、結局のところ「研究」の体裁をとらなければいけないという非常に大きな問題があります。コミュニティ・センターに関しても、研究の体裁をとってするしかなかったわけですが、それでも今までのお金よりは大きなお金が付くことにはなり、全国の主要都市にコミュニティ・センターができることになりました。これはその後のエイズ対策にとって、非常にプラスだったと思っています。また、その結果として、社会的・文化的なアプローチによるエイズ対策が、特にコミュニティのエイズ対策において主流化したことも非常にポジティブなことだと思っています。

 ところが、最近の状況について、いろいろな方から話を聞くだけなので評価はいろいろあるとは思うのですが、最近の状況をみると、どうも、こうした社会介入の成功に対するバックラッシュ(反動・逆流)が生じているようです。この辺り、いわゆる人権というものをもう一度認識して見なければいけない、あるいはHIV/AIDSの社会的側面というものをもう一度認識しなければいけない重要なポイントになっていると思います。

 急に国際的な話に移りますが、2015年までいわゆるMDGs(ミレニアム開発目標)というものがありました。MDGsについてご存知の方は手を挙げていただけますか? あまりいらっしゃらないですね。これは、2001年にできたもので、2015年を期限に、途上国の貧困を半減するために8つの具体的な目標を設定して、その達成のために、途上国と国際社会が手を取り合って努力していく、というものです。これは昨年までの途上国の開発援助の中心になりました。このMDGsの設定によって、2015年までは、曲がりなりにも途上国開発の主流は社会開発に置かれたのです。2000年までは経済開発が主流となり、なおかつ世界銀行・IMF(国際通貨基金)が主導して「途上国は借金を返せ、そのためには民営化と緊縮財政だ」という、いわゆる構造調整政策が中心でした。つまり、それまでにいろいろな理由でできた大きな債務を途上国はずっと返し続けなければいけないという話で、結果としてアフリカは2000年までに大破局を迎えることになったわけです。これは非常に大きな問題でした。

 この構造調整政策による大きなネガティブ・インパクトをどう取り返すのかという中から、MDGsの話が出てきました。このネガティブ・インパクトの極めて大きな部分がHIV/AIDSだったのです。南アフリカ共和国においては、当時までに成人の5人に1人がHIV感染をしているという状況になりました。また、その北側の内陸国ボツワナにおいては成人の5人に2人がHIV感染をしている、という極端な統計まで出てきました。これは実は後で5人に1人であることが分かったのですが、5人に1人でも十分に破局的な状況なわけです。しかも、医薬品価格の問題があって、こうした地域に治療を導入するのは、構造調整の時代には極めて難しかったわけです。結果として、南部アフリカという世界の一地域の経済的・社会的・文化的破滅が実際に話題に上るような時代だったのです。だからこそ「グローバルファンド」ができ、MDGsの8つの目標のうちの一つがエイズということになったわけです。

 ところが、15年間もエイズ対策をやっていくと、「エイズはもういい」というような話になっていきました。この辺り、本当に難しい話です。例えばインドのような国を考えた時に、インドにはHIV陽性者が250万人ぐらいいるのですが、人口は12億ですから割合にすれば多くはありません。その場合、エイズで死ぬ人を救うためにコストをかけるよりも、呼吸器疾患や下痢症で命を落とす5歳以下の子どもたちにお金を投入する方が費用対効果は高い、というような話が出てきたわけです。これは非常に良くない議論なのですが、逆に言うと、「実際には呼吸器疾患や下痢症には全くお金がいっていないじゃないか。エイズだけでなく、すべての疾病に対応できるように、水平的に保健システムを整え、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(注5)をめざして、そちらにもきちんとお金を向けるべきだ」というような議論が、15年もやっていると出てくるのです。そういう中で、いわゆる新しい国際目標、つまり2016年から2030年までの国際目標の議論において、エイズの問題は置き去りにされる形になっていきました。この辺り、本当に難しい力関係だといえます。

 結果として、MDGsの期限である2015年が近づくにつれて、いわゆる今のSDGs(持続可能な開発目標)、つまり2016年から2030年までの国際目標の策定において、どうやって巻き返すかということが、UNAIDSあたりの重要なアジェンダ(議題)になりました。つまり、このまま放っておくと、エイズはSDGsの中に入らなくなってしまうかもしれません。SDGsはあらゆるものが入ります。すべて入っている中で、エイズが入っていなかったら最悪です。なんとかしなければいけません。そこでUNAIDSは「エンド・エイズ」というスローガンを提起しました。私は、こんなに早い段階で伝家の宝刀を抜いてしまった、この後どうするんだろう、と思っているのですが、エンド・エイズ by 2030、つまり2030年までにエイズを終息させるということです。

 これにはオバマ政権のいろいろな政策、つまり「我々はエイズをなくすことをアメリカ合衆国の国家的な目標とする。まずは、エイズの母子感染をなくすことにアメリカ合衆国として必要な役割を果たすことを約束する」というクリントン国務長官の演説などがすごく影響しています。そういう中で、「エンド・エイズ」のためには、「治療=予防」すなわち英語でいうTasP(Treatment as Prevention:予防としての治療)をしていかなければならないというロジック(論理)がどんどん出てくる。そのことによっていわゆるSDGsのコンテクスト(文脈)においてエイズの位置付けをしっかりと明確にする、ということがUNAIDSの主流のポリティクスになってくるわけです。

 そういったいろいろな議論の中で、結果としてエイズの社会的な介入から医療的な介入への移行が起こってきました。「TasP」、また、「暴露前予防投薬」(Pre-Exposure Prophylaxis、PrEP)というようなものがどんどん入ってきて、なおかつ逆に社会介入の側面は、特にアフリカのエイズの文脈においては見落とされていくという非常に危険な理論、実践動向が出てきています。そして、そういういわゆるエイズの医療化の巻き返しのポリティクスが我が国にも及んでくる中で、いわゆるTasPやPrEPの強調が、特にいわゆる医療サイドでエイズに関わっている専門家の一部から出てきて、なおかつそこにお金が付くという話になってきます。

 こうして、我が国においても、いわゆる国際動向の逆輸入の結果として、こういったエイズの医療化が進み、そして、「エイズ指針」で何とか勝ち取った社会介入の重点化という政策の弱体化が出てきます。実際に今後日本のエイズ行政や指針をどう見直すかという中で、こういった話がどんどん出てくる可能性があります。だいたい舶来ものが好きというのが日本の非常に良くないところですが、そういう意味合いの中で、このいわゆる「エンド・エイズ・トレンド」(流行)と、そこに付随した形でのエイズの「医療化」と、保健の社会的決定要因の忘却といった問題が非常にチャレンジングになってくるのです。これはグローバルでもそうですし、また日本においてもそうです。そういう意味で、一時は社会介入あるいはエイズに係る社会開発・コミュニティ開発が主流化した世の中で、それに対する医療化の巻き返しが出てきているわけです。そういう辺りのところをしっかり注意して見ていかなければいけないし、そこに対する政治的な巻き返しをどうしていくのかということが非常に大事なことだと思います。

 特に今の政策は、そういう意味合いでグローバルなものとの結びつきが昔以上に強くなっています。1997年当時、我々は「オーストラリアでもこうしている」、「カナダでもこうしている」、「どこどこでもこうしている」と言って研究していたのですが、今ではそれは逆になっているのです。「ここではこうしているが、我々の考え方とは違うものになってきている」ということをどう考えるのか、これはかなり考えなければいけない問題だと思います。


(注4)へりくだって控えめにすること(コトバンクより)。
(注5)「すべての人が、適切な健康増進、予防、治療、機能回復に関するサービスを、支払い可能な費用で受けられる」ことを意味し、すべての人が経済的な困難を伴うことなく保健医療サービスを享受することを目指している(JICAホームページより)。

SDGsと「データ革命」:トランプ時代の危険性

 もう一つ、最後のポイントですが、これが実は大きな問題になります。これは、先ほど言った権力「性悪」論という考え方の中で、実際に権力が悪の本性をむき出しにしてきたらどうするのかという話に繋がってきます。

 先ほど言ったSDGsは、スローガンとして「だれ一人取り残さない」(Leave no one behind)を掲げています。MDGsでは、いわゆる貧困を半分にするということで、やりやすいところからやっていって貧困は半分になりました。ところが、やりやすいところからやっていった結果として、やるのが難しいところが残ってしまいました。ですので、MDGsの「やりやすいところから好きなようにやる」というアプローチをどう変えなければいけないのかという文脈の中で、逆に難しいところからきちんとやっていくという「だれ一人取り残さない」の考えが、一応スローガンとしては主流化したのです。この辺りは、スローガンとしては良いことだと思います。もう一つ、いわゆる「最後の人を最初に」(Put the last first)というスローガンもあります。これも非常に大事なスローガンです。この「最後の人を最初に」や「だれ一人取り残さない」をどう実践するのかというのが、SDGsの本来の非常に大事な議論です。

 SDGsを知っている方は、一般には、あまりいらっしゃいません。しかし、この間、朝日新聞に大きく記事になっていましたが、実は今企業のCSR(企業の社会的責任)部門においては、このSDGsは非常に大きなトピックになっています。研究グループがたくさんできて、いろいろ革新的に動いています。さらに、日本政府においては、安倍晋三内閣総理大臣を本部長とする「SDGs推進本部」というものが総理官邸に設置され、SDGsを推進するために一生懸命やるんだと、我が国は口では言っているわけです。しかし、彼らが実際に「だれも取り残さない」、「最後の人を最初に」でSDGsをするかというと、そもそもそういうふうには考えていません。彼らはSDGsに資する日本の様々な最新技術などを、いわゆる日本再興戦略に基づいて海外に輸出するという戦略の中でSDGsを位置付けているわけです。ですから、彼らのSDGsと我々のSDGsは、まさに正反対なのです。私たちとしては、ただ正反対と言っていても仕方がないので、一生懸命政府に話をしたり、主要政党の中に議員グループを作ってもらおうとしたり一生懸命努力していますが、そもそもベクトルが反対というところがあります。

 このSDGsの話を延々としたのはどうしてかというと、このSDGsで「Leave no one behind」、誰も取り残さない、ということを現場で実践するためには、いわゆる「Leave」されている(取り残されている)人たちの情報をきちんと集めて、具体的にそれをまともな「だれ一人取り残さない」ための施策として使っていかなければいけません。なおかつ「我々には今やデータ革命があるではないか」というような議論が、市民社会の中で2014年、2015年辺りに、かなり主流になってきました。しかしそれでいいのかと、ふと私はSDGsについてアドボカシー(政策提言)していく中で思いました。例えば、主要な巨大国際NGOの人たちが、無邪気に「データ革命がある。『誰も取り残さない』という中で、取り残された人たちのデータを集めなければならない」と言っているのを聞いて、これは逆に危険なのではないかと思ったのです。つまり、これは端的に言うと、「差別されて酷い目に遭っている人たちのデータを集めて、権力に渡す」ということなのです。私がこの時に思い出したのが、今日お話しした「エイズ予防指針」です。

 日本の権力がどうかということもあるのですが、例えば今我々が毎日ニュースで見ていますが、ドナルド・トランプという人がアメリカ合衆国の大統領に当選し、そして彼の下である種の新たな専制の時代の予感というものが出てきています。この辺りに関してどう考える必要があるのか、そして我々はSDGsの下での、いわゆるいちばん厳しい状況に置かれている人たちのデータを収集して、プロジェクトにどう活かすかというような無邪気な議論にすんなり乗ることができるのか考えた時に、例えばフィリピンのドゥテルテ大統領が出てくるわけです。彼は就任以来、麻薬戦争というものをやっています。それによって今や6000人もの人が殺され、60万人もの人が投降して施設にぶち込まれているという状況です。このような政権に対して、例えば「私たちが調べたのですが、ドラッグ・ユーザーはこんな状況に置かれています。厚生労働省さん、なんとかプロジェクトにしてください」と言って情報を渡したらどうなるのかは、目に見えています。

 つまり、いわゆる途上国においてもある種の新たな権威主義というものが登場し、そして市民社会のエリアがどんどん狭くなっているという現状があります。例えばMDGsの優等生と言われたエチオピアのような国において今何が起こっているのかというと、かつての社会主義者による政権が変質し、少数の国家社会主義エリートが支配するテクノクラート(注6)権威主義政権となる中で、多数派の民族が何らかの形で抵抗運動をしたところ、例えば200~300人が一気に殺されるというような事件が去年も起こりました。それで、オリンピックでエチオピア出身の選手が手で×印をしながらゴールをして、「今はエチオピアに人権という言葉はない」とアピールしました。テクノクラート権威主義によるMDGs重視の政策が功を奏して、いわゆるMDGsの優等生と言われたエチオピアのような国においてもそういうことが起こっているという中で、私たちは逆にこの状況についてどう考えるのか、つまり権力というものは、例えばエチオピアにおいてもフィリピンにおいてもアメリカ合衆国においても日本においても、大なり小なり共通しており、「権力の本質は『悪』である」と考えるのであれば、実際に我々が心しなければならないことはいったい何なのかということを、もう一度見直さなければならない時代になってきたのではないかと思っています。

 そういう意味合いにおいて、私自身がこのシンポジウムにおいてお話しするのは適切かどうか分かりませんが、ただこのようなシンポジウムが今ここで開かれていることは非常に大事なことだと思っています。ぜひ鼎談の方でさらに議論を深めることができればと思っていますので、よろしくお願いします。ありがとうございました。


(注6)官僚のうち、高度な科学技術の専門知識と政策能力を持ち、なおかつ、国家の政策決定に関与できる上級職の技術官僚(技官)のこと。高級技術官僚とも呼ばれる(参考:Wikipedia)。