鼎談 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

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鼎談

「HIV/AIDSをめぐるアドボカシーと人権」

特定非営利活動法人アフリカ日本協議会 国際保健部門ディレクター 稲場 雅紀 氏
大阪市立大学大学院 創造都市研究科 准教授 新ケ江 章友 氏
司会進行:特定非営利活動法人ネットワーク医療と人権 理事 花井 十伍 氏

運動がもたらす「副作用」とは

花井:
 それでは第2部の鼎談に入りたいと思います。「鼎談」となっているのですが、パネルディスカッションという感じでもなく、またここで何らかの結論を出すというわけでもなく、お二人の基調講演を受けて、いろいろとお話をするということになります。ここではMSMや「ゲイ」、「ホモ」などの言葉は全て鍵括弧付きで、そのまま使わせてもらいます。それを聞いて不快に思われたり、そういった言葉が差別に当たるのかというようないろいろな議論があることは承知しておりますが、一応ここでは全て鍵括弧付きで、文脈からご理解いただくということでお願いします。

 私の自己紹介をしますと、まず薬害エイズという裁判になった事件がありました。これは、いわゆる血友病患者を中心とした5000人の集団が、アメリカから輸入した血液製剤を使用して、そのうちのだいたい40%、1500人程度がHIVに感染したという事件です。先ほどからHIVの歴史が語られていますが、1983年を中央値として、突然日本に私たち1500人の感染者集団がドンと現れました。それ以降、HIVの問題については薬害ということが関わってきます。

 今回このイベントを企画した一つの動機付けなのですが、実はその後「薬害」という言葉がある意味、公認されて行くという流れがあります。それは、私たちが運動をしたこともあるのですが、公認されることはひとまず良いことかも知れません。しかし一方で、医学や薬学などの文脈上において受け入れられるということは、国家が「これは大事な問題だ」という位置を、場所を与えてくれたという意義と、反面、それは私たちが本当の意味で言う「薬害」とは必ず距離ができてしまいます。つまり、国が受け入れた「薬害」と我々が主張する「薬害」は同じではないということです。私たちには「薬害被害者に自分はなる」という当事者性、例えばHIVに感染した時点で薬害の被害者になったわけではなく、その中で「これは薬害なんだ」と主張することによって、「我々は薬害被害者だ」と自覚するというプロセス(過程)があるのです。このプロセスは、まさに闘うための、「おれたちはここにいるぞ、闘うぞ」という旗揚げでもあると同時に、ある種「国家の中において居場所を与えろ、制度の中に取り込め」という意味も持っているので、ここに先ほどのお二人のお話との共通点があるわけです。つまり、「何かを得るために公的なものになるプロセスには、必ず公権力側の整理がルールの中に入る」ということも意味するので、それには危険性もあるということを考えました。なぜこういったことを考えたのかというと、ここで先ほどの稲場さんのお話に繋がっていきます。

 エイズ予防指針を作る時にいろいろ稲場さんともお話ししたのですが、実はその前にエイズ予防法の闘いがあったのです。この闘いはわりと純粋な闘いで、まさに人権という狼煙をこの問題で旗揚げしたわけです。つまり、「エイズ予防法は国家防衛法であり、患者を管理する法であり、患者のケアは一切考えない、けしからん法律である」ということで、まさに「患者の人権を踏みにじり、差別を助長させるものである」という狼煙を上げて闘いを始めたという理解なのです。

 その後、1994年の横浜国際エイズ会議の頃が分岐点になるのですが、その時に大石さんが「スタンドアップ」と言って「私はゲイであるとともにHIV感染者である」ということをダブルカミングアウトします。翌年には薬害エイズで川田龍平君(現・参議院議員)という青年がカミングアウトし、「薬害」という言葉が急速に台頭してきます。結果から言うと、薬害エイズの裁判は、ほぼ勝訴的な和解で終わりました。つまり、原告団は政治的に勝ったと言えます。そして、勝ったが故に裁判所のお墨付きで地位を得て、国は裁判所が認めた責任を根拠に、原告団の要求の多くを受け入れる状況になったわけです。つまり、人権擁護という文脈では無しに、被害者と加害者の関係を土台として、エイズ予防法の批判も行われることになります。そうした経緯の下で、新感染症法という新しい法律が成立し、新法の最初の特定感染症予防指針として、エイズ予防指針が策定されることになります。

 稲場さんとの出会いは、このエイズ予防指針策定の時です。私は最初にその会合に患者として参加した時に、エイズ予防法の国家防衛法的な、文脈上で、ターゲットグループの和訳として国家における「重点対象群」という概念が事務局から提案されました。そして、「国が特定の集団を管理するなど言語道断だ」、「そんなものはとても受け入れがたい」という論調の批判を行う訳です。私も当時は裁判に勝った勢いがあるので、少し肩に力が入って、「国家権力に負けるな」という気負いもあってそう言ったのですが、その会合の後、稲場さんと会い、先ほどのようなお話を説得力を持ってされました。

 その時に稲場さんは「隠された」というふうにお話しされたと思うのですが、私の記憶では「隠されている」と同時に「ないことにされることによって嘲笑の対象になっているのが日本のゲイなんだ」ともおっしゃっていました。「アメリカでは、例えばアクトアップといったようなゲイの団体のHIVに対する運動の華々しい活躍があるが、それに比べて日本のゲイは存在すらなく、嘲笑される対象である。むしろ火中の栗を拾うことによって、これを打破したいんだ」というお話と、先ほどのようなお話をされたので、私は感動を覚えたわけです。ただし一方で、「(稲場さんが当時所属していた)『動くゲイとレズビアンの会』がそうだからといって、他のゲイの人もそうとは限らない危険もあります。そんな中で『動くゲイとレズビアンの会』が責任を背負って立つのはすごい決断ですけど、いいんですか?」とまで私は言ったのですが、稲場さんは「その責任は取る」とおっしゃいました。しかし、その後座長の先生が「若者も重要だ」と言ったことによって、自治体の対策が若者中心に流れてしまいました。若者が入ってきてしまうと、個別施策層は相当薄まった形になってしまいます。それでもゲイが個別施策層として設定されたことは必要なことだったと思います。

 ここまでは良かったのですが、問題はその先です。私たちは薬害の加害者、被害者関係で何でも押し切っていたせいで、結局のところ、本当に大切な人権というものは守られているのかという、つまり「薬害」という言葉を使う副作用について、いろいろと思い当たるようになったわけです。一方で、ゲイへの施策についても課題が出てきているように思います。エイズ予防指針によってコミュニティベースが広がりましたが、それ自体は非常に良いことです。例えば新宿のaktaは、単に予防の拠点ではなくて、先ほど言ったようなLGBT、性的少数者のダイバーシティ(多様性)や、そういうアドボケイト(権利擁護者)の拠点としても機能しています。つまり、公衆衛生政策の土俵を借りながら、実はLGBTの人権擁護にも役立てるという戦略で動いています。ただ、現状を見ていると、研究者は次々と当事者を取り込んで論文を書き、当事者たちは研究者と協同して、例えば若いゲイの男の子たちが「コンドームボーイ」といって一生懸命コンドームを配ったりして、どんどん「良い子」になっていっているような気がなんとなくします。国や研究者はいい感じだけど、結局当事者は彼らに使われているという、当初の目論見とは逆になっているのではないかという気がしないでもありません。「動くゲイとレズビアンの会」は「自分たちが主体だ」と言っていたのですが、どうもそうではないのではないかという疑問を持ちつつ、横目で見ていてそう思いました。新ヶ江さんは「それ自体を批判しているわけではない」とおっしゃっていましたが、なんとなく最初の構想と違ってきているという感じには少し見えていて、それは同時に「薬害」という言葉に依拠した私たちの反省と重なっています。私たちは何かを取り残して忘れてしまったのではないかという思いがあったので、今回こういうイベントを企画しました。

 ここまでが私の自己紹介兼前置きになります。もちろん、あの時点での決断などは必ずしも間違いではなかったと思います。私たちも薬害という言葉を使って裁判をしたことについて、自己否定的に「それは間違っていた」と言う気はないのですが、その「副作用」についてもやはり少し考えておかなければいけないというのが今回の主なテーマです。

 

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