特別講演2 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

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特別講演2

「危険な『排除社会』-ご自身の経験から考える出生前診断」

神経筋疾患ネットワーク 石地 かおる 氏 

(前頁からの続き)

自立生活との出会い

 学校を卒業したのは 1 年遅れていますから、19 歳で養護学校の高校を卒業しました。私はとても田舎に住んでいて、今のように作業所とかデイサービスが整っている地域ではありませんでした。姫路のずっと山奥のほうに住んでいたので、10 年間、また行き場所がなくなってしまい、家族と一緒に暮らすという生活を続けていました。ここから転機がやってきて、26 歳の時に自立生活センターというものの存在を知ります。

 この自立生活センターというのが、簡単に言ってしまうと、障害当事者の人たちが、昔の青い芝の理念なんかも取り入れつつ、取り入れていないところもあるかもしれませんが、「障害のある人が地域に出てきて暮らそう」ということをずっと訴え続けている組織です。これまでの障害者の自立観では、経済的自立が果たせること、少しでも健常者に近づくことを強要されてきました。私もそれが正しいと思い込んで、養護学校でもそういう教育をされてきたわけですが、自立生活センターは全く逆のことを私に言いました。「どんなに頑張っても健常者になることはないから、ならなくていい」と、「あなたは今の体で完成されているので、そのままでいい」と、そして「あなたこそがこの社会を変えていける、そういう存在になりうる、そういう個性だ」という、本当に真逆の考え方を初めて知りました。

 私は 10 年間在宅にいて、30 歳のときに実家を出ました。そのころには、神戸やいろいろなところで介助がつけられていました。当時、自立生活センターは東京が一番先進的でした。そんなわけでいろんな障害者に出会って「これはどうも自立生活ができるな」と確信し、30 歳のときに一人暮らしを始めました。そして、障害者の運動をもう 20 年続けてきたわけですが、運動の中で障害者の差別の実態を知れば知るほど、その残酷さを思い知らされてきました。それまでは気づく環境がありませんでしたが、例えば私がされたように、分離教育は障害者と健常者を幼いころから分けてしまって、一緒に生きていくことを阻んでしまうものです。施設隔離もですが、サポートがあれば地域で生きていけるのに、多くの障害者が施設の中で収容されている。あえてこの言葉を使いますが、「収容されている」という実態があります。精神障害の人、知的障害の人、あわせて 40 万人近くが日本では隔離された状況で、生活を余儀なくされています。この施設隔離について、自分で望んで入所した人はほとんどいないと思っています。
 このころ、私は高校生のときに自分の学校で起きた事件を思い出します。私が高校1 年生のとき、後輩で中学部の脳性麻痺の女の子が、自分の母親に首を絞められて、寝ている間に殺されたという事件がありました。私たちはその日学校が休みになり、次の日に全員集められて、こういう事件が起きたと校長先生から報告されました。すごくショックだったのと同時に、私は、「やばい、私も狙われるかもしれへん」と思いました。もしかしたら私の母親が私の将来を悲観して、私を殺してしまうかもしれない。そういう危機感を覚えたことを、初めて思いました。

出生前診断の問題点

 運動していく中でいろいろなことが見えてきて、出生前診断というものを知りました。デュシェンヌ型筋ジストロフィーという、進行が大変早い筋ジストロフィーの難病があります。当時、その障害に限り、体外受精が認められ、出生前診断をして、デュシェンヌ型筋ジストロフィーを排除し、家族や本人が要望してこの研究ができるようになった、というニュースを見ました。これもまた恐ろしいなと思いました。「私たちをいらないと言っている、私たちを殺そうとしている」と感じました。私はこのニュースがきっかけで、障害者の生存権というか、命をいつも脅かされている立場にいる人として、当事者がこれに対してノーと言っていかなければならないと、強く思いました。
 その後、すぐにデュシェンヌ型筋ジストロフィーだけでなく、「この障害も、あの障害も」と、いろんな障害がわかるようになりました。もう今は全ての障害がわかると思います。後天的なものについてはわからないかもしれないですけど、先天的なもの、例えば私のようなウェルドニッヒ・ホフマン病とか、二分脊椎(にぶんせきつい)とか、軟骨無形成症とか、骨形成不全とか、筋ジストロフィーとか、代表的なものはダウン症ですが、子供の時から持っている障害については、ほとんどのものが受精卵の状態で、あるいは胎児でいる状態でわかるようになっています。

 当時、当事者で反対している人たちのグループを、あまり探すことができませんでした。一生懸命探していましたが、自分たちで作ってしまうしかないと団体を立ち上げて、ずっと反対をしてきました。みなさんもきっと記憶に新しいと思いますが、新型出生前診断は、これまでの出生前診断にくらべ母体の血液の検査だけでわかるので安全だと言われています。つい何年か前、日本産科婦人科学会(日産婦)が新型出生前診断の臨床を始めると言いました。大きく新聞やテレビで報道されましたし、最近はドラマになったりもしましたが、陽性反応が出た人の 98%が赤ちゃんを堕してしまいます。ダウン症の子供はいらない、トリソミーの子供はいらない、生まれても育てていく自信がない、そういう理由で排除されていきました。私は生き残っているダウン症の人はもう絶滅危惧種だと、そういうふうに言っています。

 この 2 月の日産婦の発表では、これまで臨床研究だった新型出生前診断を終了させ、一般化すると言っています。一般化したら、誰でも自由にできるようになってしまいます。今までは一応、年齢制限があったり、決められた医療機関でしかできなかったりと、原理的なものを守ってきたと日産婦は言っています。しかし私たちは一般化することはわかっていましたから、声明文を何回も日産婦に提出して、公開座談会として日産婦の人たちとお話をする機会をつくったり、実際に倫理委員の人たちとお話したりして反対をずっと訴えてきました。けれども、反対の声があるにもかかわらず、賛成の声のほうがたくさん社会に出てきます。本当に相手にされていないと、つくづく思っています。
 その中で日産婦の先生たちのお話では、障害を持った子供を産みたくないというお母さんがいるといいます。最近はそういう言い方はしないですけど、「障害者=不幸」だという考え方が、ずっと社会の中にあります。私の心情的なことを言うと、幸か不幸かは誰かに決めてほしくありません。みなさんも同じだと思いますが、人間の中には不幸だと感じる時期と、幸せだと感じる時期が共存していると思います。自分の考え方がその出会いや環境によってどう変わっていくのか死ぬまでわからないのが世の中ですよね。それは、障害があっても同じだと思います。
 そう言うと、今度は知的障害のある人たちはそういうことを考えることができないでしょうと反論されますが、私はそんなことはないと思っています。知的障害がある人達にも感情がありますし、好き嫌いがあります。人間だから当たり前です。健常者は言葉というツールを使って話をしていますけど、言葉を使わずにコミュニケーションする人はこの世の中にたくさんいます。だから「意思疎通ができない人」という言い方は失礼きわまりない呼び方だと私は思っています。「石地さんはいいよ」ではなくて、どの人も生きていていい社会にならないとダメなんじゃないかと思っています。

 いまの日本では、母体保護法という法律で、障害を理由とした中絶はしてはならないということになっています。しかしこれも拡大解釈で、たとえば経済的理由や母体の健康保持という理由で障害児を中絶してもいいという社会になってしまっています。これは私たちにとっては人権侵害であると思っているし、私の生き方を勝手に誰かに不幸だとか気の毒だとか言われたくないと思っています。先ほどお話しした私の暗黒時代、26 歳で自立生活センターに出会うまでは、私も「自分は不幸なんじゃないか」とか、「生まれたことによって周りを不幸にさせてしまった」という考えを持っていました。そう思っていたのは間違いだということが、自分の障害をきっちり見つめなおすことによって分かりました。そして、自分こそが「違う」と言っていかないと、どんどんこのまま危険な方向へ進んでしまうと感じました。

 出生前診断は、障害児を生まない一方で、不妊治療に役に立つと謳われています。だから、「あっちを助けるとこっちが助からないから難しいですよね」とも、よく言われます。私は障害者の視点からしかものを見られないので、そう言われるととても困ります。「本当に難しいですよね」と言われた瞬間、私の胸をナイフで刺されたような、そんな感覚に陥ります。だいたいそういうことを言う人って、「もっと議論をしないとだめですね」とも言われます。けれど、私を生かすか殺すかについて、いったい何の議論が要るのかと、私はそんな感情でいます。例えば自立生活なんかをすると、公的な介助費用を莫大に使います。私もすごく使っています。これは一般的には恥ずかしいことや、税金の無駄遣いであるのだと思います。しかし私は、「みんなが私のように介助やいろんな制度を使って生きていけるようになったら、多くの人たちが気兼ねせずに堂々と生きていけるのでは」と考えています。なので、「障害者は不幸、かわいそう、資源や税金を使いすぎる」など、勝手に私にレッテルを貼ってほしくありません。これは障害者に対するヘイトクライムだと感じています。

相模原の事件に思うこと

 先ほど言ったような分離教育や出生前診断についての運動をやっていた矢先、一昨年の相模原の障害者殺傷事件が起きてしまったわけです。すごくショックでした。お配りしている資料に私の心情が書いてありますが、ここの主催の方にはとても過激な文章だと言われています(笑)。自分でもそうなのかなあと思いますが、私は言わずにはおれませんでした。今も私は事件の詳しいニュースを見られない状態です。自分がいつそのターゲットになるかわからないと、常に考えます。そして、このことに対して自分が今まで何をやってきたのだろうと常に考えます。「私たちの声がどこにも届いていないのかな」と考えるわけです。
 被告が書いた犯行声明、議員に宛てた手紙というのも実は全部は読んでいません。自分はずっと恐怖の中に居続けなければいけないのではないか、この社会に対してずっと絶望を抱いて生きていかなければいけないのではないか、そういう恐怖があって読むことができません。読む必要もないと思っています。テレビでも一切見ませんでした。ほとんどの情報はインターネットで必要なところだけ、文章を書かなければならないとか、人の前で話をしなければならないときだけ、調べています。

 恐ろしいと思った理由は、被告に対しての憎悪からではありません。「障害者は不幸、不幸を作るだけで税金の無駄遣いをするから、殺してあげたほうが本人の幸せだ」と被告が言ったとあちらこちらで読みました。けれども、それは本当に被告だけが持っている考え方なのかと、心の中でずっと引っかかっていました。「障害者は不幸だ」とか、「税金の無駄遣いだ」とか、「生きていても本人がかわいそう」という言葉を、私はこの事件が起きる前からたくさん聞いています。特に出生前診断反対の運動なんかをしていると、そういう反論をたくさん受けてきました。普通の日常会話でも、たくさん聞いてきました。なので、優生思想は被告だけが持つ特異な考え方ではなく、私を含めて一般の人が常に心の中に抱いているものだと思います。病気じゃないほうがいい、手足が動いたほうがいい、そういうことを常に考え、ばらまきながら生活してきた人たちがほとんどではないかと思いました。テレビなどでは、被告がいかに異常かということばかり報道していましたが、私はそうとは全然思いませんでした。被告がどういう人物であるかということにも、全く興味がありませんでした。どちらかというと、みんな同じではないかと思っていました。
 相模原の事件の後、いろいろな人の評論や解説にも、私は絶望というか怒りを感じてきました。この問題を常に介護労働の問題、介護の大変さとして取り上げてくる社会のありようというものに、腹が立ちました。それから、この事件で犠牲になった障害者がずっと匿名のまま報道され続けたことにも、「障害者は常に存在を消されている、そこにまだ一度も存在していない」と、ずっと感じてきました。これも私にとってはすごく悔しいことでした。私はああいう殺され方をしたら、私の名前を出して、私がどういうふうに生きてきたか多くの人に知ってもらいたいと思いました。でないと、私がそこに一度も存在したことがないことになってしまうからです。あの犠牲になった 19 人は 3 回殺されていると、私は言ってきました。1 回目は、施設に隔離されて、その存在を地域から消されたことです。邪魔だとか手がかかるという考えで一度は施設に隔離され、その地域から消されました。そして、2 回目は本当に命を奪われました。しかも、事故ではなくて、障害を理由に命を絶たれました。3 回目は、報道によって存在を消された。これだけの大きい事件でありながら、その存在を消されたことについて、私は本当に怒りを感じています。
 それからこの事件のもう一つ特徴的なことは、被告を精神障害者であったとして、事件を片付けようとしたということです。あの池田小事件にどうして学ばなかったのかとずっと思っています。誰かを異常者扱いにしておいて、精神障害であったとして、「精神障害者は怖い」ということをどんどん広めてしまう。そういう報道のありかたにすごく腹が立ちました。この事件から 1 年が経った去年の夏の報道に、被害者を偲んだり共感したりするものはほとんどなく、介護をする人へのインタビュー、共感ばかりでした。もう一つは、被告は今どうしているか。こういうものばかりがどんどん出てきました。犠牲になった人たちへの共感とか、どういう人たちだったのだろうという思いが一つも湧かず、被告はなぜ障害者を殺したのだろうと興味本位であることに、すごく違和感がありました。 

 それから、介護のしんどさとしてこの事件を片付けようとする考え方にも困ります。介護者と日々仲良く関係性を作って生活を続けてきているのに、偏見だけでそんなことを言われては困ります。もちろんそういう場面もあるかもしれないけれども、そこばかり取りざたされるのも、大変に迷惑だと感じていました。
 そして次に、親ばかりがテレビや雑誌、新聞に出てきます。この子を施設に預けないと困るとか、津久井やまゆり園はとてもいいところだったということばかり出てきます。確かにそうだったかもしれないし、それが一つも要らないわけではありませんが、なぜ殺された障害者の話が、ほとんど出てくることもないのか。多少は扱ったところもありましたけれども、圧倒的に少ないということに、障害者への共感が完全に欠落していることを感じていました。

おわりに

 そういう私の過去があって、せずにはいられないという状態で運動を続けています。私は自分の障害が出生前診断のターゲットになっているということで、たぶん一生この運動をやっていくだろうと思います。出生前診断がますます進化していって、障害者はますます肩身の狭い思いをして生きていかなければならなくなることを危惧しています。そのことに対して「いや違う」と、たった一人でも言い続けていかなければならないと思っています。
 もっと言いたい事はあるのですが、与えられた時間を過ぎたのでこれで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

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