「優生主義の現在-医療技術・科学技術と社会の関係史から」
立命館大学大学院 教授 松原 洋子 氏
松原洋子:1958 年生。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。1998 年お茶の水大学大学院人間文化研究所博士課程修了。博士(学術)。専攻は科学史・科学技術社会論・生命倫理。主な研究テーマは優生学史、障害者のアクセシビリティ支援。著作に『優生学と人間社会』(共著、講談社現代新書、2000 年)、『生命の臨界』(共編著、人文書院、2005 年)など。
自己紹介
皆さんこんにちは。松原です。今の石地さんのお話を聞いて、いろいろと考えさせられました。それについては後のディスカッションの時間にお話しできればと思います。
今日は「優生主義の現在-医療技術・科学技術と社会の関係史から」というテーマで、優生学の歴史と現在、技術の3つを絡ませながら考えてみたいと思います。まず簡単に自己紹介をいたします。
私の専門は科学史と生命倫理学です。優生学の歴史を研究してきており、講談社現代新書で 2000 年に『優生学と
人間社会』という本を仲間と一緒に出しました。これはいろいろな国の優生学、優生政策の歴史を書いたものです。
私はこの中の「日本」を担当し、副題に「戦後の優生保護法という名の断種法」というタイトルをつけました。こ
の章では、優生保護法は戦前のナチス断種法がナチスの亡霊をひきずったものというよりも、むしろ戦後こそ優生政策が必要だとして進められてきた、ということを主張しています。
優生学とは何か
優生学史という呼び方はあまりなじみがないかもしれませんが、科学史や近現代史のジャンルでは注目されてきた
テーマで、国内外で論文や本が出ています。優生学が何かを一言で定義するのはなかなか難しいのですが、あえて端的に言うと「人間の様々な身体的・精神的特徴に優劣をつける」ことを前提とした研究や社会運動です。優劣と言うのは価値ですから、だれがどのように価値づけるかという要素が当然入ってくるわけです。それから生殖に人為的に介入するというのがポイントです。
障害を持った人を安楽死させる、あるいは殺害することを正当化する考え方が、優生思想といわれることもよくあります。注意すべきなのは、近代以降、障害者を公然と放置・ネグレクトできなくなったという前提が優生学にあることです。福祉や医療が発達した社会になったからこそ、「障害を持った人を今後産ませない」ということが大きな特徴になっています。「優れた人」の出生を奨励すると同時に、「劣った人」の出生を防止するというのが優生学です。
優生学と言うと取るに足らない、おかしくトンデモな考え方と思いがちですが、優生学が普及した 20 世紀初頭においては科学として発展してきているわけです。現代のわれわれにとっての教訓は、現時点で見て正しい、科学的であると思っていても後から見ると非常に偏っている、ずさんであると将来評価されうる、ということです。
優生学は 19 世紀のおわりに新興科学として提唱され、20 世紀初頭に普及しましたが、その頃はメンデルの遺伝法則が再発見されたばかりの頃で優生学が初期の遺伝学に貢献した部分がありました。優生学は統計学や精神医学、社会衛生学や産科学、人口学という本流の学問の中に絡み合いながら発達してきました。例えば統計学のピアソン係数は、ロンドン大学の優生学講座教授だったカール・ピアソンという科学者が、優生学研究で統計手法を洗練させていった過程でうまれたものです。これがばかばかしくてこれが正確であるという切り分けが後知恵ではっきりとできたとしても、当時はそうはいきません。有力な科学者たちが優生学に参入していくということはよくあったのです。このように優生学は科学史研究の対象となります。しかし同時に生命の格付けという価値の問題が関わってくるので、これと医療や福祉の関係を考える時に生命倫理問題がでてきます。それで私の場合は科学史と生命倫理の両方の観点から優生学史に関心をもっています。
さてご存知のように、いま優生の問題がにわかにメディアやネットで注目されるようになってきています。比較的最近の動向を申し上げると、2016 年 3 月 7 日、国連の女性差別撤廃条約委員会(CEDAW)が日本政府に対して最終勧告を出しました。その中に女性に対する暴力という項目があります。
勧告に先立ち CEDAW の質問に応答した日本政府は、「優生保護法下での優生手術は厳正に実施」されていたので問題がない、と説明しました。「合法的に実施していたから問題がない」と政府が公式の見解として国連機関である CEDAW に対して行っていた、ということをここで覚えておいてください。
それから先ほどの話にもありましたが、7 月 26 日のやまゆり園での事件では、一連の報道で優生思想や優生保護
法に言及されました。そして 2015 年の 6 月に宮城県の強制不妊手術の被害者の女性が日弁連に人権
救済申し立てをしたのに対して、2017年、日本弁護士連合会が優生手術の被害者に対する謝罪、保障等を求める意
見書を厚生労働大臣に提出しています。
これが HP に記載されている日弁連の意見書です。趣旨では、こう言っています。
「1、国は、旧優生保護法下において実施された優生思想に基づく優生手術及び人工妊娠中絶が、対象者の自己決定
権及びリプロダクティブ・ヘルス/ライツを侵害し、遺伝性疾患、ハンセン病、精神障がい等を理由とする差別で
あったことを認め、被害者に対する謝罪、補償等の適切な措置を速やかに実施すべきである。」
「2、国は、旧優生保護法下において実施された優生思想に基づく優生手術及び人工妊娠中絶に関連する資料を保全し、これら優生手術及び人工妊娠中絶に関する実態調査を速やかに行うべきである。」
日弁連の意見書は、先ほどの CEDAWの勧告と趣旨が重なっています。
これは NHK の「おはよう日本」という朝の全国放送でも取り上げられ一定の注目を集めました。昨年の2月のことです。
その後各紙がそれぞれの都道府県の県庁等に情報公開請求を行い、また自治体も独自に調査して内容を公表するなど、優生保護法の下での強制手術の記録を中心に、その実態を報道し始めました。例えば宮城県の場合は 9 歳の子供から手術を受けています。未成年も多く含まれています。北海道の男性が精神科病院で不妊手術を受けたことについてご本人が提訴を検討しているとか、またこの記事の左側は、北海道では全国で一番強制不妊手術の件数が多かったということで、記者たちが記録を掘り起し、突き付けたわけです。それで知事との定例の記者会見での質問にこたえて、高橋知事は「こういった事実は大変重く受け止めている」と言明し、道庁が独自に調査をしました。中間報告がすでに出ており、間もなく最終報告も出ます。また北海道では副知事が、厚生労働省に対して都道府県に対応を指示することを求めました。右の記事は 3 月 9 日、北海道が相談センターを開くというものです。都道府県によってトーンはだいぶ違いますが、当事者や関係者が連絡できる窓口を率先して設置する動きもみられました。例えば、手術の適否の審査会を開催すべきところを書類の持ち回りで済ませていたなど、優生保護法下でのさまざまな実態が分かってきています。
国会議員も超党派で、自民党の元厚労大臣尾辻秀久さんを会長に議員連盟を発足させています。議連がどのくらい踏み込んで調査を行うのかについて見守る必要がありますが、被害者や支援者のヒアリングをしたり、厚労省の役人が逃げ腰の弁明をするのに対して厳しい言葉が飛ぶなど、被害者救済に向けた取り組みを進めているようです。
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