パネルディスカッション2 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

Newsletter
ニュースレター

パネルディスカッション2

神経筋疾患ネットワーク 石地 かおる 氏
立命館大学大学院 教授 松原 洋子 氏
特定非営利活動法人ネットワーク医療と人権 理事 大西 赤人 氏
司会進行/和歌山県立医科大学医学部 准教授 本郷 正武 氏

 

(前頁からの続き)

優生思想の2つの意味

大西:
 コメントとしてはいろいろありますが、一つ提起したい点は、優生思想という言葉の「優生」という部分に、2 種類あるような気がすることです。一つは、病気であったり障害であったり、生きていくのに不自由だと思われるようなものを未然に防ごうという趣旨、つまり、医学や科学に絡んでくるものです。もう一つは、もっと観念的というか、「人としてあるべき姿」、「人としてこういうふうであることが望ましい」というものです。例えばナチスであれば「アーリア人こそ人として優れている」というようなものがありますが、イメージとしてのあるべきものに近づけていこうとするものです。この2 通りがあるような気がします。               
 前者の、身体的条件としての不自由を解消していく・治していくという方向には、例えば社会への負担――経済的負担が絡んできます。絵空事かもしれませんが、資本を潤沢に持つ裕福な国家であれば、医療費や介護の費用がかかったとしても、この条件はクリアされるかもしれません。けれども、後者の「人としてあるべき姿」が示されるとしたら、いくらお金があって面倒をみることが可能だとしても、やはり「劣悪なものは劣悪だ」ということになっていくような気がします。

 石地さんは、自分の存在について先ほどお話しされていましたが、社会に対して何かしらの人的、あるいは経済的な負担をかけていることは事実だろうと思います。例えば血友病の場合では、特に医療費ですが、製剤は今かなり良くなっていて、非常に高価ではあるものの、最近生まれた血友病の子どもだと、継続的に使っていれば、ほとんど健常なまま成人していける――つまり血友病自体がそもそも病気と言えるのかどうかという状況になりつつあります。もちろん悪くなってから治療をすることに比べたら、ある意味予防的に高い製剤を使っている方がトータルの医療費は安くなるかもしれませんが、当面の医療費としてはかなりかかります。           
 そういう中で、日本に生まれた血友病者であれば、私も含めて高価な医療費を使えています。安倍政権の下でぬくぬくと医療費を使っているのに、別の問題について「安倍首相のバカヤロー」とかと批判する時、こんなことを言っていていいのかな、とふと考えたりもします。つまり、社会に対して一定の負担をかけているのは事実であることについて、例えば石地さんはどんなふうに考えていますか?それから、お母さんのことをずいぶん話されていましたが、石地さんが成人されて30 歳で出ていって、それから20 年経つ過程で、お母さんとの関係はどうなったのかということも、聞けたら聞きたいなと思います。

本郷:
 それでは、石地さんに大西さんから2 点、社会に対する経済的負担についてどうお考えなのかということと、親との関係がどう変化したのかについて、コメントいただければと思います。

石地:
 私も介護で費用を使っているというお話をしました。そのことについて、私の中で「申し訳ない」という感情はあまりありません。私は学者ではありませんし、たくさん勉強をしてきたわけでもないので、社会の経済がどう回っているのか詳しく知りません。でも、人が生きていくのに必要最低限のお金は、優先して使った方がいいのではないかと思っています。そうである方が、どの人もその人らしく生きていけると思います。分配の問題かもしれませんが、介護や医療に使っているお金は多いということだけが取り沙汰されています。しかし、それよりもっと使われているお金はたくさんあります。実は戦争の準備をしている、ということがあるのではないかと思っています。

 お金の使い方は、見直していく必要があるのではないかと思います。2003 年まで、障害者の介助費用はほとんど使えませんでした。2003 年に大きく運動をして、望む人には公的費用を出すように変わったのです。それを機に、全国に自立生活センターが百数十ヶ所できて、ある程度意思疎通ができる障害者や施設を出たい障害者が自分の意志で出てこられるようになりました。なかなか大量の交渉がいりますが、24 時間の介助保障もある程度充実してきました。
 そのころ勉強会で教わった話ですが、国の予算で障害者が使っている額なんて本当に微々たるものだそうです。「皆さんが5、6千円のコースを食べた後に、何百円のコーヒーを一杯飲むくらいしか使っていない。額だけを取り上げて『使い過ぎだ』と言うのは良くない」と言っている人がいました。本当にそうなのかどうか知りませんが、私はそういった考えを持っています。介護や医療の費用にお金をたくさん使うということは望ましいことではないかと思っています。
 2 つ目の質問として、家を出た後の20 年間の母親との関係ですが、母から離れたことによって、母が悲しみから差別的な言葉を吐くのを見ずに済むようになりました。母も私の反論に付き合わなくて済むようになったのです。今も決して折り合いがついたわけではありませんが、関係性としては、私が家を出て5 年が過ぎたころに良好になりました。障害児を産んで嫌だったという話をたくさん聞かされても、ここまで私を殺さずに育てたということは事実なわけです。きちんと洋服を着せて、きちんと食べ物を食べさせて、具合が悪くなれば病院へ連れていき、きちんとした育児をしてくれたと思った時期がありました。それについて、母親に「私を産んでくれて、ここまで育ててくれて本当にありがとう。感謝しています」と言ったことがあります。母は私を産んだショックでうつ病になり、その後遺症で聴覚障害者になりました。全く聞こえないわけではないですが難聴となり、電話ができないので、やりとりをメールで行いました。「上手に育ててあげられなくて本当に申し訳なかったけれど、あなたを生んで本当に良かったと思っている」、そして「自分が何もできないのに、強い意志を持ってこの家を出ていったことは、すごく評価している。自慢できる娘である」と、自立生活を始めて5 年目に話しました。そういう会話をしたのは初めてだったので、
その時はたいへん救われた感じがしました。私が家を出たことで、関係性がもう一度できたのだと感じています。

本郷:
 ありがとうございます。大西さんのコメントの中で、優生思想には2 つの側面があるのではという話がありました。生きていく中で不自由なことをいかに解消・防止するかというときに、医療に手を借りるという話があります。もう一つは人としてあるべき姿に近づけていくという話があります。デザイナーベビーではありませんが、「こういう人種がいい」とか「こういう人間でないとダメだ」というものです。そういう2 つの側面に整理をされていました。この点について、松原さんのほうからコメントやご意見があればお願いします。

松原:
 まずは、大西さんが言われた優生思想の2 つ目の面の「人としてあるべき姿に近づけていく」についてです。普遍的で抽象的な規範や理念について論じることは可能です。それはそれとして、歴史を実証的な方法で追っている者からすると、「これは当然いいことだ」というものが、いかに時代の条件にからめとられ制限されているかということをつくづく思います。
 例えば、先ほどお話しした戦後の優生保護法下の手術です。優生保護法ができた1948 年は昭和23 年です。連合軍の占領下にあり、日本国憲法ができたばかりのときです。「軍事国家から文化国家へ、民主的な国家へ」というスローガンを必死に掲げていました。その中でこそ、優生保護法が重要だと言われていました。強制断種規定などが入っているので、国は憲法違反や人権蹂躙になるのではないかと検討をしています。最終的には、公益上の理由と同時に、憲法で文化的な生活を保障することに関して、「知的障害の人や精神病者は文化的な生活が享受できない」としました。つまり人権において文化的な生活を享受することが条件の一つであった時に、とうていそれは享受できないと最初から決めて、人権の範囲を著しく制限しているわけです。
 今では、例えば知的な障害を持った人でも、その人の好みや意向は明確にあり、その感じ方や考え方を尊重するのが福祉の基本理念になっています。70 年前は、そうではありませんでした。1950 年にできた精神衛生法の趣旨は、私宅監置で座敷牢を法的に認めている状態から、精神病者が病院で治療を受けられるようにすることでした。そういう意味では人道的でしたが、先進国では施設に精神病者を留めておくことはもう時代遅れで、病院から早く退院させて、地域でケアや治療をするという流れになっていました。しかし日本は、病院収容という段階を通っていなかったため、結局は患者を強力に病院に収容していくシステムを作ったわけです。この流れについて、まず、障害者や女性に対するものの見方が大きく変わってきたということが言えます。同時に、日本は戦前の総力戦国家・大日本帝国が崩壊し占領され壊滅的な状態で、占領政策のもとで、いろいろな制度を作ってきました。それで変わってきた部分もありますが、基本的構図が変わらないまま戦後何十年も続いてきた部分もあります。精神衛生政策やハンセン病政策、優生保護法にはそういうところがあります。

 私たちは素朴に「幸せだな」とか「辛いな」とか「不幸だな」と思ったりします。そういった素朴な直観を抱きながら生きています。一方で、幸・不幸を他者にあてはめたり、幸・不幸の概念を何らかの形で操作するような議論や理念、政策、法律が作られていきます。大きな価値だけではなく、当事者や政策立案者やいろいろな立場の人が、衝
突やコンフリクトを起こしながら議論や行動をすることが大事だと思います。最近そういう場が失われてきていると思います。70 年代は意見が対立する者が正面衝突してケンカをしていました。しかし、現在では政策決定過程にステークホルダーの意見を聞く手順がくみこまれてきました。「市民の声はパブリックコメントで」、「こういう委員会に代表としてお呼びします」、「シンポジウムにお招きします」などです。そこに何らかの形でコミットするのも大事だと思いますが、そうでない場が少なくなってきていると思います。そうでない場、つまり騒ぎを起こす場というとなんですが、それもあったほうがいいのかなと思っています。

幸・不幸という概念

大西:
 先ほどから何度か出ている言葉に、「幸せ」とか「不幸」という概念があります。障害を持っていると、あるいは血友病・遺伝病を持っていると不幸だとか、そういう幸せや不幸というものが自明のものとしてある。人としてこういうものが幸せ、こうだったら幸せということが、論議されないままに決定されている。例えば自分自身を考えた時に、「血友病=障害」ではないけれども、小さい時から現に身体が悪くて中学生の時は車いすでほとんど立つこともできない状態を経験し、自分は今後二度と歩けないのではと想定していた時期もありました。弟は脳内出血の後遺症でてんかん発作を繰り返し、知的な障害もある様子を身近に見ていましたし、そういう中で言うと、「幸せ」という言葉を使うかどうかは別として、何かができないよりはできるほうが、「望ましい」。例えば自分がいま松葉杖で歩いていて、電車に乗って、座れないと東京駅まで立って、新幹線に乗り換えるともう疲れ切っているような状況に比べたら、歩けているほうがいいよな、と思うのは事実です。

 話がずれますが、最近、3 歳くらいの血友病の子を見ていたら、正座をしているんですよね。自分は、生まれてから正座をしたという記憶が全くありません。同じ血友病でも、走っている子を見た時には、「走れるんだな」、「自分も昔は小走りで歩いていたな」と思います。しかし、血友病の子が正座しているのは自分と全く隔絶した世界の出来事なので、想像を絶しているわけです。それは非常に卑近かつ極端な例ですが、何かができる――例えば見える、聞こえる、身体が動かせるということは「望ましい」というところはある。血友病の仲間とも、「血友病が治るとしたらどう?」というばかばかしい話題になると、「別に治りたくないね」という人もいるし、「(治るけど)副作用があったら嫌だよね」という人もいます。
 例えば障害者でもいいとか、血友病でもいいとか、障害を持つ子供のお母さんがよく、「この子が生まれてよかった」と、育てた後で言います。それは、××「でも」よかった――××「のほうが(健常よりも)」よかった」ではなく、「×× であっても、この子が生まれて良かった」という意味合いのように思います。自分自身でも、「血友病で自分はこうなった。今の自分がある」と思う反面、血友病でなければより良かったという素朴な感覚は完全に否定しきれない気がします。石地さんとは最初の打ち合わせのときにそのあたりのことが話題に出たので多少誘導的になりますが、可能性として自分の身体が治るとしたら、どう考えますか。

石地:
 その質問をきっとされるだろうなと思っていました。以前、大西さんにお会いした時に、「もし、副作用も何もない、元気に健常者になれる薬があるとしたら、飲みたいですか」と聞かれました。私は「飲みたくないです」と即答しました。大西さんに限らず、いろいろな人が私に聞きます。しかし、私は生まれた時からこの状態で、便利だった状態を自分で体験していません。何かをしてもらうということが当たり前でした。もちろん行けないところやできないことがたくさんありました。けれど、その状態のままそれなりに生きてきました。自分が特別何かができないと考えたことがなくはないですが、そのことでとても悲しんだとか悔しいということは、あまり思いつかないです。
 特に自立生活をしてからというものは、できないものはないと思いました。なぜなら、介助者が24 時間いれば、ほとんどのことができるからです。信じてもらえるかわかりませんが、例えば私は口だけで料理をします。ボイスクッキングと言うらしいです。ずっと私が後ろにいて、介助者が私の指示通りに動きます。このタイミングで塩を入れたいとか、強火にしたいとか、切り方はそうじゃないとか言うと、誰が作っても私の料理の味になります。「そんなちっぽけなことじゃないよ」と言われるかもしれませんが。
 ある時、自分にできないことがあるということについて考えたことがあります。特に、嫌なことをするとき、「私は障害があるから」と障害のせいにして、人前に出たくありませんとか、やりたくないことを回避してきました。けれども自立生活では、やりたくなくても介助者をつければできるのだから、「できないことはない。これからは責任をとって生きていかなければならない」と思いました。身体はとても弱いです。筋肉が使えないので呼吸しにくく、酸素がよく低下します。食べ物もよく喉に詰まります。細かく切ったり、ミキサーしたりしないと、ものを食べることができません。そういう食べ方なので、栄養が摂取しにくく貧血になるなど影響が出てきます。だからといって不幸かというと、あまりそうは思っていないです。工夫をすれば食べられるし、生きていけます。
 余談ですが、障害を持っている人たちが「幸せです」とよく言います。「私は幸せに生きているのだから、私を勝手に不幸だと言わないでくれ」と、よく言うのです。「結婚も恋愛も出産もしたし、私は幸せだ」と。なぜ障害者だけがこんなに、「私はあれもこれもできる。幸せだ」と訴え続けなければならないのか。そのくらい不幸だと思われているし、そう言わないと殺されてしまうからです。だから「幸せだ」と言い続けているのです。私も過去にそう言っていましたが、もう言わなくなりました。
 今、フロアに松永さんがいらっしゃいますが、彼も障害があります。この前、一緒に不幸な子どもの生まれない施策について松永さんをお呼びして勉強会をしました。以前、障害者が生きていけると知らない時には、不幸だと感じた時期が私もありました。それがお話しした、人生における暗黒時代です。でも、障害があって幸せだと感じた時も、26 歳のときにやってきます。松永さんがその考え方をグラフにして、分かりやすく説明してくださりました。「障害は不幸だ」とレッテルを貼られますが、私が幸・不幸を感じる時は、どちらも障害に起因しています。障害があって幸せな時もあるし、不幸な時もあります。けれどもそれは誰の人生でも起きることです。「障害=不幸」とか、「障害=治さなければならない」とか、そういうものではないと思います。

本郷:
 誰でも幸せ・不幸せとか主観的なものはありますよね。もう一つ、松原さんの講演についてです。女性の権利といいますか、リプロダクティブヘルスとかライツとか言いますよね。時代によって人のあるべき姿が変わっていくという話がありましたが、女性の産む権利、「こういう子どもが欲しい」とかの権利があります。石地さんの資料に「日本産科婦人科学会に対する緊急声明」がありますが、この話と女性の権利はどういう関係にあるのでしょうか。石地さんに、この声明に関して、女性の立場はどう折り込まれているのかお伺いします。また、松原さんの方から現在の状況などを説明していただきます。

産む権利と優生思想

石地:
 私は障害者である前に女性なので、女性の権利を考えずにきたわけではありません。産む・産まないの権利は女性にあると言われています。確かに、産む・産まないの権利は女性にあると思います。しかし、どんな子供を産むか産まないかという権利は本当に女性にあるのだろうかと思っています。例えば「背が高い子が欲しい」とか「勉強ができる子が欲しい」、「障害がない子が欲しい」と選ぶというのは、倫理的にどうかと思っています。
 それから、中絶をするかしないかも女性の権利だと言われます。これを言うとかなり怒られますが、私の考えでは、妊娠するかしないかは女性が決められると思います。端的に言うとセックスをするかしないかです。ただ、女性が置かれている状況によって、望まないセックスをさせられることが多々あります。デートレイプという言葉もありますが、女性のほうが圧倒的に力が弱いために、行為を持ちたくなくても恐怖からOK してしまうことがあります。
 レイプで子供ができてしまった人についても、「その子供を産めというのか」とよく言われます。私はそういう話をしているのではありません。男性と女性の権力関係について、もっとよく考えなければならないと思っています。なぜ男性が女性よりも強く、セックスできる力を持っているのかよく考えなければならないと思っています。女性がこの社会で守られていないのと同時に、男性も男性としてこの社会で抑圧を背負って生きていると思います。男性は力強さを期待され、昔であれば戦争に出なければならず、今であればよい大学に入り、よい会社に入りよく稼ぎ、子どもと妻を養わなければならない。マッチョな部分を期待され、男性はたった一人、孤独に戦っていかなければなりません。
 この前提があり、女性は男性に尽くす人、応える人として、常に男性のお世話をしてきました。その結果、男性を癒すために、女性が性的にも犠牲になってきました。この背景を抜きにして、女性の産む・産まないの権利を主張するのでは、問題が解決しないと思っています。男性たちもどうやって社会の抑圧から解放されていくか一緒に考えていかないといけません。それを放置したまま女性の産む・産まないの権利を考えるのは、あまり発展的ではないと思っています。

本郷:
 ありがとうございます。では、松原さん。

松原:
 人権や権利という概念は普遍的なものです。ですが、人は哺乳類の一種で、妊娠して産む特徴のある人と、そうでない人にはっきり分かれています。生物学的には自己分裂して個体を増やしていくのではなく、両性で子孫を増やしていきます。さらに、哺乳類ですので陸上で生殖を繰り返せるように子宮や授乳機能を持っています。人は哺乳類の一種だからこそ、生殖における役割の重さに圧倒的な偏りがあります。
 人権という概念を使ってなんとかやっていますが、生殖役割の不均衡を考えなければなりません。女性の権利を語る時、不均衡を前提に、補正や微修正をしなければならないと思います。余談ですが、人はそれぞれ違うのに、文明化という概念のもとでは「人」は全く同じであるかのように考える。地球外の知的生命体があるとすれば、この矛盾が彼らにとっては面白いのではないかと思っています。宇宙人から見ても面白いのではないかと思うくらい、人の性と生殖は、とてもバイアスがかかった営みです。
 それから、石地さんのお話をとても共感して伺いました。私の観点から言いますと、障害のあるなしに関係なく、自分が産んだ子供についてとやかく言われない権利がない限り、自己決定権や産む権利は空疎だと思います。空疎というか、暗黙の前提の非常に限られた範囲の決定にすぎません。それをわきまえて議論するべきです。「障害がある子を産む・産まないということも同じレベルの権利だ」と言えない状況にあるのに、あたかもそれが成立する言い方をしているのは全くおかしいと思います。
 私が優生保護法の歴史を調べて注目していることがあります。終戦後の大陸からの引揚げの研究をしている人たちにはよく知られていますが、中国や朝鮮半島を経由して引揚げ船に乗り日本にたどり着いた女性たちは、全員スクリーニングされていました。妊娠していたら病院に連れていき中絶させたり、生まれた子を殺したり生まれた子を孤児院に入れたりしていました。それがおそらく優生保護法で中絶を合法化していく切実な動機のひとつになったのではないかと考えています。GHQ や厚生省も引揚げ女性に対する中絶を承知していたのはよく知られた事実です。誰がどのように、ということを今調べているところです。

 当時のキーワードに「不法妊娠」というものがあります。違法行為であるレイプの結果としての妊娠、という意味です。しかしその含意は、その胎児は混血児である、性病に感染している可能性がある、ということでした。つまり人種と性病予防という優生学的な観点で、「内地」を守ろうとしたのです。そして、引き揚げてきた女性を妊娠可能性のある人としてスクリーニングし、対処していた。中絶を「不法妊娠だからよい」とした。妊娠に合法も不法もないと思います。ただ、この行為が正当化できなければ刑法違反になります。そこで、無理やりなんとかする。女の人が、引揚げ船から身投げする。これは、引揚げの体験談としてよく知られている光景です。厳しい経験をしたあげくに妊娠し追い込まれたためだとみられています。当時切実な状況があったということは、理解できます。けれどもその問題への対応を法や行政の仕組みに組み込もうとしたとき、不法妊娠という概念が使われたのかもしれません。
 そして先ほどの「不幸な子ども」。これは、当時としては人道的な表現をしようとしていたのだと思います。その前は「劣悪な遺伝子」とか「不良」、「劣悪児」と言っていたのを、その代わりに「不幸」と言っているのです。「不幸」と言っている側は「劣悪」と言うよりはずっと「優しい」と考えていたはずです。しかし実際には、障害を
持った子どもを増やさないようにしたい、生まれないようにさせたい、という点では共通しています。
 けれども、「不幸」と名指しされ行政の取り組みに翻弄される側の人間が「不幸ではない、幸せだ」などと言うと、相手の土俵に知らず知らずのうちに無理やり取り込まれてしまうのではないでしょうか。「不幸な子ども」は行政のスローガンに過ぎないのに、それに立ち向かわざるをえない状況になったとき、巻き込まれるわけです。そういった表現を分析して、行政にはどのような暗黙の戦略があるのかを明らかにすることが自分がなすべきことではないかと考えています。とりあえず「不幸ではない」と言い続けざるをえないのはよく分かります。しかし、なぜ「幸せだ」とわざわざ言わされなければならないのか。それはつまり「不幸だ」と言われることで、そうせざるをえないように追い込まれているのではないか。幸・不幸は、原則的な概念ではありません。戦略的に作られているのです。直観的に「これなら受け入れられる」、「共感できる」というような要素もありつつ、それも利用しながら戦略的に言説が作られているので、ウォッチしていかなくてはいけないと思っています。

大西:
 今パラリンピックが行われていますが、私は大嫌いで、ほとんど見たことがありません。「お前、やれないからだろう」と言われるとそれまでですが、パラリンピックを見ていると、障害者が「ここまで健常者に近づくことができる」ということを一生懸命やっています。全く違うことをやるなら分かりますが、「より速く・より高く・より強く」の延長線上で、絶対に不可能な次元に「亜種」の競技で近づいていくありかたが嫌なんです。「障害者」を規定することで、「健常者」と「障害者」の間に完全なボーダーラインができ、「あっちは幸せでこっちは不幸せ」とか「あっちは劣悪でこっちは優良」とか区分けが行われてしまう。それによって、「あの人たちは自分たちとは違う」と思うことができる構図が作られる。

 日本の場合、つい最近、健康増進法という法律ができました。「国民の責務」として、「国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない」という法律ができているわけです。ということは、国民は健康でなければいけないわけです。では「健康」とは何なのかという話になりますが、一般的に言うと、「五体満足」、「病気ではない」、「ちゃんと動ける」、つまり「障害ではない人」としか読み取れません。では世界的に「健康」がどう定義されているかというと、WHO(世界保健機関)が1948 年に定義した「健康」は、日本語の訳では「身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」――つまり「病気でない=健康」ではないわけです。身体的・精神的・社会的に良好でなければ健康でないという、とても広い範囲の定義が行われています。障害がない人であっても健康とは限らない。障害がなくても精神的・社会的に完全に良好でなければ健康ではないという定義ですが、日本における健康増進法では、そこを極めてあいまいなかたちにして、イメージが先行して法律が作られています。このあり方は、世の中の構造が変わっていない、あるいはむしろ法律で強められていることの一つのあらわれではないかと思います。

本郷:
 最後に、今日ご講演いただいたお二方からコメントいただければと思います。

石地:
 私もパラリンピックは嫌いです。少し前に「感動ポルノ」という言葉が流行り、「24時間テレビ vs バリバラ」というテレビ番組も流行ったと思います。どちらも嫌いです。バリバラが良いかというと、そうとも思っていません。障害者と健常者のボーダーラインというお話がありました。分けること自体が既に差別を作り出しているので、そういうことは別にしなくていいと思います。「あの人は障害者である」として医療や制度を受けるという意味ではある程度分ける必要があるのかもしれません。しかし本来的には、必要がある人には必要な分だけ社会保障が保障されるべきだと思っています。別に障害者手帳がなくともよいのではないかと思います。本人が障害者であると思っていれば、この社会で生きづらさを感じているのであれば、それは障害者でよいのではないかと思います。
 生きづらさの線を引いて、「障害者だから、ホームレスだから、外国人だから生きづらい」など、そういうものを早く取っ払いたいと思っています。生きている間には実現できないかもしれませんが、そこを力づけていけるように、これからも自分の身体を武器に闘っていこうと思っています。ありがとうございました。

松原:
 最後に、これまでしたのとは少し違う話をします。私には身内に、数年前から人工透析をうけながら働いている者がいます。一時、あるアナウンサーが「人工透析患者は自業自得だから、自費負担にせよ」とSNS で発言して物議をかもしました。私はあの時、ひやっとしました。障害者手帳を持っている人が身内にいるわけです。あのひやっとした感じよりも、もっと強い危機感を日々持たざるを得ない方がたくさんいるのだろうと思います。
 人工透析にはとてもお金がかかりますが、こういう医療や福祉が日本にあって、これまでに近い暮らしができます。いろいろな医療の扶助を受けていることについて、お金がかかるから悪いと一切思わない自分を発見しました。

 人は違うのが当たり前です。まず「人とはそういうものだ」という前提で制度設計し、お金をどう使うか考え、かつお金がなければどう稼ぐか考える。要は、税収が必要ならどう増やすか、あるいは税金を使わないやり方がどうしたらできるのか。そういう設計の問題かなと思います。今日はどうもありがとうございました。

本郷:
 障害者本人や女性だけに問題の解決を押し付けないということでしょうか、いろいろな立場の方が関わっていくのが重要なことかなと思いました。また、今後生まれてくる人たち、既に生活している人たちがそれぞれ考えて、どんな制度設計が行われているのか注視することも重要なことだと思います。今日はありがとうございました。