基調講演2-2 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

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基調講演2-2

「日本の『ゲイ』とHIV/AIDS」

大阪市立大学大学院 創造都市研究科 准教授 新ケ江 章友 氏

(前頁からの続き)

日本におけるエイズの歴史的背景 -『ゲイ・コミュニティ』言説に着目して

 「日本におけるエイズの歴史的背景 -『ゲイ・コミュニティ』言説に着目して」ということですが、この会場にいらっしゃっている方は、もしかしたらほとんどご存知の方が多いのではないかと思うので、あまり詳しくお話しするつもりはありません。しかも、先ほど稲場さんからもお話がありましたので、ざっと簡単に振り返る形で見ていきたいと思います。この内容について詳しく知りたい方は、私が書いた本に書いてあります。「買ってください」とかではなくて(笑)、ほとんどの図書館に入っていると思いますので、興味のある方はそちらの方も読んでいただければと思います。

スライド4

 スライド4では主体という言葉を使っているのですが、「主体的に行動する」ということについて、我々は非常にポジティブな印象を持っています。「自由が保障された上で、自分自身の意思に従って自由に行動する」ということが主体という言葉の意味です。しかし、主体という言葉には、もう一つ別の意味があります。それは「服従する」という意味です。ミシェル・フーコーというフランスの哲学者がいるのですが、フーコーがこの主体という問題について研究をしてきました。一般的に日本で言う「ゲイの主体化」というと、ゲイが自分のアイデンティティにプライドを持って主体的にコミュニティを作っていって・・・というような形で、プラスの意味があるのですが、逆にその裏には「服従する」という別の意味があるということです。このことについては後ほどお話ししますが、そういう意味でゲイの主体化の系譜をざっと簡単に見ていきます。

 1970年代に「薔薇族」というゲイ雑誌が出てきて、同性愛に特化したメディアが出てきました。1980年代になってくると、エイズが社会問題化してきます。1981年にアメリカ合衆国で最初にエイズが出てきて、それが日本でも社会問題化する過程において、「動くゲイとレズビアンの会」をはじめとするNGO、あるいは大学の中にもゲイ・サークルというものが次第に出てくることになります。1990年代になってくると、ゲイ男性に対するエイズ予防啓発が公衆衛生との連携の下に始まっていくということで、これも先ほど稲場さんからお話がありました。こちらも後ほど詳しくお話ししますので、ここでは端折ってお話をします。2010年代、今の時代になってくると、同性パートナーシップをはじめ、企業などでのLGBTの可視化、あるいはLGBTの市場への取り込みが進んでいくような形になっていきます。

 1980年代の日本のエイズと男性同性愛者ということですが、ここも簡単にお話しさせていただきます。このエイズという病気は、今までになかった病気でした。1981年にアメリカ合衆国のゲイの人たちの間でいちばん最初にこの病気が見つかったことによって、この病気は同性愛者の病気だというような、「謎の疾患」ということで対策が取られていくことになります。その時に日本のメディアがこの病気をどう捉えたかというと、奇病、あるいはスライド5には「アメリカ社会の病理」と書いてあるのですが、1970年代からアメリカでは性革命運動というものが始まっていましたので、その性革命運動によって、アメリカのそういう自由な社会が生んだ病理というような表象がされることになります。

スライド5

 一方で、日本にはそもそも同性愛者がいるのかということが当時メディアの中では言われていました。その中で特徴的に言われていたのが、「日本のホモ社会(講演ママ)はアメリカに比べて健全である」ということです。「アメリカの同性愛者は多数の相手と性的な交渉をするのに比べて、日本の同性愛者はおとなしいんだ」というようなことが言われたりします。したがって日本におけるエイズの危険性は少ないというような表現が見られ、日本の同性愛者に対する報道は当時ほとんどされていなかったという状況がありました。こういう報道の流れの中で、日本のエイズ第一号患者が出てきます。

 もう亡くなられた安部英氏を班長とする厚生省の「AIDSの実態把握に関する研究班」が、その研究報告書の中で「アメリカ合衆国から一時帰国していた日本人のゲイ男性が検査の結果、日本の第一号エイズ患者と認定された」と発表し、いわゆるこの「順天堂大症例」が日本のエイズ第一号患者だと報道されることになります(スライド6)。さらに、「実は血液製剤によって感染した人が先にいて、厚生省は血液製剤によるHIV感染の問題を伏せるためにアメリカから一時帰国した日本人ゲイ男性を第一号患者にした」という報道もなされました。

スライド6

 ここまでのお話を簡単に復習しますと、1980年代の最初は「エイズはアメリカ合衆国の謎の病気で奇病だ」と言われていました。その後、それが日本に入ってきましたが、「日本にも同性愛者はいるかもしれないが、どういう人か分からない」ということで、対策がきちんと取られなかったわけです。その一方、では日本でHIVを感染させるリスクがある人は誰なのかというと、実は女性であるということで、日本ではパニックが起こります。


スライド7

 スライド7でお示ししているのが、第1次エイズ・パニックと言われているもので、1986年から1987年にかけて、かなりメディアがエイズを取り上げます。その時にリスクの高い人と言われていたのが、いわゆる女性だったわけです。その女性というのが、長野にいるフィリピン人の外国人女性であり、神戸のセックスワーカーだったのではないかと言われた女性であり、高知の血友病患者の奥さんでした。実はこの方は妊娠していたのですが、日本では、外国人女性やセックスワーカー、妊婦、そして母という女性の表象を通してパニックが起こったのです。一方で、日本人の男性同性愛者に関しては、ほとんど着目されませんでした。

スライド8

 第2次エイズパニックというものが1990年代になってくると起こるのですが、この時のパニックは、国内のHIV感染者、在日外国人感染者、異性間での感染の増加ということで、タイをエイズの世界的流行の中心という形で報道されました(スライド8)。1998年にはフジテレビで「神様、もう少しだけ」というドラマがあったのですが、皆さんご存知でしょうか。このドラマでも、HIVに感染していたのは女子高生、つまり女性でした。ですので、日本でエイズに関するパニックが起こる時は、こういう女性の表象、つまり外国人であったりセックスワーカーであったり、あるいは女子高生というような形を通してパニックが起こっているわけです。

 結局、外国人女性やセックスワーカーがリスクであるということは、そのリスクにさらされている人は誰かというと、異性愛の男性ということになります。ですので、日本のエイズにおけるこういうパニックの状況を見てくると、「リスクにさらされているのは異性愛の男性であって、危険なのは女性だ」というような表象がされているわけです。そういったことを背景に、アメリカ合衆国の中では「男性同性愛者のリスクが高い」と言われていたのですが、日本の中では男性同性愛者がほとんど着目されることがないまま1990年代を迎えることになります。

 私はゲイ雑誌をいろいろ調べてみたのですが、1980年代にゲイ雑誌の中でエイズのことがどう書かれていたのかを見てみると、共通したパターンがありました(スライド9)。一つは、自分たちがアメリカのゲイ男性と類似しているような行動をとっているということです。性的な関係にしてもそうですが、「自分たちはアメリカ合衆国のゲイとは別に違わない。自分たちはアメリカ合衆国のゲイと類似しているんだ」というようなことが言われる一方で、外国人男性同性愛者を日本のコミュニティから排除しようともしています。例えば、ゲイバーやサウナに立ち入りを禁止するというような語り口も出てきます。

スライド9

 もう一つ、これはゲイ雑誌「薔薇族」の中に書かれていたのですが、「結局エイズという問題は、愛するということではなくて、自由にセックスをすることが優先されてしまったゲイ自身、つまり私たちの問題なんだ」ということが結構書かれていました。これはどういうことかというと、結局「自分たち自身が悪いんだ」と自分たちに責任の矛先を向けているわけです。そういう形で、自分たち自身を責めるといった言説のパターンが見られます。

 ですので、日本の1980年代を見ると、メディアでは「リスクにさらされているのは異性愛の男性であって、ハイリスクの人たちは女性だ」という表象がされて、同性愛のことは無視されているわけです。でも一方で、ゲイ雑誌の中を見ると、ゲイの人たちもすごくこのHIVの問題に対しては不安になっていて、自分たち自身の問題だということで、自分たち自身を責めるような語り口のパターンが見られてきます。これが1980年代までの状況なのですが、1990年代になってから日本の男性同性愛者に対するエイズ啓発という文脈が大きく変わってきます。

 そのきっかけになったのは、1994年に横浜で開催された国際エイズ会議です(スライド10)。これも稲場さんがお話しされていたところですが、日本にはその当時、同性愛者の人たちに対する予防啓発はほとんど何もされていませんでした。しかも、どのくらいのどういう人たちがどういう性行動をとっていて、どのくらいのリスクがあるのかというのは、その当時ほとんど分かっていませんでした。もちろん名古屋の研究者の人たちが行っている調査など一部はありましたが、大規模な調査はほとんど行われていなかったわけです。ですので、その国際会議の時に、海外の研究者から「日本はどうなっているんだ。同性愛者の研究はやっているのか」といろいろクレームが付きました。ここから日本のエイズ研究者の人たちが、日本の同性愛者のことについてもきちんと研究しなければいけないのではないかと思い始めて、ここで風の流れが変わってくるわけです。

スライド10

 その次の年ですが、1995年からHIV疫学研究班という厚生省がお金を出して作った研究班が、通称「ハッテン場調査」といって、ゲイの人たちが集まってくるサウナに捨てられている精液の付いたティッシュペーパーを採取してきて、そこに付いている精液の中にHIVがどれだけ混入しているのかという調査を行うことになりました。このような流れの中で、HIV予防の問題にゲイ男性自身がどのように取り組んでいくのかということを、ゲイの人たち自身で話し合われていくような状況に変わってくることになります。ただ、やはりゲイの人たちにもいろいろな立場がありますので、自分たち自身の問題としてHIVの問題に取り組むべきではないかという人もいれば、こういう調査をした研究者に対して非常に批判的な目を向けていたNPOやNGOもありました。そういった中で、国の研究班との距離をどう取っていくかということが大きな問題になっていくことになります。

 稲場さんのお話にもありました、エイズ予防啓発の文脈における権力関係の戦略ということですが、結局予防活動をするためにはお金がいるわけです(スライド11)。そのお金をいちばん握っているのは厚生労働省です。ですので、厚生労働省の研究者と協働することによってお金がたくさん入ってきます。つまり言い換えれば、エイズ予防啓発の予算は疫学研究者との協働によることでしか獲得することができないということです。でも、そこに抵抗すればお金は入ってきません。そういう力関係が発生してくることになります。

スライド11 

 協働しなければ予防啓発は難しいということで、NPOは予算を獲得するためにどうすればいいかということを考えていかざるを得ないような状況になっていきました。疫学研究者との協働か、それともNPO独自に活動していくかという問題がここで発生してくるわけです。先ほど「動くゲイとレズビアンの会」の話が出てきましたが、2000年代以降になってくると、「動くゲイとレズビアンの会」はNPOとして自分たち自身で厚生労働省から予算が獲得できるようになっていきます。ですので、疫学研究者と協働しながら予算を獲得する他にも、NPOが厚生労働省から直接お金をもらって予防活動をすることもできるようになりました。
 ただし、厚生労働省側としては、数値的なエビデンス(根拠)、つまりゲイの人たちがコンドームを使わないセックスをどれだけやっているのか、あるいは彼らがHIV抗体検査をどれだけ受検しているのか、またはどういう性行動をとっているのかなどといったデータが今までなかったわけですから、そういったデータがないとお金の下ろしようもないわけです。ですので、疫学研究者と協働することによってそういった調査をして、数値的なエビデンスを出すことが大事になります。疫学研究者との協働によって数値的なエビデンスに基づく活動をしたNPOには大きな予算が配分されるようになってくるということで、ここでゲイ・コミュニティ側と研究者、あるいは国、予算の問題をどう考えていくかということが大きな問題になってくることになります。

スライド12

 スライド12では具体的なNPOの名前を出してしまっているのですが、NPOによるHIV予防啓発活動の一例です。「ぷれいす東京」というHIV陽性者支援を長年重点的に行っている団体がありますが、この団体は1995年以降のハッテン場調査に協力しました。実は、ぷれいす東京のメンバーの人たちは、この疫学研究者のハッテン場調査に協働せざるを得ないような状況に追い込まれていたのですが、この調査が非常にコミュニティの中で批判を受けました。それで、ぷれいす東京はこういう形での疫学研究者の調査にはこれからは協力しないというスタンスをとりました。「動くゲイとレズビアンの会」は、当初は疫学研究者と協働してやっていたのですが、2000年代になってくると独自に予算を厚生労働省から獲得できるようになり、自分たちで活動していくという方向になりました。「MASH大阪」という団体は、疫学研究者、行政、ゲイ・コミュニティとの協働によって予防啓発活動を展開しています。MASH大阪は丁寧なゲイ・コミュニティの協力を得て、アンケート調査をとり、その数値的なデータに基づいて、どういうところにどういう介入が必要なのかということを事細かにターゲット化して、予防活動を行っていきました。さらにHIV抗体検査イベントを開催したりして、コミュニティをベースにした予防活動を強調しています。

 エイズ予防指針に関しては、先ほど稲場さんがお話しされたところですので、簡単にお話しします(スライド13)。1999年にエイズ予防指針というものが作られることになって、その中に個別施策層という概念が登場してきます。青少年、外国人、同性愛者、性風俗従事者とその利用者という4つを個別施策層として設定することで、ここに重点的に予算を下ろすという施策が作られることになります。先ほど稲場さんがおっしゃられた通り、「国および都道府県などは、個別施策層に対して、人権や社会的背景に最大限配慮した、きめ細かく効果的な施策を追加的に実施することが重要である」ということが指針に書き込まれて、初めて予算が付きました。結局、予算の根拠になったわけです。今後の国の予算獲得のための根拠として、この個別施策層というものが非常に重要な意味を持ってきたということになります。

スライド13

 このように、ゲイ・コミュニティにエイズ予防のためのお金として国の予算が投入されるようになったことによって、日本の中でもこの「ゲイ・コミュニティ」という言葉が流通し、使われるようになってきます(スライド14)。もちろん、もともと新宿二丁目や、大阪でいうと堂山などにはコミュニティがあったではないかと言われますが、「ゲイ・コミュニティ」という言葉そのものがゲイの人たちの間で非常によく使われていくようになりました。そして、1990年代からの国家によるエイズ予防施策のための資金提供によって、「ゲイ・コミュニティ」言説というものが作られていったということになります。

スライド14

 なぜゲイ・コミュニティというものがエイズ予防の文脈の中で必要なのかということなのですが、それは自分自身がゲイだということにプライドを持って、それらゲイの人々がゲイ・コミュニティを作り、たくさんのゲイがそこに参加することで、エイズ予防ができる責任ある主体となることが期待されているからです。これは別に日本に限ったことではなくて、当時の世界的なエイズの研究や施策の中では、コミュニティを作ってエンパワメント(注1)することがエイズ予防にとって最も重要だということが言われていました。ですので、先ほどオーストラリアの話が出ましたが、そういう文脈の中で、日本もオーストラリアをモデルとしながら、日本の中にこういうゲイ・コミュニティを作り、ゲイの人たちがプライドを持ってそこにアクセスし、それをみんなが支援することによって、エイズ予防というものを考えていこう、というような考え方が出てくるわけです。

スライド15 

 ゲイ・コミュニティの誕生ということで、スライド15の写真は2000年8月27日の東京レズビアン&ゲイパレードの様子です。伏見憲明さんというゲイのライターがいるのですが、彼が「ゲイ・コミュニティの誕生」ということを、この2000年のゲイパレードの中で言っています。この文脈で考えると、1999年にエイズ予防指針ができて、2000年にゲイ・コミュニティが誕生しているということになります。実は、結局このパレードにしても何にしても厚生労働省がバックで支援をしているのですが、これ以後、国家とゲイ・コミュニティの関係として、こういった資金提供という形でゲイ・コミュニティを盛り上げていこうというような風潮が、この2000年代以降に作られてくることになるわけです。

 先ほど少しお話ししましたが、ここでフーコーの主体論が出てきます(スライド16)。主体の意味について、一つは「自発的に行動する」というポジティブな意味があります。つまり、良心や自由意思によって自らのアイデンティティと結びついていることであり、自由意思を支えとし、自らの権利を主張する近代的自己としての主体です。「主体的に行動する」という時に一般的に言われるのはこちらの主体だと思いますが、フーコーはもう一方で、「支配と服従という形で他者に依存する」という意味もあるとしています。自分がプライドを持ってカミングアウトするというような行動は、自由に行動しているように見えて主体的ではあるのですが、一方で「権力に服従する形である」というような言い方もします。実際にHIVの予防の施策を見ると、国との関連の中からゲイの人たちがカミングアウトしてコミュニティを作ってパレードを行って、今の人権の問題に繋がってきています。今までは主体のポジティブな面だけを見てきたのかもしれませんが、これからはもう一方の「権力に服従させられる」という側面について考えていくべきなのではないかと思っています。

スライド16 

 ここまでが私のHIVについての研究です。私が書いた本に対して、コミュニティの人たちがどう思っているのかについては、直接聞くこともあれば風の便りで聞くこともあって、もちろんいろいろな賛否両論があると思います。しかし、私はコミュニティや主体化というものを否定していて、「それはいけない」ということを言っているのではありません。この流れはしかるべくしてなったことで、ここで個別施策層を作らずに予防対策をしなかったら、もっと悲惨な状況になっていたのは火を見るより明らかなわけです。しかし、こういう形で主体化した後に、そこからどう行動していくのか、つまり国と、権力とどう折り合っていくのかというところについては、今の時代において考えなければいけない問題なのではないかと思っています。


(注1)一般的には、個人や集団が自らの生活への統御感を獲得し、組織的、社会的、構造に外郭的な影響を与えるようになることであると定義される。日本では能力開化や権限付与とも言う(参考:Wikipedia)。

近年の日本の「LGBT」を取り巻く状況

 近年の日本のLGBTを取り巻く状況ということで、簡単にお話をします。2015年に渋谷区がいわゆる「同性パートナーシップ条例」を施行したことで、地方自治体レベルで条例あるいは要綱を作って、同性パートナーシップを地方自治体レベルで認めていこうという動きが最近見られてくるようになりました(スライド17)。しかし実際には、法律婚と事実婚とパートナーシップ証明の比較を見ると、パートナーシップ証明は法律婚とはほとんど対等な立場になっておらず、公正証書を作らなければ相続や財産分与についても法律婚と同等の権利を得られないという状況になっています(スライド18)。

スライド17

スライド18

 地方自治体におけるパートナーシップの現状ですが、渋谷区の他にも世田谷区、三重県伊賀市、兵庫県宝塚市、沖縄県那覇市で始まっています(スライド19)。ただ、これらは要綱という形なので、条例のような強い規制が働くものではありません。内部資料として、「こういう理解でいましょう」というような形のものです。最近は札幌市でもパートナーシップの要綱を作ることになっています。条例は渋谷区のみなのですが、要綱のような形でもこのようなパートナーシップを認めていこうという動きが一方であります。

スライド19

 もう一つ、LGBTをめぐる動きが起こっているのが企業です(スライド20)。最近は、企業の多様性を確保することが競争力を高めるというダイバーシティ経営が言われています。これはどういうことかというと、結局今までの会社は男性が中心になって動いていたわけです。最近は男女共同参画などということが言われているわけですが、企業の中においても、男性中心的な考え方では硬直してしまう、世界の競争力に打ち勝つことができないという考え方が出てきました。そこで、男性だけではなくて、女性や障害者、外国人、LGBTといった多様な人たちが経営に参画することによって、そういった人たちの多様な意見を取り入れることによって企業が活性化されるということで、こういうダイバーシティ経営という視点からLGBTが着目されています。

スライド20

 もう一つはリスクヘッジ(損失回避)ということなのですが、スライド21でお示ししたようなLASHやGAP、H.I.S、NTT ドコモ、ソフトバンク、KDDIといったいろいろな企業の顧客にはLGBTが必ずいます。こういった企業がLGBTに対して非常に差別的なことをしていると、それはLGBTを敵に回すことになるわけです。ですので、そういったダイバーシティ経営やリスクヘッジという観点から、企業がLGBTに理解を示すという形で様々なことが行われています。

スライド21

 先ほどお話しした権力との関係ですが、2016年9月2日に一般社団法人フルーツ・イン・スーツ・ジャパンが、自民党元政調会長で今の防衛大臣の稲田朋美氏に対して、ジャパン・プライド・アワードというものを授与したという出来事がネットなどでも話題になったと思います(スライド22)。なぜこのような授与が行われたのかというと、自民党が通称「LGBT理解促進法」という、学校教育や企業の中でLGBTに対する理解を促進していこうという法案を作ったからです。元々は民進党をはじめとする野党側の方がこの法案に対する動き方は早かったのですが、2016年の参院選の前に自民党がこういう法律を作ると言い出しました。この法案は実際には今は動いていないのですが、そのことに対して、このフルーツ・イン・スーツ・ジャパンがジャパン・プライド・アワードというものを授与したのです。これにはLGBTのコミュニティの中でもいろいろな議論がありました。こういうところに関しても、先ほどのHIVの文脈と繋がってくる部分もあるのかなと思います。特にHIVの場合だと、ゲイパレードのHIVのブースの中に安倍首相の奥さんである安倍昭恵さんが来て一緒に写っている写真も出てきたわけですが、こういう権力側とLGBTとの繋がりというか関わりが、今の政治状況の中で非常に目に付いてきている部分があるということです。

スライド22

「LGBT」をめぐる人権と現在の政治状況

 ここまでは簡単に今の状況についてお話ししてきましたが、最後に人権との関係の中でお話をさせていただきます。国家とLGBTについて、HIVの文脈から近年のパートナーシップ法あるいは政治的な動きとの関係について先ほどお話ししましたが、LGBTの人権の問題をこれからどう考えていくかということについて見ていきたいと思います。

 実は、私は最近HIVの研究から少し離れています。大阪市立大学に赴任したのが2015年4月なのですが、その年の7月に安保法(安全保障関連法)が非常にメディアの中で話題になりました。私もその時は非常に恐怖感を覚えたので、大阪市立大学の中で安保法に反対する教職員の会というものを立ち上げて、私も立ち上げ人の一人として関わることになりました。ですので、最近は安保法や政治的な問題に関しても関心を持って取り組んでいるところです。最近では大阪市立大学だけではなくて、関西の大学の教員の安保法に反対する会などでもそういう活動をしているのですが、やはりHIVの問題とも繋がってきているところがあって、自分がこんなに政治的にいろいろなことをするとは今まではあまり考えたことがありませんでした。そういう何か大きな危険を自分の中では感じています。

 第2次安倍内閣以降の政治的な動きを見ると、2012年12月に内閣が発足し、2013年に東京オリンピックの招致が決まりました。その後、特定秘密保護法、マイナンバー導入、防衛装備庁発足と続き、高市総務相が電波停止発言などをして、安保法ができて、天皇の生前退位発言があって、今年は共謀罪というものが国会で審議されています(スライド23)。こういう形で、大きな政治的な動きが急速に起こっています。この辺りの話を、エイズの問題との関連で少し簡単にお話をしたいと思います。

スライド23

 今は憲法が改正されるかどうかということで、国会でも議論がされているところなのですが、HIVとの関連で一つお話をしたいと思います(スライド24)。「人権か、公共の福祉か」、つまり簡単に言ってしまうと「人権か、公衆衛生か」と読み替えてもいいかもしれません。1987年に日本でエイズ予防法という法律が制定されようとして国会で審議されたことがあります。その中で、ある国会議員が「ハイリスク・グループのプライバシーを守ることよりも、エイズの蔓延を防止することの方がはるかに重要だ。一人の人権を重視すれば、99人の生存権を奪うことになる」と発言し、議論がされました。つまり、公衆衛生、国民の健康を重視するべきなのか、それとも一人のHIV陽性者の人権を守るべきなのかという議論です。ここではエイズ予防法について突っ込んでお話ししませんが、結局当時はHIV陽性者の人権の問題を重視するという形で、新感染症法の中でも、エイズ予防指針の中でも、そういうことが書かれました。しかし、もしこれが憲法改正という話になった時に、どういうことが起こってくるかということが問題になります。

スライド24 

 国の義務としては、今の憲法第25条の中に「公共の福祉」ということで、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と書かれています(スライド24)。ですので、国は公衆衛生に対して、国民の健康に配慮する義務があります。また、憲法の中では、最高法規として人権が非常に重視されています。現行憲法の第97条には、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と書かれているのです(スライド25)。

スライド25

 最近は「立憲主義の危機」ということがよく言われますが、これはどういうことかというと、日本国憲法は「権力者を縛るものだ」という言い方をされます。だから、権力が暴走しないように、権力者を取り締まるために作られたのが憲法なわけです。ですので、日本国憲法は、最高法規として国民に基本的人権というものを付託し、国家の権力を縛っているということになります。しかし、自民党の憲法改正草案の中では、これが全部丸々削除されています(スライド25)。そして、自民党の憲法改正草案第13条には、「すべて国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」と書かれているのです(スライド26)。つまり、ここで言われているのは、「公の秩序」というものの方が優先されるということです。その上での人権は認めるということを言っているわけです。

スライド26

 そこで、この「公の秩序」というものが何なのかというところがまた議論になるわけですが、先ほどのエイズ予防法の話に戻っていくと、「公の秩序」というものが優先されるのであれば、一人の基本的人権は「公の秩序」に服従するということにもなりかねません。ですので、今LGBTの人権といえばパートナーシップや同性婚の話があるのですが、もしかしたら憲法が改正されるかもしれないという今の時期に考えなければいけないのは、この人権の問題をどれだけ変えずに、今のままの状態にするかということです。もしここが変わってしまったら、いろいろな解釈によって何が起こってくるのか分からないということが想定されると思います。ですので、もちろんパートナーシップのことも重要だと思いますし、同性婚に関してもいろいろな議論がありますが、今最も守らなければいけないのは、この人権の問題です。

 自民党の憲法改正草案のQ&Aのところには、「『公共の福祉』を『公益及び公の秩序』に変えたのはなぜですか?」という質問に対する回答が書かれているのですが、そこには「『公益及び公の秩序』と改正することにより、『公共の福祉』という言葉の曖昧さの解消を図る」と書かれています(スライド27)。さらに、そこには基本的人権の制約ができるとも書かれていて、「性道徳の維持」ということが書かれています。では性道徳とは何なのかということが議論になるわけですが、このことを考えると、いろいろな曖昧な解釈によって何とでもとられるようになってくる可能性があるわけです。ですので、今はこのLGBTの人権の問題が、本当に重要な、考えなければいけない問題になっています。

スライド27

 権力は、非常に抵抗しにくい形で忍び寄ってきます(スライド28)。エイズ予防に関してもそうです。「エイズ予防は良いことだ」と言われると、そこには反対しづらいです。東京オリンピックにしてもそうですし、教育費の完全無償化にしてもそうです。何でも「NO」と言いにくいような形で近寄ってきて、「YES」と言わせるように働きかけてくるのが権力の採る戦略です。ですので、非常に難しい問題ではあるのですが、ここ最近の政治的な動きを見ていると、このことについてどう考えていくかということが非常に重要なことだと考えています。以上です。ご清聴ありがとうございました。

スライド28