「薬害肝炎被害者、姉の憤りの死と再発防止への誓い
【第三者監視・評価機関の創設に向かって」
薬害肝炎全国原告団東京訴訟 遺族/全国薬害被害者団体連絡協議会 肝炎世話人 泉 ゆう子
<経歴>
東京生まれ、青山学院大学卒業。
2003 年~ 薬害肝炎訴訟、東京地裁遺族原告として今日に至る。
2008 年~ 全国薬害被害者団体連絡協議会肝炎世話人。
2008 年~ 【薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会】委員。
2010 年 【第三者組織に関するワーキンググループ】メンバー、【薬害肝炎の検証及び再発防止に関する研究班】分担研究。
2010 年~ 独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)【運営評議会委員】。
姉の憤りの死と薬害再発防止への誓い
『私は自分の健康と命を返してほしいです。返してください!』
『私はこのようになりたくなかった・・・(うつむき、涙をこぼす)私に、命を返してください!』
『子どもたちや親しい人たちと笑い転げていたい、そんな状況に私を戻してください』
『人の命に値段などあるのでしょうか?』
『命はお金などで計り知る事はできません』
『6月の太陽の下、花畑で寝転がったり、走り回ったりしたい・・・』
『国も製薬会社も私に謝ってください!』
険しい顔をした姉がビデオの中で訴えている。亡くなる数日前、私は姉の本心を映像と言葉で残そうとしていた。
証拠保全のための尋問は既に終わっていた。しかし、病室での尋問に付き添った私には(本音で話していない。遠慮している)と感じていた。(言いたい事はこんなものではないはず)と思えた。(原告だとしても、亡くなってしまえば存在もうやむやにされてしまう。そんな事でいいはずがない)(自分の言葉で裁判官や被告に訴えたい言葉を残してあげよう。そして、いつか、意見を述べられる時がきたら、このビデオで参加させてあげよう)、そう思った。
ビデオを撮り終えた姉は、疲れた様子で横になっていた。その姿に、私は(お姉さん、きっとあなたの想い、裁判長に届けるからね。そして、国や製薬企業にもこれを聞かせるからね)と心の中で約束をした・・・
あれから10年になろうとしている。これからも私は、ビデオに向かっていたあの時の姉の姿を決して忘れることはないだろう。
映像に残る姉の姿は、その1ヶ月前とは比べようもない程やつれ、そして弱っていた。声も小さい。しかし、からだ全体から、静かな憤りに満ちた訴えが伝わってくる。
姉は54歳で既に肝臓がんに進行していた。
しかし、それを感じさせない物腰に、ついつい肝臓がんになっている事実を忘れさせてしまう雰囲気の人であった。究極の「がん」にたどり着いてしまった人とは思えないほど、気配りと微笑みで周囲の人と接する人であった。いつも私の落ち着きの無いばたばた生活を心配しては電話を掛けてくれていた。あの時、姉は既に肝臓がんに進行し、ステージⅣのC型肝炎患者で生存率何割と言われていた時期でもあり、妹を心配する余裕などなかった時期であったはずだ。体調が大変不良であった事を、私は後で知った。
10年前の年末、イチゴの歳暮が姉から届いた。そして、その中に手紙が入っていた。それはいつものように優しく丁寧ではあったが、なぜか「覚悟」を連想させるような、そして「闘い」を思わせる言葉もあり、日頃、自分の病気の事を余り話さない姉の、自分の病である「肝炎」に対して、心にしまっていた「静かな怒り」を搾り出したような文面に思えた。静寂の中、凛として立つ姉を連想し、何に対しての「覚悟」であり、何に対しての「闘い」なのか、その時の私には、まだよくわかっていなかった。まだ真剣ではなかった。
姉の「覚悟」を少しも理解できていなかったことに、後で悟る事になる。
それから4ヵ月目を迎える頃、姉は小刻みに入退院を繰り返し、ようやく体調不良を私達にも訴え始めていた。5月になって転院させた静岡がんセンターで、私は初めて姉の予後不良を聞く事となった。残された月日は2ヶ月も無い事を知ったとき、私は姉からもらった手紙にあった「覚悟」の言葉を思い出し、その前後で本人が私に何を話していたか?を思い出していた。姉が何かを私に伝えたい物言いをしていた事や、見舞いにいくたびに、あるいは入院中に頻繁に掛けてきた電話の一言一言を思い出していた。『もう少ししたら、ゆう子に頼みたい事があるの』と言っていた・・・
何を頼もうとしているかは、少しだけ気が付き始めていたが、私からそれを聞くことは出来なかった。
死期がすぐそこに近づいている事を先に知ってしまった私には、それを聞く勇気が無かったのだと思う。年末の姉の手紙にあった「覚悟」の2文字が脳裏に浮かんでは消え・・・聞いてしまえば究極の訣れを肯定してしまうような、恐ろしい事になるように思えていた。
11月に薬害肝炎の原告団に正式に加わったこと、製薬会社と国を訴えることになったこと、弁護士の先生方から裁判の話や【薬害】の資料とともに肝炎も薬害である事を知ったことなどは既に聞いていたし、訴訟に加わる事を勧めていたこともあり、【原告】になる事も自然に受け止めていた。
病院で係りの人からカルテ開示を受け、【フィブリノゲン】の文字を見つけて卒倒してしまった時の姉の姿を思い出してもいた。
姉の「覚悟」の哀しみの深さを知る良しもなく、自分の病気が薬害であった事を知った、憤怒に似た姉の憤りを解ってあげてもいなかった。
ようやく自分の病が、仕方なく諦めていた自分の病気が薬害である事を知ったとき、どんなに悔しく、誰かに救ってほしい、すがりたい気持ちになったのではないだろうか?既に、肝臓がんに進行して後戻りができないと思っていた頃に【フィブリノゲン】の文字を自分のカルテに見つけたこと、後の【418名の隠されたリスト】にも姉の名前は載っていた。
病室で迎えた最後の日、昏睡状態のさなか、子どもの友達の父兄であり、長年姉の健康を気遣って下さっていたお医者様が駆けつけてくれた。それを耳もとで知らされると、意識も定かでなかったはずが、急に起き上がり、ベット上に正座するように座った。訪問のお礼を頭を下げながら口にした姉は、『私の体を、私と同じような苦しい思いをしている人たちのために役立たせてください』とゆっくりした口調で伝え終わると、再び昏睡状態に入り、二度と目を覚ます事は無かった。
この最後の言葉は、『薬害肝炎とはいかに体を蝕むものか知ってもらいたい!』というメッセージと受け止めた私達はこの後、この言葉は本人の遺言ととらえ姉の肝細胞がんによる体の最期を【剖検(注1)】し、実際の被害の有り様を病院に検体した。
体一杯に広がっているその剖検結果を見たとき、私は(これも、裁判官や被告にきっと見せるからね。どんなに、苦しく痛かった事か・・・)と思った。
自分が闘いたくても闘えず、叫びたくても叫べず、生き続ける事が出来ない心からの悔しさを、自分の命が終わっても諦められない思いを、国と製薬会社に、そして裁判所に判ってほしい!
どんなにひどくつらいものであるのかを知らせてほしい。二度と自分と同じ様な被害が出ないよう止めてほしい!
姉は、この薬害訴訟裁判を、自分の亡き後、その思いの継承を私達に遺して逝ってしまった・・・、なんとも重い決断を遺して逝った事か・・・
こうして姉の公正証書遺言により、姉の原告活動を引き継ぎ、『二度と同じ事を起こさないでほしい』といった言葉を自分に響かせ、【薬害再発防止】への活動の入り口に入っていった。
(注1)解剖して調べること。病理解剖を行うこと。
第三者監視・評価機関の創設に向けて
2008年1月、薬害肝炎原告団は国との間で基本合意を締結し、これに基づき【薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会】(以後、省略し【検証委員会】)が設置された。20名の委員の中、5名の委員は薬害肝炎からだけでなく、これまでの薬害の被害団体からも委員が選出され、2年間にわたり、23回の委員会が開かれた。
2010年(平成22年)4月、【検証委員会】は【薬害再発防止のための医薬品行政の見直しについて―――《最終提言》】をまとめ公表した。
実に多くの議案が話し合われた。薬害肝炎事件の経過から、何故この薬で薬害が起きたのかを製造承認から丁寧に拾う検証が続けられ、親委員会から委託をうけた「検証班」ができ、ここでは外部のシンクタンク(注2)を使い【薬害検証班報告】も膨大な報告書を提出している。過去の資料をすべて検証し、すべての裁判の記録や、それ以外に当時の担当者などにインタビューも行い、薬害を引き起こしたいくつかの要因を一つとして見逃さず、最終の検証報告へとたどりついていった。私は、この研究班に途中から加わり、被害者の意識、調査、実態を担ったが、多くの被害を受けた原告らの違った立ち位置から、違った薬害の実態を見たように思えた。皆、自身の健康被害以外にも、社会的にも薬害に出くわしたための被害を受けていた。
親委員会である「検証会議」では、薬害を起こした背景に薬事行政のあり方を検討する必要があるとして、再発防止のためにはどのような改正が必要であるかが話し合われた。その多くの資料は厚生労働省の事務方が提示する資料であり、議案、議題の進行は事務方が担っていたが、薬害の再発防止のための医薬品行政の体制の見直しや、人材の育成と確保のあり方、臨床試験・治験のあり方や被験者の権利保護・救済、承認審査の評価のあり方、添付文書のあり方、さらに市販後安全対策の情報強化から、GMP(注3)調査のあり方、さらに医療機関の安全性の対策の取組み強化など、薬事法改正につながる議論が広げられた。
その中、委員会中盤では、薬害の再発防止について新たな監視組織が必要であるという意見が出たが、この資料ははじめからは事務方から用意されておらず、後に資料が出されるが、【検証委員会】では最優先事案と20名の委員全員が同意した事案にもかかわらず、事務方の資料ではなぜか最後尾に近い扱いであった。
【検証委員会】では、【第三者監視・評価機関】の創設に絞り込んで【ワーキングチーム】が別途設けられた。
その議論の結果が【最終提言】では、医薬品行政を担う組織の今後のあり方として第三者監視・評価組織の創設が必然であることが提言された。この組織はどのように存在すべきか、それは大変難しい問題であるが、今、これを日本に作らなければ、日本の医薬品行政の体制的問題は解決しない。
いかに新薬が開発されようと、安全性に注視し、有効性などの市販後を監視しても、自らが承認し、自らが100%監視することなどできない。それだから薬害は阻止できなかった。
国は薬害の被害が起こるたびに、被害者に【二度と起こさないことを誓い、被害にあった原告らに心からお詫びする】と深謝するが、言葉で謝って以来、30年の余、国は再発防止ができなかった事実を直視しなければならない。
特に、政権与党は国民のあるべき姿を示すとき、人間の手で作った公害と同様、薬害であり憲法に違反する、国民の平等と幸せが失われる事実に厳しい規制を掛けるべく、体制を監視できる組織を作る事を約束しなければならない。それが、薬害肝炎の和解、「基本合意」の下にできるべき、国の謝罪の形でなければならない。
個別の製薬に対して監視し、評価し、監視組織が独自の調査をできるような、これまでのような行政と密接につながり、行政の関与で動く機関であってはならないと私は思う。
* 独立性 * 機動性 * 専門性 * 透明性
等、「法律に根拠を有する独立の組織の形」が必要であることは譲れないし、譲ることなどで監視・評価組織はできない。
国、厚生労働省がどのような形で「第三者監視・評価機関」の創設を拒もうと、過去の薬害から導き出された再発防止のためには【第三者監視・評価機関】を作る事と【検証委員会】の20名の先生方は全員で確認し、【最終提言】にとりまとめたのであった。
もちろん、委員会として成立するには必ず予算をしっかり取らなければならないし、事務局も必要であり、場所も必要である。
「世界に先駆けた再生医療製品の特性を活かす承認審査や市販後安全対策」が新法律として国会に上程しようとする時期、同時に対極にあるようなイメージがあるかもしれないが、中身のある「第三者監視・評価組織」を思いっきり、とびぬけたスケールの大きい枠組みで作る事ができなければ、日本はグローバルスタンダードの道には到達しない。世界の中で医療・医薬の先進国としての立ち位置は確保できない。
≪薬害の反省の基、国は謙虚に再発防止を誓い、一緒にこの組織が作れる技量を見せてほしい≫
これが、薬害肝炎は刑事罰で罰するべきと思った事もある私の我慢だ。親しい人が、家族が、薬によって重篤な副作用に苦しみ、やがて死に至る事実は、人権的に言っても、一人一人の命の尊さを謳っている憲法にも違反をする。ましてや原因が、国や製造者によって結果を招いたものと検証されたのであれば、言い訳無用である。
国は医療イノベーション5ヵ年戦略の着実な推進を進めているが、その中に【世界最高水準の医薬品・医療機器を国民へ迅速に提供】とある。
革新的医薬品・医療機器の創出は当然、臨床現場での研究と治験の大規模な機能が必要であり、審査の合理化や迅速性が求めていかれるものであろう。この審査の合理化・迅速性の質は当然求められるところであるが、どのようにしてこれら新たに進んで行く近未来に薬事行政が正常にかかわっていけるのか?
どのような方向から考えても【第三者監視・評価機関】は不要であるはずが無い。できれば国家行政組織法3条の委員会で設置をしてほしい。国は医薬品・医療機器の世界における日本の位置づけを高める計画があるからこそ、「監視・評価」は厚生労働省に設置する審議会であってはならない。
実は「監視・評価」と「戦略的推進」は対極にあるのでなく、平衡的に存在しなければならない。新たな枠組みで勧められている医薬品のイノベーション(注4)や、レギュラトリーサイエンス(注5)の理論からいっても、国によって用意されるべき正しい設置法で存在させなくてはならないと思う。
本来、薬事行政の改革とは別段として、【第三者監視・評価機関】の設置に向けて作業が行われなければならなかったはずだ。
実際、平成24年5月16日に厚生労働省1階会議室で行われた厚生労働省の事務方と薬害肝炎原告・弁護団との再発防止作業部会(薬害肝炎原告・弁護団の取組名)では、厚生労働省の総務課は以下のように回答した。
- 提出予定法案をA、B、Cと3区分しており、薬事法改正案はCとして検討中である。
- 条文案、要綱案はある。第三者組織については、提言、監督、意見具申という3つの機能が重要なので、そのような案にしている。
- 新たな法律を改正して設置するので、既存審議会の下になる事は絶対にない。透明性については、患者、市民、被害者等、識見を有している人ということで選ぶ。
八条委員会(注6)か?との質問には、
- そのとおりであり、新たな審議会という事になる。
- 事務局費、委員の謝金などがかかるが、それがネックだとは言っていない。膨大な額というわけでもない。
しかしながら、これらの回答はいつのまにか「なかったこと」として野党ヒヤリングで担当が説明しているのが厚生労働省の現実である。その後、先の政権与党が「議員立法」で作ると出してきたが、本末転倒の中身のない、形だけの位置付けの【第三者監視・評価機関】にすり替わっていた。
政権も変わり、継続審議事案のこの案は即刻消滅するとして、薬害被害者も本気になって、日本のこれからにどのような【第三者監視・評価機関】が必要かも再考しなければならないであろう。
【最終提言】で求めた内容を遵守できるような形、法律を携えなければならない国家行政組織法でしか、それはできない事をもう一度再認識したい。
薬害肝炎原告団・弁護団は3人の大臣から、代わるたびにこれを確認し、各大臣は皆、約束をしてきた。薬害の被害者を愚弄してはならない。薬害の被害者の、亡くなっていった方々の憤りを忘れてはならない。
【検証委員会】と、その後の薬事行政の改正を審議する【改正部会】の2つの委員会が【第三者監視・評価機関の創設】についてどのように審議したかは、評価できるところとできないところがある。出来ないところの多くは、厚生労働省の審議進行によって意図して仕向けられた感があり、そんな事は無いと言われても懐疑的であり、肯定するのは難しい。
【検証委員会】では、スタートが市販後の安全対策であった。無論、市販後の安全対策の議論は必要であるが、何故かそこでは医薬品医療機器総合機構(以下、PMDA)の人員増強の概算要求の理論付けが真っ先に話し合われた感がする。
この機会を上手に使いたい思惑が感じられ、漸く和解にこぎつけた原告らは「どのように再発防止が話合われ」「自分たちの被害の真実は何であったのか」を知りたいと傍聴に来ていたが、「したたかな厚生労働省の姿を見た思いで吐き気がした」と述べた方がいた。私も、大臣に「概算要求に賛成できかねる、と言ったらどうするおつもりか?」と聞いてみた。「ぜひ、援護射撃をいただきたい」が回答であった。『安全性の枠組みを作るためにもPMDAの増員を認証したい』の一点のみが強調され進行している様子は否めず無念であった。いわば、初めから用意されていた感がする。薬害被害者が『検証会議が概算要求の道具に使われているようで不愉快、というか、私達は治りようのない体でこの委員会に傍聴するため参加している。悔しい』、ほとんどの原告らの意見であったと思う。
(注2)諸分野に関する政策立案・政策提言を主たる業務とする研究機関。
(注3)「Good Manufacturing Practice」の略で、製造所における製造管理、品質管理の基準のこと。
(注4)それまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすこと。
(注5)「科学技術の成果を人と社会に役立てることを目的に、根拠に基づく的確な予測、評価、判断を行い、科学技術の成果を人と社会との調和の上で最も望ましい姿に調整するための科学」(第4次科学技術基本計画、平成23年8月19日閣議決定)
(注6)国家行政組織法8条に基づき置かれる審議会等のこと。同法3条に基づく「三条委員会」よりは独立性が弱く、行政に対する強制力は持たない。
今後の課題
私は、無念に亡くなっていった姉を持つ遺族の一人だ。平成24年度は3月以降、国会を回り、議員面談などを重ね、大臣協議でも約束を求めたが、9月に突如【議員立法案】を与党が厚生労働部会に提出し、継続審議のまま国会は閉会し、現在の自由民主党に政権が変わった。私達は、できれば政治とはかかわらず生きていきたいと思っていたが、今さらながら厚生労働省が突然【検証会議】以後に出してきた【国家行政組織法――八条委員会、三条委員会は平成11年4月27日の閣議決定により、新たな審議会は設置できない】という論点の誤りに元与党が動いた事に対して、認識、勉強不足を非難したい。「なんと技量の狭い見解か?このような形で医薬品・医療機器を国民に迅速に提供できるわけが無い。片羽だけではだめ。双方の羽があって、初めて日本の医薬・医療は先進国として機能する事をわかっていない」と思う。
現在、厚生労働省が【第三者監視・評価機関の創設】に阻止として使っている『平成11年4月27日の新たな審議会を原則新設しない閣議決定』には、その条項の説明に「いたずらに・・・作らない」とある事を勉強していない方々、詭弁にもそれで逃れようとしている厚生労働行政には、今後も話し合いを続けていくつもりでいる。どの形であれ、予算、事務局、場所、さらに書いたようないくつかを満たす形ができるのであれば、形は問わない。
しかし、できるのであれば、スケールの大きい思惑でこの機関を捉えてもらいたい。それが、薬害・副作用を未然に蔓延させず、真の医薬品の開発発展にもつながると信じる。
【第三者監視・評価機関の創設】がいつの日か、あってよかったと思える日が必ず来る。それまで、力強く、肝炎原告団の被害者の皆さん、薬被連、支援者、有識者と連結を、交信を続け、国会に働きかけられるよう、今日もこれから議員会館に集まり、議員室を回る。地道に、確実にまい進する。
参考資料:「医薬品等行政評価・監視委員会設置法案」に対する意見書