巻頭言 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

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巻頭言


最近、また一つ歳を取った。目がかすんだり、白髪が増えたりと悩みが絶えない。テレビでは認知症予防とか、脳トレなどを取り上げる番組を頻繁に見る。その中では、脳に刺激を与えて「混乱させて情報を整理する」ことで、日頃の行動や段取りがスムーズになるという。要は「思考を続けよ」ということなのだろう。

今年の正月休みに、見逃していた映画を何本かDVDで観た。そのうちの1本「ハンナ・アーレント」に心を揺さぶられた。この映画は実話に基づいた作品で、政治哲学者ハンナ・アーレントの一生涯のうち、ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判傍聴記がもたらした大論争の時期を描いている。彼女は、傍聴記「イェルサレムのアイヒマン」の中で、アイヒマンを殺人鬼ではなく上からの命令に従っただけの“平凡な人間”であったこと、またユダヤ人指導部がナチスに協力していたことが裁判の中で発覚した事実をレポートした。その結果、世界中から激烈な批判を受け、論争の渦に巻き込まれていく。

彼女はアイヒマンを、いわば思考停止・判断不能に陥った役人であり、世界の最大の悪はそういう平凡な人間が行う悪なのだとした。人は思考不能になり考えることを放棄すると、善悪さえ判断不能となり残虐な行為に走ってしまうと。加えて、ユダヤ人指導者たちは非力であったけれども、「(ナチへの)抵抗と協力の中間に位置する何かはあったはずで、違う振る舞いができた指導者もいたのではないか」と投げかける。

今の世の中には情報が氾濫し、無意識にすぐ「検索」すれば、何らかの答えが出てくる。わからないことを全く思考することなく、情報を入手してやり過ごすことができる。自分に置き換えて考えると、知識を仕入れることは簡単でも、自分の考えとして咀嚼し意見を述べることの難しさを痛感する。映画のラストでは、大学生に向けた講義「8分間のスピーチ」が描かれる。そこで語られる言葉が心に突き刺さる。

 

『“思考の風”がもたらすのは知識ではありません。

善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。

私が望むのは、考えることで人間は強くなることです。

危機的状況にあっても、考え抜くことで、破滅に至らぬよう。』

 

「ハンナ・アーレント」
販売元:ポニーキャニオン
DVD発売日:2014/08/05
出演:バルバラ・スコヴァ他
監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ

 

2015年3月
特定非営利活動法人 ネットワーク医療と人権
理事長 若生 治友