企画展「薬害を語り継ぐ」開催の意義 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

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企画展「薬害を語り継ぐ」開催の意義

全国薬害被害者団体連絡協議会 代表世話人
特定非営利活動法人 ネットワーク医療と人権 理事
花井 十伍

「薬被連」とは

 全国薬害被害者団体連絡協議会(薬被連)は、京都スモン基金が開催する「薬害根絶フォーラム」に、複数の被害者団体が参加したことをきっかけとして、1999年に結成された。整腸剤キノホルム剤による薬害、スモンの被害者は、薬害根絶実現を目指した活動を継続していた。薬被連は、いわば彼らの情熱に後押しされる形、ずばりそのミッションを「薬害根絶」に特化した連絡協議会として成立した。

薬害被害当事者の視点

 薬被連結成時に重要視したことのひとつは、薬害被害者当事者のみが参集する連絡協議会にしようという点である。言うまでもなく、薬害事件の多くは訴訟に発展し、その解決には弁護士や支援者を始めとするさまざまな人たちとの連携が必要である。しかし一方で、被害当事者の視点にこだわることも大変重要な事であることが各被害者団体間において共有されていた。

 今回「企画展 薬害を語り継ぐ~スモン・サリドマイド・薬害ヤコブ~」の企画をすすめるにあたっては、この当事者の視点を特に重視すべく各々の被害者団体が議論をすすめたが、やはりと言うべきか、当然と言うべきか、さまざまな意見があった。そもそも、身も蓋も無い話になるが、当事者は「薬害」という社会問題領域の中にあり、薬害被害当事者の視点は、その出発点において当事者の視点と言う名の外部から客体視される視点であるとともに、この「薬害」という社会問題領域を能動的に提出しているのも当事者に他ならないという、やや込み入った事情が存在するのである。結果として、私たちが当事者として見せたいと考えるものは、社会的な意味の部分と個人史的な部分とを行き来する中に見いだすことになるし、当事者は、社会的⇔個人的のどちら側にも完全に固定されることなく、いわば宙づりの状態で社会的⇔個人的領域間に流動的に点在することになる。このことは至極当然のことではあるが、当事者の視点で「薬害」を語り出すときに(つまり今回のような企画展示を構想するときに)当事者各々の心持ちとして問題になる。当事者は、この流動性の中で、一時的にさまざまな文脈に投錨してはまた、流動するという居心地の中で日々活動を続けてきたのである。当事者による「薬害根絶」へ向けての、具体的課題解決を試みる活動においては、捨象されている先の当事者の内実は、企画展示においては、より被害当事者の内省的振幅による広がりを巻き込んだものになることが、期待されるとともに、構想においても含意されていたはずだ。

大阪人権博物館(リバティおおさか)

「薬害資料館」の必要性

 今回、企画展開催に至った理由のひとつとして、これまで薬害被害者団体が薬害資料館の必要性を主張しつつも、実現してこなかった経緯があった。それぞれの被害者団体がそれなりに薬害資料館の構想をもっていたが、かならずしも具体的イメージが一致している訳ではなく、むしろ「あったらいいな」的な漠然としたものであった。もちろん、それぞれの団体は、活動の経過の中で関連図書や資料、遺品のようなものを蓄積してはいたが、それらはあくまで日々の活動の副産物であり、それらを整理し公開するような体制で保管している訳ではなかったし、過去の資料の整理は決して優先順位が高い作業ではなかったはずだ。そのような中で、そろそろ何とかしなくては、という機運が生まれてきた理由の一つは被害者の高齢化である。貴重な薬害史の証人が一人ふたりと亡くなって行く現実や、高齢化により事務所運営に支障をきたすような団体がでてきたことは、大切なものの喪失として私たちを追い立てるものがあった。また、今一つの理由として、薬害肝炎訴訟の和解を機に設置された、「薬害肝炎の検証並びに再発防止検討委員会」の最終提言が2010年に取りまとめられ、その中で、「すベての国民に対する医薬品教育を推進するとともに、二度と薬害を起こさないという行政・企業を含めた医薬関係者の意識改革にも役立ち、幅広く社会の認識を高めるため、薬害に関する資料の収集、公開等を恒常的に行う仕組み(いわゆる薬害研究資料館など)を設立すべきである。」と資料館などの必要性が盛り込まれ、正式に国として薬害に関する資料の状況を把握する研究事業が始まったことがある。この研究班による調査の結果、それぞれの薬害に関する資料の保存状況が想像以上にばらつきがあり、散逸や紛失の危機にあるものも少なくないことが判明したことは、過去の資料保持が喫緊の課題であることが認識された。今回の企画展示は、被害者団体にとって、薬害資料館を具体的にイメージする機会ともなった。

あたりまえに生きようとする存在である

 2015年10月17日から12月19日までの展示期間、約8000人が来館してくれたが、現場で話ができた来館者の印象の多くは、「これまで、薬害のことはほとんど知らなかったが、展示に触れて、薬害被害の重さを実感した」というような感想を述べていたように思う。そこに展示されていたものは、写真、被害をもたらした医薬品、横断幕、遺品、図解パネル、映像といったものだが、結局中心に据えられたものは、いわば人の姿と言葉であり、言葉は説明の言葉よりも吐露する言葉である。ここには、もう宙づりになった「薬害被害者」は存在せず、薬害という言葉の共通性のみによって、立ち現れた人間の生きた歴史と息づかいがあった。薬害被害者は、痛み、悲しみ、怒りを抱えつつも、あたりまえに生きようとする存在であるということが幾ばくかでも伝わったなら、この企画展示は成功だといえるのではないだろうか。