患者とは何者か?
~患者-医療者間の『せつなさ』と『幸福な関係』~
第一部 基調講演「医療に対する当事者の違和感」
ヨシノ ユギ YUGI YOSHINO (立命館大学大学院 先端総合学術研究科 在学)
1982年生まれ。
立命館大学大学院先端総合学術研究科在学中。
2002年よりジェンダー・セクシュアリティにまつわる学生運動に携わり、生と性をテーマとした学習会・講演会活動、パレード等を開催する。
2006年、「性同一性障害(Gender Identity Disorder、略してGID)」治療の一環として、大阪医科大学付属病院にて乳房切除手術を受けるが失敗、患部の壊死が起こる。
2007年3月、医療ミスの真相究明と、GID医療の前進を目指して大阪医科大を提訴、係争中である。性別二元論およびジェンダー批判の観点から、「GID」や「女性/男性」のカテゴリーに所属しないことを望み、逸脱を実践する活動家。
※本講演の参考資料は こちら
GID、性同一性障害とは
みなさん、よろしくお願いします。立命館大学のヨシノと言います。今日、こういう場に呼んでいただき、「医療に対する当事者の違和感」ということで、お話をさせていただきたいと思います。今日のタイトルも「患者とは何者か?」ですが、私自身は、常に自分が患者であるのかということについて、ずっと考えてきました。13、4歳のころに、自分の身体が自分に合わないなと感じて、20歳で性同一性障害という診断を受けていますが、それから、性同一性障害という言葉によって何らかの疾病であるとか、患者であると位置づけられるようになりました。ただ、患者とか、当事者とか、疾病ということに対して、常にしっくりこない感じ、それが自分のアイデンティティを構成する要素になり得ないと感じています。いつもモヤモヤした気持ちというものをずっと感じていますが、そういったものを含めて今日はお話したいと思います。
まず、最初にGID、性同一性障害というものが何かということについて、簡単に説明したいと思います。何枚かレジュメをお配りしていますが、この図とかが入った「基本用語を覚えよう」というA4のレジュメをご覧ください。性のあり方について、いろんな性というものがあります。人を構成する「性」の3つの要素があります。1)生物学的性、生まれもったときの性、体です。2)性自認、これは体の性に関わらず、自分の性別を自分がどう判断しているかということです。体の性に対して心の性と簡単に言われる場合もあります。そして、3)性的指向、これは誰を好きになるかということで、生まれ持った体の性や心の性に関わらず、どの性別の人に性的な魅力を感じるか、感じないか、これを性的指向と言います。この3つの性の要素というのは、これを固定的なワンセットだと思い込んでしまうと、例えば、生まれ持った性が女性であれば、心の性も女性であるはず、そして、好きになるのは男性であるはず、というような固定的なものだと考えてしまうと、そうではない人、いわゆるマイノリティと言う人に対して、「それは違うんじゃないか、どうしてそんな風になるのか、変わってるね」とか「かわいそう、気持ち悪い、違和感がある」という風な気持ちを抱いてしまうことがあります。でも、実はこの性の3つのひとつひとつの要素というのはバラバラであって、決して組み合わせが決まっているわけではない、決まった形があるわけではなく、人によってそれぞれ組み合わさり方が違うし、また最初は一定の組み合わさり方をしていた人も人生を過ごすにつれて、この組み合わさり方が変わったりもします。性というのは、こういう風に流動的なものということを押さえておいていただきたいと思います。
性同一性障害とは何かというと、生まれ持った生物学的な性である「体の性」と、自分をどの性と認識するかという「心の性」が食い違ってしまうことです。通常、マジョリティの人は、この体の性と心の性がパズルのようにぴったりと一致します。これが、自分の性が心身で同一性を感じている状態、性的なアイデンティティが同一だと感じている状態です。この状態のことは、性の同一性がある状態のことです。この2つが食い違ってしまうと、生物学的な性と、自分の考える心の性が組み合わさらない。そうすると、自分の心と体の性の状態に関して不都合な感じや、ちぐはぐな感じ、または自分の体に対する違和感や嫌悪感が出てくる。この状態が、いわゆる「性同一性障害」と言われています。これは極めて単純に説明をした例ですので、実際はさまざまなレベルの違いや、グラデーションというものが当然ありますが、ごく一般的な知識、基礎的な知識、理解としては、こういった状態が性同一性障害と言われています。
ライフヒストリー ~「自分」と身体との不調和感~
私自身の話をライフヒストリー的に言うと、中学1、2年ごろ、いわゆる第二次性徴が始まるころに、自分の体が自分の心にフィットしていないという感じを受けるようになりました。だんだん体が女性の体として成長していくということについて、なんとも不調和な感じ、ちぐはぐな感じというものを受けるようになりました。ただ、その当時は、私が中学1、2年のときは性同一性障害の公式な医療が行われる前でした。埼玉医科大学で初めて、いわゆる性別適合手術が公式に行われますが、性同一性障害という言葉とか、そもそも性に違和感がある状態の人もいるというのが、そういうことも良く知られていない時代でした。そのため、当時は自分の心に何らかの問題があるのではないか、自分の心の中に別の人格が入っていたりするのではないかと考えたりもしました。中学生時代を過ごすうちに、自分の体に対するしっくりしない気持ちというものとは別に社会的な性、ジェンダーに関する違和感というものも常に突きつけられていました。
私は秋田出身ですが、田舎の中学校なので、持ち物の色分けが普通に行われていました。例えば、女子が持つバッグなら赤い縁取りがされているし、男子だったら、黒や青の縁取りがされていました。制服もセーラー服と学ランでしたので、ぱっと見ただけで必ず男子か女子かどちらかに帰属しているというのを示さなければならない訳です。そういった学校生活の中で、ジェンダーに対する違和感、自分がそこに属することに対する嫌な気持ちであるとか、帰属感を持てない気持ち、そういうものを感じました。男子と女子のコミュニティに分かれがちですが、そのどちらのコミュニティにも距離を感じるというか、その中に入って仲良く友達になるというのが難しいという気持ちもありました。
そういった状況が私にはあった訳ですが、ここには大きな問題が2つあるかと思います。まず、そのひとつは自分が持っている性に関する違和感、そういったものとどう付き合うか。中には一生我慢をして過ごす人もいます。そうではなく、体にメスを入れたり、ホルモン剤を入れたりして体を変えていく人もいます。もうひとつは、自分の性に対する違和感をどのように自分の中で捉えていくか、また、それを周りにどのように伝えるか、もしくは伝えないか。家族とか友人とかコミュニティなどに対して、自分のあり方というものを伝えたり伝えなかったりするのか、自分自身の中でどうするか、社会との関わりの中でどうするか、こういう問題と向き合ってきた思春期であったように思います。
そして、私は悩んだ時代を経て、だんだん性同一性障害という言葉が新聞やメディアなどに取り上げられるようになってきました。それで「なるほど」と思いました。体の性の状態と心の性の状態とか食い違う症状というのが実際に存在していて、それがどうも性同一性障害と言うらしいと思いました。自分ももしかしたら、そうではないかと単純に思いました。それまでモヤモヤしていた、自分が何なのかよくわからないという状況から、そういう状況があると知ったときには、確かに、自分を表現する言葉はこれでいいのかもしれないという風な、一瞬の安心感というものを感じました。しばらくはGIDという枠に沿って生活をしていくということが始まりました。そして私は大学への進学で京都の立命館大学に来たことで、近くにある大阪医科大学に通って治療を始めていきました。
GIDが先か、診断が先か?
性同一性障害のガイドラインというものがあります。それは、性同一性障害を治療していくためには、こういうカウンセリング、こういう医療行為をすることで、患者の負担を軽減していくことができるというガイドラインです。そのガイドラインに沿って治療を進めていくことが、いわゆる正規医療と言われるもので、今これは大学病院を中心に、全国では5、6箇所くらいで行われています。またガイドラインとは関係なく、個人の病院で治療をするケースもあります。これは、性同一性障害とかガイドラインとかが制定されるもっと前から、個人の美容整形とかで、例えば、乳房を切除する手術であったりとか、去勢をする手術とかが行われてきました。そういった中で、私は敢えて正規医療にかかる道を選びました。それは何故かというと、いきなり手術に飛び込むことに対する恐さもあったかもしれませんし、手術を受ける際になるべく麻酔科医がいて、入院ができる施設があるという風な、総合的な、より安心して医療が受けられる状況とはなんだろうかと考えた時に、大学病院で、総合的な医療を受けた方がいいという判断もありました。大学病院で行っている正規医療のひとつの売りがチーム医療というものです。ジェンダークリニックというチームがあるのですが、そこには治療に関わる各診療科、精神科や形成外科、泌尿器科や産婦人科などのいくつかの科が集まって、総合的に患者のケアにあたる医療というものを標榜していたので、なるべく自分が納得できる、安心できるような方法で私自身の違和感を解消していきたいと考え、大阪医科大学でいわゆる正規医療を受ける道を選びました。
しかし、このガイドラインとか正規医療というものに沿って治療を行っていくことが、私にとってぴったりときたかと言うと、決してそうではありません。常にその中にも違和感というものは付いてきました。例えば、ガイドラインとか、性同一性障害の診断基準、性同一性障害であると診断されるためには、いくつかの条件というか、確認すべき点があるのです。例えば18歳以下の子どもであれば、どのようなおもちゃで遊んでいるか、どのような服を好むかとか、「自分にいつかペニスが生えてくる」もしくは、「いつか無くなるだろう」と主張するとか。生まれ持った性と逆の性に対する持続的な違和感を持っていることであるとか、そういう条件がある訳です。18歳以上の大人の場合でもずっと継続的な、恒常的に違和感を持っていることであるとか、自分の体に対する嫌悪感を持っていることであるとか、性同一性障害と診断されるための条件として、いくつかあります。それ以外にも、精神科医とのカウンセリングを行って「自分がいかに違和感を持ってきたか」を述べる必要があったりだとか、また、ロールシャッハ(注1)などの心理検査を行ったりだとか、また他のセカンドオピニオンの病院に行って、「これは間違いなく性同一性障害だね」と言われたりだとか、さまざまな手続きを踏んで性同一性障害、GIDになります。私自身もそういう手続きを踏んで、20歳のときに性同一性障害であると言われました。ただ、そういった医療の現場におけるものに自分が当てはまるかというと、必ずしもそうじゃないという気持ちはずっとあり、今は完全にそこを飛び越えていますが、違和感というものは病院に通院を続けるうちにどんどん大きくなっていきました。例えば、ジェンダークリニック、正規医療の病院にかかりに行くとき、私のように、生まれ持った体は女性だけれども、男性になりたいと思った人がいたときに、すごく「男性らしく」見える格好であるとか、「男性らしく」見える振る舞いとかいうものを精神科医にアピールする節があります。そして、自分のライフヒストリーに関しても、いかに自分が女性であること、自分の体が女性であることを嫌悪しているか、いかに嫌だったか、いかにそれによって自分が悩んで苦しい人生を生きてきたかということを必要以上にアピールすることによって、性同一性障害であるという診断を得るという、ひとつの戦略と言うか、ひとつのルートというものが、確かにあります。しかし、私はそのルートに乗り切れませんでした。今日はたまたま気分的にネクタイをしたかったので、ネクタイをしてきていますが、私は普段はどちらとも言えないようなファッションをしていますし、髪型も別に男性の髪型とか、女性の髪型とかにこだわりはありませんし、肌の手入れも非常に気にします。そういう、いわゆる女性らしさとか、男性らしさとか、そういう社会的な性、いろんな要素を当然併せ持っているわけです。だけど、そういうことを自分で塗り替えて、医師に過剰なアピールをして性同一性障害であるという状態になっていくことに馴染めなかったのです。もし、今の私の状態を率直に精神科医に話していると、性同一性障害であるという診断は出なかったかもしれません。
すごく曖昧なものとか、一人ひとり持っている好みとか、個性とか、そういったものを性同一性障害という枠の中に入れていく。患者自身も入れていくし、医師自身も回収していくことが性同一性障害という診断ではないのかと私は思っています。
(注1)ロールシャッハテスト。スイスの精神科医ロールシャッハにより考案された人格検査。インクを垂らした紙を半分に折ってできた左右対称なシミからどう見えるか、反応時間や表情などから心の状態を理解しようとする。
性はグラデーション ~自分にとって居心地の良い立ち位置とは~
私自身は男女の二元論に同化できないという気持ちを持っています。今、私は手術をして胸は取っていますけれども、今のところは男性ホルモンを打とうという気持ちはありませんし、性器の形成手術をしてペニスを付けようという気持ちもありません。しかし、性同一性障害の診断基準にのっとると、「普通はペニスも付けたいよね」という話になる訳です。もちろんそれは医師からも言われたりします。その他の人たちからも言われたりします。「胸の手術をしたら、次はホルモンでしょ?」とか、「次は下も手術するんでしょ?」と、何らかの性の違和感を持つ人、その女性体に嫌悪感を持つ人だったら、「胸を取った、じゃあ次はホルモンを打ってペニスをつけて『男』というものになっていくのだよね」と。つまり、「女性として生まれたけれども、女性に違和感を持っている人は男性に着地しなければならない」ということです。また、「男性として生まれたけれども、それに違和感を持っている人は女性に着地しなければならない」というような抜きがたい男女の二元論というものがあるし、そこに「何らかの違和感を持っています」と表明すれば、常に男女二元論に押し込められてしまうという感覚が私の中にはあります。こういう感覚を持っている人もいるのではないかと思います。
戸籍上の性別を変更する特例法というのがあって、何日か前に最高裁で申し立てが棄却されたというニュースをご覧になった方もいるかもしれません。今は特例法というものによって、戸籍上の性別を書き換えることが一応はできます。ただし、それにはすごく条件が付いています。1)20歳以上であること、2)結婚していないこと、3)子どもを持っていないこと、4)生殖機能を廃絶していることなど、5)逆の性に近似する外見の性器を持っていること、こういう要件を満たして、初めて戸籍上の性別を変えることができるという法律があります。この法律の要件を考えてみると、何らか自分の身体や性に対して違和感を持つ人を、いかに男女という制度に振り分けようとしている圧力があるのかということがおわかりいただけるかと思います。手術したり、生殖腺を廃絶したりすれば、戸籍上の性を変えてやるという極めて乱暴な要件であると私は思います。人によって望む医療のレベルとか、望む体のあり方というのはグラデーションがあって多様なのに、そういう法律は絶対的に男女というものに精神的にも身体的にもきっちり二元化されていなければいけないというわけですから、複合的な二元化の抑圧が、当事者に降りかかっていると思います。いわゆる性同一性障害と呼ばれる人を取り巻く状況は、診断基準であったり、特例法であったり、どちらか逆の性に着地せよという圧力がかかっていること、男女二元化に従って回収されていってしまっているということが指摘できるかと思います。私はそういうところにどうしても同化できないので、胸の手術はしたけど、他の治療を今のところはするつもりはないし、人によっては、それが不完全な状態であるとか、中途半端な状態であると言われることもありますけど、私にとってはこの身体の状態が、今のところ自分の中ではOKな状態なのです。
私は、外見上も女性らしさとか男性らしさとかをどう見せるかということにこだわっていないので、だいたい女性に見られますね。9:1くらいの割合で大体女性に見られます。そう見られてもいいやというか、そう見られるだろうなという気持ちも自分の中にあります。女性であるか、男性であるかで相手を見なすということは、結局その人の中にある気持ちとか価値観が影響しているわけです。だから私を女性と見なしたい人もいるだろうし、それを敢えて「いや違う俺は男なんだ」というふうに言ったりする必要もないかなと今の感覚では思っています。だから、性同一性障害とかGIDという診断名を受けつつ、しかも正規医療にのっとって手術までしたにもかかわらず、私自身はGIDという状態に何らかの価値とか、そこに対する依存する気持ち、依拠する気持ちが持てないと感じているので、私は最近では「GIDID」じゃないか、「“性同一性障害”同一性障害」?つまり、一周してしまって、性同一性障害と言われる状態に同一性を感じられない状況になってしまっているのではないかと思っています。でも、そうではない人も当然います。女性の体として生まれたけれど、男性として見られたい人、それをとことん追求したい人も当然いる。そういう人から見たとき、私の状態が中途半端であるとか、また先ほど花井さんの方から紹介もあったように、私は裁判もやっていますので、裁判で顔とか名前とかが出たときに2ちゃんねるとかでスレッドとかが立てられて、「女じゃねえか」とか「女に見える」とか「あんなんでGIDとか言うからこっちが迷惑するんだ」とか、そういうことも言われました。「うん。だから、好きに呼んだらいいよ」ということしか私は言えません。でも当事者の中でもそういうグラデーションというものがあって、どちらかが、どちらかに対して抑圧的な行動をとってしまっていたりだとか、規範の中に回収しようとしている力というのが医療との関係のみならず、当事者間にも働いている状況というのがあります。私はこれに対して不自由だなとか、やりにくいなという感覚を持っています。私は大阪医科大で胸を取る手術をして、結果的にうまくいかなかったのです。そういった中で、今の私の体の状態は、いわゆる「男性っぽい体」の状況からも外れるラインにあると思われます。左胸の縫合部がすべて壊死してしまっているので、ケロイドの部分が残っているけれども、何もない状態です。ですので、いわゆる男性っぽい体の範囲からも若干外れている状況です。だから、私自身も、この私の身体をどのように名付けてどのように受け入れていったらいいのか、今まさに模索中であって、身体というものと、性というものを繋ぐものは何であるのかということが新しいテーマとして私の中で考えるべきこととして出てきているのかなと感じます。そうなると、性同一性障害とかそういう領域、そういう範疇からどんどん逸脱していくのでしょうけど、私自身はそれが、その方が私にとって自由だし、その方が快適だなと思っているので、これからも、そう診断は受けているけれども、そう馴染めないよという立場は貫いていくだろうし、常にこれから性同一性障害医療と言われるものに対しても、裁判を通じて疑問を投げかけていく立場に立ち続けることになるのではないかと考えています。また、裁判の内容とか医療の内容というのは、後でもやりとりの方で触れていくことになると思います。どうもありがとうございました。