ディスカッション | ネットワーク医療と人権 (MARS)

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ディスカッション

株式会社 健康予防政策機構 代表 岩崎 惠美子
東北大学大学院医学系研究科・医療倫理学分野 准教授 大北 全俊
特定非営利活動法人ネットワーク医療と人権 理事 花井 十伍

 

司会:若生
 第2部のディスカッションには、急遽、岩崎惠美子さんにご参加いただきます。岩崎さんは、日本で初めての女性検疫所長になられた方で、アフリカでのエボラ出血熱に対する診療を実施されました。また2007年から2年間、仙台市副市長に就任し、当時の新型インフルエンザ対策「仙台方式」を推進し、地域医師会に協力を求め、地域のクリニックでの新型インフルエンザ診療を推進した方です。2012年2月、私たちNPO法人の認証10周年記念講演でお話しいただいた人でもあります。
 さて、この2年間、コロナ対策を進めることで「コロナ対策禍」と言えるような状況に陥ったと思っています。今の社会の混沌とした状況どう思うか、コメントを頂ければと思います。まずは花井さんから、この事態を「長期化した災害」とみなすのか、あるいは「公衆衛生上の危機管理」を考えるべき事なのか、いかがでしょうか。

花井氏:
 私も当事者でそんなに専門というわけではないのですが、エイズ対策や、公衆衛生とか、HPVワクチン訴訟の問題とか、薬害問題に関わってきた経験からコメントします。
 いわゆる政策的な意思決定が、必ずしも合理的ではないと思います。その合理性を追求すれば、もう少し妥当な政策、つまり統治というものが可能になるのではないかという立論で物事を考える癖もついているのですが、そういう考え方にはある意味毒された自分の立場からしても今回のコロナ禍におけるいろいろな現象は、そういう政策決定論だけで記述可能な領域ではないというのが実感です。
 一つは、周りで起こっているいろいろな現象を見て感じるのは、人は政治家や官僚であっても、皆「生活者」だということです。その生活者が生活する上で、その生活の基盤となっているもの、そういう視線から、ひとりひとりの立場でいろいろ見てみると、とても自分たちの生活がうまく回るようには政策が機能していないことは間違いないと思います。これをどう考えていいのかなっていうのが新たな問題意識として今生じているところです。
 確かに統治の問題はとても重要なのですが、最終的には国家による統治にかかる問いは主権者である国民との関係でどうあるべきかという、根本的な問いです。この問いはプーチン政権とか習近平(シーチンピン)政権が、かなりの力をもって、いわゆるパクスアメリカーナ(Pax Americana:超大国アメリカ合衆国の覇権による平和)という幻想をほぼ誰も信用してないというパラダイムの中で、実は世界中に問われている問題として繋がっているのかなと思います。
 先ほど「NHS、俺たちの自慢だ」とイギリスの話をしましたが、日本の皆保険制を海外の人に誇らしげに語る日本人がいるのかわかりませんが、そういうことに対しては、何かお上がちゃんとするべきだというところで投げてしまって、自分たちの生活を自分たちで守るという市井のテクノロジーを徐々に失ってしまう方向に来てしまったのではないかという感想を持ちました。
 まとまってないのですが、いわゆる公衆衛生、統治、法律というものと一つ離れたメタ概念領域で一定程度ディスカッションしないと、この問題を記述しきれない印象を大北さんの話にもそういう点が一つあったと思います。生権力の両義性というか、フーコーの権力概念は難しいですが、それは権力だと言ったところで、何も言ったことになっていないという、今までこれらについて思弁してきた専門家にとっても大きな課題を投げかけられているのではないかと推察いたします。

 

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