特集 薬害肝炎訴訟東京判決の意味するもの ~この国の肝炎対策のゆくえ~ | ネットワーク医療と人権 (MARS)

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特集 薬害肝炎訴訟東京判決の意味するもの ~この国の肝炎対策のゆくえ~

寄稿①「薬害肝炎訴訟東京判決の意義と課題」

    薬害肝炎大阪訴訟 弁護団 松井 俊輔

判決の概要

結論

(1)
 
東京判決は、フィブリノゲン製剤について、以下の期間について、国と製薬企業の責任を認めた。

製薬企業:昭和60年8月から昭和63年6月23日まで
国:昭和62年4月から昭和63年6月23日まで

(2)
 
第Ⅸ因子製剤「クリスマシン」については国には責任がないとし、製薬企業については昭和59年1月以降の責任を認めた。

フィブリノゲン製剤について

(1)有用性
 フィブリノゲン製剤には後天性フィブリノゲン血症に対して有効性・有用性が当時だけではなく現在もある。
 他方、非A非B型肝炎は、重篤であり医薬品の副作用としては看過しがたい疾病であり、このことは昭和58年(1983年)末ころまでには予測できた。
 効果と副作用を比較すれば、後天性フィブリノゲン血症は短時間で死亡する可能性があり、フィブリノゲン製剤はそれに対して有効であるから、長時間をかけて肝硬変、肝癌となる非A非B型肝炎という副作用があるとしても有用である。

(2)警告義務
 しかし、フィブリノゲン製剤の多くは、有効性がある後天性フィブリノゲン血症以外の疾病に使用されていた。そして、前述のとおり、昭和58年(1983年)末ころには非A非B型肝炎の重篤性が明らかになった。
 もっとも、その当時はBPL処理(注1)が行われており、その不活化効果からすればBPL処理製剤は肝炎感染の危険性が低かったためその時点では警告義務はない。
 結論的には、製薬企業は、BPL処理が中止された昭和60年(1985年)8月以降には適応外に使用してはならない等の警告をすべきであり、その義務違反があった。
 国には、BPL処理を中止したことについて予見していた証拠がないため、昭和60年(1985年)8月でも警告義務(指導義務)はないが、その後の肝炎集団発生、加熱製剤発売時においては、危険性を調査した上で適応外に使用してはならない等の警告をするよう指導すべき義務があり、その義務違反があった。

(3)緊急安全性情報
 その後、昭和63年6月23日にフィブリノゲン製剤について緊急安全性情報の配布が終了した。この緊急安全性情報の配布により前記警告義務は果たされたため、国・製薬企業共に以後の警告義務違反はない。

第Ⅸ因子製剤(クリスマシン、PPSB)について

(1)有用性
 第Ⅸ因子製剤には後天性第Ⅸ因子欠乏症に対して有効性・有用性が当時だけではなく現在もある。
 他方、非A非B型肝炎は、重篤であり医薬品の副作用としては看過しがたい疾病であり、このことは昭和58年(1983年)末ころまでには予測できた。
 効果と副作用を比較すれば、後天性第Ⅸ因子欠乏症は生命にかかわる重篤な症状を有するものであって第Ⅸ因子製剤はそれに対して有効であるから、長時間をかけて肝硬変、肝癌となる非A非B型肝炎という副作用があるとしても有用である。

(2)警告義務
 前述のとおり、昭和58年(1983年)末ころには非A非B型肝炎の重篤性が明らかになった。
 第Ⅸ因子製剤は、不活性化処理がなされておらず、肝炎感染の危険性が高く、不必要な場面で使用されないように製薬企業は警告をすべきであり、その義務違反があった。
 他方、国は第Ⅸ因子製剤による副作用(肝炎感染)被害発生について差し迫った危険性を抱かせる具体的状況がなく、再評価を実施していたのであるから、製薬企業に対して指示・警告をするように指導していなくても責任があるとは言えない。


(注1)化学処理剤(β-プロピオラクトン)によりウィルス遺伝子の増殖性を失わせる、ウィルス不活化の代表的な方法。

東京判決の意義

判決後、厚生労働省前にて抗議行動

国の責任を認めたこと

 東京判決は、大阪、福岡判決と同様に国の責任を一定の限界はあるものの認めている。
 クロロキン以降の薬害訴訟において判決で国の責任が認められたことはなかった。
 薬害肝炎訴訟では3つの訴訟でいずれも国の責任が認められた。特に国がもっとも力を注いでいた東京地裁でも国の責任が認められたことには大きな意義がある。
 肝炎問題を解決するにあたり、国は福祉政策としてではなく、法的責任に基づいた措置をすることが必要であることを意味するからであり、3度にわたる勝訴は国の法的責任が揺るがないことを示している。

第Ⅸ因子製剤について製薬企業の責任を認めたこと

 大阪、福岡判決では第Ⅸ因子製剤について、国・製薬企業共に責任がないと判断されたが、東京地裁は製薬企業について、一定の限界はあるが責任を認めた。
 これにより、第Ⅸ因子製剤による被害者にも損害賠償金を得る途ができた(なお、肝炎全体の問題は、フィブリノゲン製剤について国の責任が認められたことに基づき推進されるような運動が必要であろう)。

C型肝炎(非A非B型肝炎)の重篤性を早くから認めたこと

 C型肝炎が重篤で、進行性で、難治性であることを正面から認めている。
 大阪判決も内容的にはC型肝炎の重篤性を述べており、C型肝炎の問題の深刻さと共に、C型肝炎問題が薬害の点はもちろん、治療体制の点でも早期に対策をとる必要性があることを示すものといえる。

東京判決の課題

フィブリノゲン製剤の有効性・有用性を認めていること

 東京判決が有効性を認めた理由は、a)DIC(注2)とは別に後天性フィブリノゲン血症という疾病があるとし、b)フィブリノゲン製剤の後天性フィブリノゲン血症は比較臨床試験なくとも有効性があると判断できるとした点にある。
 しかし、この2点はいずれも誤りである。
 大阪地裁判決は後天性フィブリノゲン血症はDICと同時に起きている症状であって、DICと区別して考えるべきではないとしたが、それが実態に合致しているのであって、東京判決はこの点を正しく捉えていない。
 また、フィブリノゲン製剤は再評価手続において有効性があるとはいえないとされている(その理由は厳密な臨床試験データがないから)。
 東京判決は医薬品の有効性は医学的・薬学的水準により判断されるべきとしながら、医学的・薬学低水準を端的に示している再評価手続で厳密な臨床試験データが有効性判定のために必要とされた事実を軽視している。

緊急安全性情報後の責任がないとされたこと

 東京判決の論理からすれば、緊急安全性情報後の責任がないというのはある意味仕方がないと考えられる。
 この点は、東京判決の有効性・有用性についての問題点とリンクする問題であり、そこを克服する必要があろう。

第Ⅸ因子製剤について国の責任を否定したこと

 東京判決は、第Ⅸ因子製剤について製薬企業の責任を認めながら、第Ⅸ因子製剤による肝炎感染に危険性が差し迫った具体的状況になかったことなどを根拠に国の責任を否定している。
 しかし、第Ⅸ因子製剤はフィブリノゲン製剤よりも製法上は危険であり、実際に感染報告も多くあったのであるから、東京判決の論理によっても国に責任があると判断されてしかるべきである。

 

(注2)DIC(播種性血管内凝固症候群:Disseminated intravascular coagulation)は、播種性に全身の微少血管内に血栓形成が起こり、虚血などによる血管内皮細胞障害により臓器障害を呈するとともに、止血系因子の消費性低下および二次線溶亢進による著明な出血傾向を生ずる症候群で、悪性腫瘍、感染症や産婦人科疾患などに高頻度に合併する。治療にはATⅢ、ヘパリンやプロテアーゼインヒビターが用いられ、予後は基礎疾患の状態に左右されるが、DICの改善率は50-60%である。このため、更に新しい治療薬が開発されつつある。(日本血栓止血学会 用語集より)

座り込み行動等

薬害のない明るい未来へ

 薬害肝炎原告団は、東京判決後、厚生労働大臣との面談を要請したが、面談を拒否された。
 そこで、薬害肝炎原告団は、決死の覚悟で、本年3月28日、厚生労働大臣ら政府の責任ある立場の人間と面談が認められるまで日比谷公園に座り込みを開始した。

 座り込みは結局、3月28日、29日、30日の3日間にわたって行われ、国会議員、他の薬害被害者など支援をしてくれている方々が多く応援に来られた。
 そして、主要民放TV局4社の取材を始め、多くの報道機関も取材に来た。
 特に、3月29日にはTV局2社から生中継がなされ、広く社会に肝炎問題を訴えかけることができた。
 また、同日には公明党から肝炎問題解決に向けた要請書が内閣官房宛に提出されるなどの動きがあり、解決への機運が高まったかのような感があり、原告団の期待も高まった。
 3月30日は朝から強い雨が降り、2日間の座り込みによる疲労と重なって原告団の精神的・肉体的疲労は限界に近くなった。
 そして、3月29日の公明党の要請に対した政府の具体的な動きは見られないまま、午後3時ころには国が控訴するとの情報が入り、原告団には強い怒りと共に先の見えない徒労感が漂った。
 午後4時ころには、もはや政府からの働きかけはないと判断し、原告団・弁護団全員で官邸に押しかけるべしとなったまさにその時、官邸関係者から、原告団・弁護団の各代表者1名と官邸で要請書を受け取るとの連絡があった。

 午後4時過ぎに、原告団代表山口さんと弁護団代表鈴木弁護士が官邸に向かい、午後5時過ぎ、山口さんと鈴木弁護士が官邸から座り込み現場である日比谷公園に戻ってきた。
 官邸では、下村官房副長官が要請書を受け取り、「政府としてもみなさんと痛みをできるだけ共有したい。与党と一体となって(薬害肝炎の)解決に取り組んでいく」「訴訟とは別に、解決できることがあれば努力する」と明言した。
 それを聞いた山口さんは、「政府を信じて。座り込みを解除しましょう」と原告団に呼びかけ、座り込みは解除された。
 それまで、怒りと悔しさの涙を流していた原告団から初めて喜びの涙が見られた一瞬であった。