MERS主催ミニセミナー第2弾 開催報告 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

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MERS主催ミニセミナー第2弾 開催報告

「セクシュアリティとHIV/AIDS」

イントロダクション

 2008年3月2日に賛助会員を対象としたMERS第2弾ミニセミナーを実施しました。MERSの理念には、「感染症に対する差別・偏見のない社会」を掲げていますが、原点に立ち返って、改めて「HIV/AIDS」をセミナーテーマとしました。
 現在、日本では、性的接触によるHIV感染が新規感染者全体の9割以上を占めています(「2007年エイズ発生動向年報」より)。そのような日本の現状を踏まえて、医療ソーシャルワーカーの岡本学さんから「セクシュアリティとHIV/AIDS」についてお話いただき、近年のHIV/AIDSの状況について学ぶ機会としました。
 セミナーでは、岡本さんがワーカーとして関わってきた様々なケースと自身の実体験など、両者ともリアルな話として参加者に伝えられました。今回のセミナーを通じて、関西圏におけるHIV感染者の状況、セクシュアリティを背景とした生活上の「うまくいかなさ(生きづらさ)」が少しでも見えたと思います。
 以下に、セミナーの内容をご報告させていただきます。

<開催概要>
講       師:岡本 学 氏(国立病院機構大阪医療センター 医療ソーシャルワーカー)
開  催  日:2008年3月2日(日)14:00~16:00
開催場所:エル大阪南館 南75

データから関西圏のHIV/AIDSの状況を見る

 関西のHIV/AIDSの現状について振り返りを先にさせていただいて、その中でセクシュアリティの話がどんなふうに出てくるのかという中で、セクシュアリティについてのお話もさせていただきたいと思います。

【参考資料1】

 皆さんご存知のようにですね、毎年どんどん新規HIV感染者報告数が増えています。2006年、2007年には1000件を超える報告があがっています。(参考資料1参照)

【参考資料2】

※参考資料は、いずれもエイズ動向委員会(http://api-net.jfap.or.jp/mhw/survey/mhw_survey.htm、2017年8月現在リンク切れ)のデータを元に作成。


 ほとんどの地域が顕著に報告数が伸びている状況です。 近畿ブロックでは、大阪府のエイズ患者の報告数が一番多いですが、以前の報告なので、これは居住地とは限りません。あくまでも発見(HIV感染が確認)された場所(施設)での報告となっていますので、大阪府が一番多いです。続いて兵庫、京都となっています。(参考資料2参照)

 関西の医療体制については、各都道府県に拠点病院があります。けれども、実際にはこの中で更生医療、いわゆる公費での医療が保証されている施設と、その指定を取られていない施設とがあります。(更生医療の指定を取得している病院は)奈良は一施設しかないので100%、和歌山も100%、滋賀も100%なんですけれども、その他では、拠点病院であっても更生医療の指定が取られていない、という施設があります。(更生医療の指定が)取られてないからHIV/AIDSの治療をしていない、ということは一概には言えないんですが、公費の負担での治療が難しい場合があります。

 ただ、血友病とか、いわゆる薬害の患者に関しては別の制度がありますので、そういう方だけを診ている、という病院も、(更生医療の)指定をとられていない病院の中にはあります。

 うちの病院がその中でどのような状況なのか。1997年にブロック拠点病院になってから、新規の患者さんがだんだん増えてきて、累積患者数が昨年1200人を超えました。このままいくと、そのうちどうなるんだろうなぁ、と職員間では話題になることがあります。

 HIVには、セクシュアリティの話がどうしても絡んできます。うちの患者さんの感染経路を見た時に、同性間の感染の方が年々多くなっていまして、7割を超える方が同性間での感染だと報告されています。患者さんの紹介元では、いわゆる「検査場」と言われている保健所だったりとか、NPOが委託を受けて実施している土曜検査とか日曜検査とかよりも、一般医療機関からの紹介が多いので、性感染症の梅毒が分かってHIVも検査をする、というような方が実際のところ多く、もう少し保健所とか検査場で分かるようになると、もっと早くに感染の状況が分かっていくのかなぁとは思っています。

 うちの外来の状況ですけれども、20代、30代、40代の方が大半です。僕が今注目しているのが、実は50代、60代の方々です。このままいくと、高齢者対策がないとやっていけなくなると感じています。うちの病院で約半数の方が身障者手帳を持っていて、公費負担の手続きをされているのが、その3分の1程度です。うちの外来では、看護師、カウンセラー、薬剤師、ソーシャルワーカーとドクターがチームを組んで対応をしています。

 HIV感染者の入院の方も年々増えています。(入院患者の中には)エイズ発症の方がある一定割合占めてらっしゃるのと、エイズ発症されていない方もいろんな理由で入院をされています。エイズ発症例に関しては、カリニ肺炎が半数を超えています。出産をされている方も時々いらっしゃいます。

医療ソーシャルワーカーとは? そしてその主な相談概要は?

 ワーカーが何をしているのかということを簡単に説明します。医療ソーシャルワーカーというのは基本的に、こんどの(平成20年4月)診療報酬改定でずいぶん位置づけられることにはなりましたけれども、病院の収入には直結しない、いわば働いてもお金にならない人です。

 「急な入院になったけれども医療費のことが心配で」という形でご相談に来られる方だったりとか、「子どもが生まれたのだけれども、その子どもがしばらく入院することになって、授乳のために通いたい」「上の子どもたちの世話を頼める人がいない」という相談に来られたり、「退院をするように先生からは言われているけれども、今の状況では家ではとても暮らせる状況ではないからどうしたらいいか」とか、「これからはリハビリをがんばるように言われたんだけれども、リハビリの病院ってどういうところですか」というようなことで患者さんが相談に来られたりしています。あとは、がんの患者さんが多いので、「抗がん剤はもう効かないと医師に言われて、これからの生活とか治療をどう切り替えていくか」というご相談に来られたりします。

 HIV感染者の方はほとんど仕事をされていて、相談内容は人によって全く違っています。「朝起きて、ご飯を食べて内服、出勤、仕事が終わったら帰宅して、ご飯を食べて服薬する」という生活をされている方や、「朝起きて、ご飯を食べずに出勤して、お仕事が終わった後に家に帰って、寝る前にだけお薬を飲む」というように、人によって生活はいろいろです。そしたら、うまくいけてるじゃないか、という話なんですけれども、ご相談というのは寄せられています。

 「手続きの更新については自分でできる、一人暮らしなので家族の問題もない、薬も慣れた、薬の飲み忘れもなく習慣付いている」という方でも、「3ヶ月に一度病院に行くために有休を取っているので、会社の職員から『お前また休むんか』と言われ、『肝臓が悪いから』とは言っているけれども、なんかウソをついているような気がして嫌だ」というような相談をされる方がいらっしゃったりとか、「感染したことが分かったけれども、こんなこと誰にも言えない、何で僕なのだろう、僕はいろんな人とセックスしたりしてないのに・・・」「何か薬を飲まないといけないと言われたのだけど、どうしたらいいのか分からない」というようなことをご相談の中でお話をされたりします。また、「お金が高いと言われたから薬を飲むのをためらっていたけど、それぐらいならやっていけるかな」という話になっても、「家に通知が届くようなことは嫌です」というようなお話になったり、「利用できる制度があっても利用できる状況ではないんだ」というふうな相談をされることもあります。

 うちの病院での相談状況なんですけれども、去年の1月~3月の3ヶ月間だけを見ると、医療費だけの相談に来られた方、医療費のことと他の事を一緒にご相談された方とで全体の約8割を占めています。

 ただ逆に、医療費以外の相談事と、医療費の相談もしたけどそれ以外の相談もされた方も6割には上がりますので、医療費だけの相談ではないなぁ、と思っています。医療費の相談では、「公費負担の手続きをどうするのか」というような話をすることが多いです。

 医療費以外の相談では、プライバシーに関すること、生活費に関すること、その他の福祉制度、歯科の受診とかその他の受診についてのご相談、仕事上のこと、パートナー、性生活のこと、というようなご相談があります。

 外国籍の方からの相談を受けることもあります。私も日本語以外全くできないので、外国籍の方では制度を使うということに関して相談をする以前に、医者と円滑なコミュニケーションをするために、まずは言語通訳の派遣を確認することもあります。

 その他に、身体に影響を及ぼされた方、もしくはその他の理由で介護が必要になられた方とかもいらっしゃいますので、療養介護に関することも相談がありますし、他の陽性者がどうしているのかなどの相談の他に、自分だけではなんともできないので相談したいと来られるケースもあります。最近では、(相談のテーマに)時々法に抵触するような薬物に関することとか、借金に関することが出てきているなぁとも感じています。

 セクシュアリティがなんで出てくるんだという話なんですけれども、例えば、患者さんの中には「言うしかないので、入院になった時に家族にHIV感染のことを言いました」という方がいらっしゃいます。ただそこで、「なぜ感染したのか」という話になると、「それはちょっと・・・」と言われることが多いです。HIV感染というと、どうしても「イメージが悪い」と言われることがあって、ご本人さん自身も「イメージの悪いことが多いなぁ」と思っているのでは、と感じることがあります。そのイメージの中には、「ふしだらな性生活をしているんじゃないかと思われるんじゃないか」ということや、「同性愛であると決めてかかられるんじゃないか」ということで、自分でもかなり接しづらいと言われる方がいらっしゃって、一番上に感染自体の持つスティグマというものと合わせて、同性愛であるということに関するスティグマを抱えていらっしゃる方がいるように思います。

 私自身、男性同性愛者なんですね。私自身がこのように人前で、「男性同性愛者です」と言えるのは、きっと私があまり特有のスティグマを感じていなくて、「自分のことは考えてもしょうがない」と思っていることが大きいのです。だから、(患者さんの中には)それは口には出せない、とか、人には知られることではない、と思ったり、言っても分かってもらえない、と思っていたりすることなどがあるなぁ、と思います。以前はゲイだということが言えないと、具体的なサービスが受けにくい状態でした。例えば、これから性生活をどうしよう、という話を聞いた時に、医療者側がその人を異性愛者、例えば僕のことを女性とセックスをする人だと見て対応をすると、僕に対して「女性といかにセックスをするか」という話にしかならないので、僕自身の性生活を支援するということにはつながりません。うちの病院では、必ず感染経路の確認を「あなたがセックスをする時はどうしてますか、誰としていますか」というような話から話す先生が多いですけれども、最近では逆に「医師から『あなたのセックスの相手は男性ですか、女性ですか』というようなお話をされるものだ」という前提にない人が、突然それを問われることで、初めは自身のセクシュアリティを偽ることが増えてきているのかな、と感じています。

セクシュアリティとは

 簡単にセクシュアリティについてのおさらいをしたいと思います。研究者によっては5つに分けられる方もいらっしゃいますが、僕は5つに分けるとわからなくなるので・・・。

 最初に、病院での話ばかりなので申し訳ないのですが、診察申し込みを取るときに、名前と生年月日、男女にチェックをする項目があって、住所とか電話番号とかを書いて、今日は何の調子が悪くて来ましたか、ということを紙に書くわけなんですが、ここでいきなり男か女か聞かれます。日常生活で何気なく、男性か女性か、ということを書く機会が多かったりとか、免許証とかパスポートには書いてあったりとか、病院の診察券にも男か女かということが書いてあります。あんまり意識をせずに使っていて、人としゃべる時にも、「●●さんは男性なんだろうな」と思ってしまうとか、そういう形で人と会話をする時も、「きっとこの人はそうなんだろう」という「前提」を作って話をする人が多いですけれども、「男か女か」として分けるとなると、しんどくなる場合があります。何をもって男か女か分けるのか、という話をされると、人によって、例えば、戸籍がどうなっているか、とか言われることがあります。確かに日本の戸籍は男性か女性かのどちらかを登録することになっていて、出生届を出して登録する形になります。

 小中学生の理科、小学生だったか、もしくは中学生だったと思うんですが、性染色体という話があって、XXだと女性で、XYだと男性だ、と染色体の遺伝子上の話をされたと思います。確かにそうなんだけれども、それに対して僕は少しの違和感もなくて、小さいときからずっと大人になったんですが、自分が何者かよく分からなくなった時に、いろんな本を読んだりとか、いろんな講演を聞きに行かざるを得なくなってしまった時に、やっぱり(男女の)どっちかでもないのだという話に出くわしました。アメリカの女性の陸上選手が優勝し、金メダル獲得の際に、その後のセックスチェックで遺伝子がXYだった、ということを理由に金メダルをもらえなかった、という事件がありました。

 性染色体、XXとXYが必ずしも男女なのか、というとそうではない。XX、XY以外の性染色体の組み合わせで生きてらっしゃる人もいます。あとはインターセックス、半陰陽と言われますけれども、(生物学的に男女の)どっちか、と言われると、「ちょっと、どっちかなぁ・・・」ということになる場合です。

 人間の体の中には、外性器、見た目にわかる性器の部分と、内性器という、いろんな生殖を司ったり、ホルモン分泌をするような器官があったりしますけれども、いわゆる男性器と言われるものと女性器と言われるもののどっちかにちゃんと分かれるかというと、そうではない、というような方がおられます。そういう方々のことをインターセックスとか半陰陽と言われますけれども、生まれた時におちんちんがあるかないかでたいがい男の子か女の子かを決めてしまわれます。生まれた時に遺伝子検査をして判別する方法もあります。最近は遺伝の病気もあるので、調べられる方もいらっしゃいますけれども、(親御さんが)「調べない」という場合は外性器の見た目で「この子は男の子、女の子」と言って、出生届を書いて、それを役所に出すと、戸籍上男か女かが決定します。

 最近長いこと会っていませんが、ある半陰半陽の方がいらっしゃいました。彼は男の子だと生まれた時に言われ、戸籍上男性で、すくすく育っていく中で、ふとある時体に「これは乳房なのではないか?」と違和感を持ったんですね。二次性徴を迎える時に体の一部分に。想定された機能ではない働きをした、というよりも、もともとの意図される中にはそういうものがあったのに、それはちっちゃい時、生まれた時には判別がつかなかったので、まぁとりあえず男の子でしょう、と判断されたけれども、二次性徴の時に、女性側に働きかけるような働きを体がしたので、彼は自分が男なのか女なのかが分からなくなってきて、でも「男の子」なので、海パン一丁でプールの授業をしないといけないとか、「男の子」として生きていかないといけない場面で、「そう(男)ではないのではないか」というところでしんどくなった、という話を本人から聞きました。そういうふうに、「(男女)どっちかではないものがある」ということが、あまり子どもの頃には教えられないので、それが、しんどくなる、ということにつながっているという感じで。男女のどっちかというと分かりやすいですもんね。男の子はこう、女の子はこう、というと、いろんなことが分かりやすくなるんですけれども、そうではない場合がある、ということです。

 同じように、性自認、自分の性別がどうであれ、「男の人だと自認しているのか、女の人なんだと自認しているのか」というよりも、「そう(男あるいは女)ではないかもしれない」という自認をしている人も多いです。見た目だったりとか、戸籍だったりとか、ボディがどうか、ということと、これが必ず一致するのか、というと、そうでもない場合があります。これが何年か前から話題になった性同一性障害ということで、疾病として認定をすることで、体を心側・精神側に近づけることで「その人が生きやすくなるように」と、性別再判定手術、いわゆる性転換の手術をできるようにしよう、という動きもあります。

セクシュアリティとの付き合い ~自分の経験から~

 あまり僕は賢い話をするのが苦手なので、自分の生い立ちを含めて話をしたいと思います。僕には、「(性別について)自分がどうだ」とかが分からなくなった時期が実際あったんですね。小学校の高学年か中学校にかけてくらいに、周りの男の子たちがどんどん肉体的に二次性徴を迎えて、体がゴツくなっていったりとか、声変わりをして声が低くなっていったりしました。僕今日体調が悪くてガラガラなのでそんなに高くはないですが、基本的に僕は声がかなり高くて、キャッキャ言っていると女の子に紛れるので、「男らしさって何だろう」というようなことにぶつかった時代があります。

 さらにですね、その自分自身の、自認がどうなるか、ということと別で、性的指向、僕は18、19の頃にようやく、「あっ、こういうふうに考えることができるのね」ということに出くわしました。ですが、それまではこんなこと知らなかったので、自分がどちらの性に対して、自分の性的興味がどういう部分、どういうところに向かうのか、という性的指向というところで、「僕は男の人が好き、ということは僕は女?」という風に、何かこの2つが僕は理解ができなくて、自分が何者なのかが分からなくなった時期がありました。「どちら」というと男女どっちかを選ばないといけないみたいなのですが。今は、「僕は男性同性愛者です」と言って、人前でも言えるんですけれども、当時はそんなもの知らなかったので、すごく理解に苦しみました。

 そんなことがあると、どんな「うまくいかなさ」が出てくるか、というと、過度に「男であらなければならない」と思って、いかに男らしく振舞うかを気にしてしまう場合があります。そのようにプラス方面にいく場合はいいんですけれども、僕はマイナス方面に向かうところが多くありました。いわゆる「ボディが男で、性自認が男で、女の人が好き」という、世の中がよく言う「男の人」というところから外れることがすごく怖かったんですね。多数決って怖いな、マジョリティって怖いな、と思うんですが、「これしか世の中にはいてはいけない、こうでないとマズい」と思っていたんですね。

 当時ですね、例えばオカマだったりとか、ニューハーフだったりとか、ミスターレディだったりとか、いろんな表現でこうではない人、例えばこれが(肉体的に)男、(性自認が)女、(性的指向が)男であろうが、男、男、男であろうが、今考えると、あっなるほど、肉体的にはこうで、性自認がこうで、性的指向がこうなのね、といって分けて考えることもできるんですが、そんなことは分けて理解しておらず、全部一緒だったんですね。ボディが男で、性自認が女性で、恋愛対象が男の人。もうこの人はズバリ異性愛者なわけですよね。自分は女性で男の人が好きということです。性自認が男で、男の人が好き。これ同性愛者というのはもうすっきり言えるかなぁ、と思うんですが、これもスパン!と分かれるわけではないので、なんか(肉体・性自認・性的指向それぞれが)よく分からないなぁ、となると、傍目には一緒に見えてしまったわけですね。

 中学生、高校生時代に僕は将来水商売をするしかない、と正直思っていました。世の中でそういう人(肉体的に男性、性自認は男性、性的指向が男性)がいるんだ、なんてことは誰も教えてくれなかったので、そうなる(性的指向が男性となる)とそういう生き方しかないか、と思っていて、なんかちょっと(男性同性愛者は)マイナスなイメージを含んで使われることが多かったので、僕はこうなってはいけないんだ、と思っていて、なってはいけないけれどもそうなるしかない、とどこかで思っていて、人からそう見られることがいちばん怖くて、人からそう見られると村八分にされるんじゃないかとか、とてもネガティブなことを考えていて、それが僕のマイナスに働いた理由だったと今は思うのですが、マイナスに働いた僕は本当に最低で、バッシングをしました。本当になんて素敵な青春時代を送ったのだろう、と思うのですが、「オカマはダメ、キショい、キモい」と自分が口に出すことで、「自分はそうじゃないんだ」というふうに人から見られることを期待したんだと思うんですが、当時の僕はバッシングをしました。

 これがある日、もう耐えられなくなったのがいつ頃やったっけな。気付いたのは本当に早かったです。小学生ぐらいに、「人と違う」と思いました。

 小学5年生の時のことを僕は今でも覚えていて、いろんな、毎年僕は高校とか大学とかでなんか、自分はこういうセクシュアリティを当事者として語れ、と言われることが多いので、当事者として話をしに行くことが多いんですけれども。小学校5年生の時に、教室に残っていたんですね。5時間の授業が終わって、夕方からの部活をするまでの間、「家に帰るのもめんどくさい」と思って教室に残っていて、その時サトコちゃんという女の子が一緒に残っていたんです。「なぁなぁ、学はクラスで誰が好き?」という話をサトコちゃんが始めて、彼女が「私な、ゴウ君とカズノリ君とタツヤ君とアキラ君となんとか君・・・」と5人の名前を言いました。「男20人しかいない、20人20人の40人学級で5人も挙げたんか、コイツ」と思いながら、「あぁあぁあぁあぁ、なるほど、ゴウ君なぁ、あぁアキラ君なぁ」と思いながら聞いていたわけです。「あぁあぁ、なるほどなぁ」と思って聞いていて、「で、学は?」と聞かれた時に、「いや、おれもアキラ君が・・・」と言うわけにはいかなくて、「あっ、えっと僕は、えっと、え~と、え~と、キョウコちゃんと・・・」と、なんか負けずと女の子の名前を5人挙げたわけです。どう比べたって僕はアキラ君に軍配が上がるのに、僕は女の子の名前を5人も挙げたことがすごく残っていて、あの時から僕はウソをつけばその場が和む、ほじくられずにすむ、というか、自分がそうだ(男性を好きになっている)と知られないでいられる術を見につけた瞬間だなぁ、と思った出来事がありました。それがずっと続くんですね。

 高校時代にすごくしんどくなったのが、とても仲良くしていたサッカー部の友達が、恋愛相談だったと思うんですが、まぁしょうもないことで悩んでいたんですね。でも、今思えばしょうもないことでも当時の自分たちは真剣で、何よりも大事なことで、それがあるがためにいろんなことが手につかない、みたいになっていって、友人が話すことを聞くぐらいしかできないから聞いていました。ある時彼が、「お前のおかげですごく救われた。すごい親友や、お前も何かあったら俺に言え」というようなことを言ってくれたんです。彼にとって親友だというふうに思われたことはとても嬉しいことで、「俺はこんだけお前に言ったぞ」と言われることはとても嬉しいことなんですけれども、「だからお前も俺に言え」と言われたらめっちゃ怖くなってしまったんですね。なぜなら、だって僕が今一番、心のどこかでずっとわだかまっているのは、「僕は『変態』かもしれない」ということだから。

 僕は、これ(男性が男性を好きになること)が「=変態」だったんですね。なので、すごく親愛を示してくれ、「分かり合えたよね、俺たち」みたいなことを言われた時に、相手に本当のことを言っていない、ということがすごくしんどくなったのを覚えています。結局、距離のとり方が分からなくなって、彼と親密になればなるほど黙っている自分がすごくしんどくなるので、そこを乗り越えることができず、彼との距離を置いていく、というかズラしていくことで触れられずにすむ、そこまで自分を見られずにすむ方が楽なんじゃないか、と逃げ出したのを覚えています。

 こんなことを言いながらも、僕は中学校、高校とずっと彼女がいるんです。思春期を迎える頃って、なんかカッコよくありたいじゃないですか。「カッコよさ」がよく分からなかったんですが、当時の「カッコよさ」は人より早く大人なことだったんです。人より早く大人なことっていうのは、中身がしっかりしているとか、自分を持っているとかっていうような内面的なものではなく、例えば恋人がいるとか、デートをしたことがあるとか、チューをしたらしいとか、なんかそういう性的に人より早熟であるということが、これぐらいの僕にはすごい大人なことに見えて、それがカッコいいことのように思えていたので、だからその波には乗らないといけない気がして、こんなこと(男性を好きになっている自分)はスッポリ置いといて、波に乗って暮らしていた。ところが将来像はここ(水商売)しか見えなかったわけです。

 テレビをつけるとトレンディードラマをやっているんですね。高校生の前でこの話をすると、まったくジェネレーションが違って、「鈴木保奈美?誰それ?」という風になるんですが、今日のジェネレーションだと大丈夫だと思うのでちょっと嬉しいです。テレビをつけると、トレンディードラマ最盛期だったので、浅野ゆう子、温子コンビの時代だったんですね。男と女が何人か、男前のお兄さんとベッピンのお姉さんが出てきて、恋に落ちて、という世界が夜になると始まるわけですね。それは別にドロドロしたものではなく、爽やかなんですよね、あくまでも。ベットシーンは基本出てきませんので、恋愛のドロドロとかもあまり出て来ず、爽やかに恋愛をして、結婚というゴールインがあったりとか、中には、子どもができた、というようなハッピーな家族があって終わることが多く、世の中で大人っていうと、そういうのしか思い描けない。

 うちは両親とも教師なんですね。母親が小学校の先生で、父親が高校の先生なんですけれども、何かこう、「がんばらないと!」と思っている世代の教師って、私生活もがんばるんですよ。小学生の僕にコンドームの話をしてみたりとか、望まない妊娠が一番いけないことだ、と信じている親だったので、「セックスをするな」ではなく、「やり方を考えろ」ということをすごく言われていたんですが、親からも、「あなたは男の子なんだから女の子を大事にしなさい、女の子とセックスするとこういうことになるんだから、女の子とセックスする時にはこういうふうにしなさい」ということを言われ、テレビをつければ、「そういうふうになることが幸せだ」と言われ、方やチャンネルをバラエティーに変えると、「とんねるずのみなさんのおかげです」という番組で、「保毛尾田保毛男」というキャラクターが出てきて、髭の剃り跡の濃いのがナヨナヨっと出てきて、男前のタレントさんに「しな」を作って寄っていくということがあって笑いになる。だから、こっちは笑いで、「素敵な大人になるためには綺麗な女性と恋愛をして・・・」という、「セクシュアル・エリート」と言われるような頭ができあがっていたので、自分の頭の中と現実の行動と内面がどんどん離れていくんですね。

 僕は中学校の2年生の時に大打撃を受けた経験があります。ある日、教室で男の子が、あそこの本屋のあそこの棚にエロ本がある、という話を始めたんです。僕が学校帰りにいつも週刊誌とかバンド雑誌とかを買っていたレンタルビデオ屋さんでした。ちっちゃい間取りのレンタルビデオ屋さんで、ドアの前に週刊誌が積んであって、ドアを開けると、開けたところにバンド雑誌や車とかの雑誌があって、その奥に用事はなかったので、奥に行ったことはなかったんですが、その奥に行くとエッチな本がある。エッチなものにはとっても興味のある年代だったので、興味を持って行ったんです。そしたら姉ちゃんの裸の漫画もあれば、写真もある中に、フンドシの男を発見してしまった。「これは噂に聞くホモ雑誌・・・」と思って、怖くて怖くて仕方がないけれど、手に取りたくて仕方がない。当時、ちっちゃなレンタルビデオ屋さんなのに、アドン・薔薇族・サム、という3つのゲイ雑誌が置いてありました。後で調べると当時あったゲイ雑誌は4つか5つしかなかったはずなんですけど、そのうちの3つも置いてある。「なんて素敵なお店なんだろう」と今では思うんですが、それを手に取りたくてしょうがなくて・・・。でも、学校帰りで、詰襟で、「2年何組 岡本」という名札も付けているわけですから、こんな格好では買えない。手に取っているところを人に見られても困ると思って。どうしていいか分からずに過ごしていたんです。

 うちの家は基本的に夕食の後は一切家から出ることというのはあり得ないと考えられている家庭だったので、夜に家から出ることはなかったんですが、ある日、友達の家にノートを返しに行く、というような理由で家を出た時に、どうしても興味があってしょうがなかったので、もう1回その店に夜行きました。店員さんが普段知ってるおばちゃんではなく、バイトの大学生の兄ちゃんということを確認して、「これなら買える!」と思ったんですが、それだけをレジには持っていけなくて、もう買ったはずのバンド雑誌を上に置いて、いわゆるエッチな本を初めて買う中学生みたいな形で買って・・・。

 僕はその時に、そこにたぶん救いをちょっとだけ求めていたんですね。自分だけではないんだ、ということがそこにあればいいなぁ、と思っていたら、そこにはあんまり素敵なものはなくて、いわゆるエロ本なので、エロしかなかったわけですよ。本当にこれは結構ショックで、テレビをつけると、男女ものは素敵な恋愛とかをするわけですね。そんなのに憧れていて、その女優と自分を置き換えて、石田純一とかと恋愛をするわけですよ。今の石田純一では絶対考えないですが、当時は考えていたわけです。そしたらその雑誌はそんなことは全くなく、24時間セックスしています、相手が誰であろうがセックスしています、みたいな小説とか漫画とかそういう写真しか出てこない。エロ本なのでそんなもんなんでしょうけど、当時の僕はそこにちょっと救いを求めた点があったので、エロ本だということにとてもショックで、「やっぱりこれが『変態』だ」という認識がさらに強くなって、いわゆる一般メディアから入ってくる情報以上に「『変態』だ」と自分で烙印を押してしまい、だけどその性的な興奮には勝てず、実は毎月それを買い続けるんです。本当に中高生ってバカだなぁ、と思うんですが。

 しかし、実際にはどんどん根暗になっていくんです。学校生活では同性愛を揶揄して、「そうではないんだ」という自分を見せようとがんばり、彼女がいて、なのに、家に帰るとそのエロしかないホモ雑誌を読んでいる。どんどんしんどくなって、「将来に夢を持て」と言われて、夢なんてあるわけないですね。だって、「結婚しないよ、僕」と言う僕が「世の中に出ていってどんな社会人になれるんだ」という風になってしまって・・・。なんかすごく引きずっていたのが、「社会人は結婚してナンボ」という価値観を一方からシャワーのように受け続けていたのでその価値観を持ち、そうではない自分を知り、その中で、「受験勉強をがんばれ、大学進学がんばれ、と言われても、何をがんばんねん!どんな道を歩んだって僕が生きていくにはここ(水商売)しかないでしょ」と本当に思っていました。「そう(男性同性愛者と)見られるのは嫌だし、そう(男性同性愛者で)あってはいけない」と思うのに「そこ(将来は水商売)しかない」と思っていると、どんどん暗くなり、夢もなくなり・・・。夢もなくなってもしょうがないので、何か勉強をするフリだけはしていたんですけれどもね。

 そこで、「人と関わらない仕事をしよう」と決めて、何を思ったか、「獣医になる」と宣言したんですね。「人と関わらない仕事=動物」みたいな、すごく短絡的な頭だったんですけど、「手に職があれば食っていける、人と関わらなくても食っていける」と。僕は、結構オタク系で、漫画オタクなんですね。佐々木倫子という漫画家の「動物のお医者さん」という漫画があって、北海道大学の獣医学部をモデルにしているんですけれども、その漫画は一貫して恋愛とか男女というものが出てこないんです。登場人物は当然、男の人・女の人で、大学生ですから、そんなことがあって然るべき年代なのに、そんなことは全く出さず、日常の動物とのやり取りで笑いを取る。それで、恋愛が全く出てこないので、「ここに行けば男女の恋愛とか言われる世界から逃げられるんじゃないか」というようなことがあって、「北大の獣医にしか僕の生きる術はない」と思って受験勉強はしたんですが、途中で体を壊し、そんなにやりたいわけでもなかったので、また「どうしたらいいものかなぁ」という風になりました。

 その時期、体を壊して前立腺が炎症を起こして、全くなんでか分からず、頻尿になったんです。とにかくトイレに行きたくてしょうがない状態でした。トイレに行ってオシッコをした後、またオシッコしたくなるという風に、とても悲惨なことが起きるんです。便器の前に立って、尿意はあるんだけれども、出るものがないので、気持ち悪さだけが残って、どこで切り上げていいかが分からなくなるんです。「これ、また戻って、もうこのまま?」と思うと、便器の前から離れられなくなって、予備校時代だったので、当然チャイムが鳴ると、次は90分後まではチャイムが鳴らないんですが、耐えられなかったので、先生にだけは事情を言って、一番後ろの席に座らせてもらったんですが、それでも5分置きぐらいにトイレに行きたくなるんです。何より厳しいのは始まる前で、緊張感も相まって最悪で、チャイムが鳴ると同時にトイレに行って、先生が来るまでに席に座るんですね。ところが、先生がちょっとでも遅れると、またトイレに行っておかないといけない気がして、またトイレに行って、先生がちょっと他愛無い話をすると、このスキにトイレに行かないと、と思うので、授業中に何度も何度もトイレに行くと、本当に憂鬱な気持ちになって、家から出られなくなって、電車にも乗れなかったんです。1駅ごとにトイレに行くために降りないといけなくて、車にも乗れなかった。「高速に乗ってくれるな」という状態でした。うちは実家が垂水なんですけれども、ちょうど震災の時だったんですね。神戸に行くには道がズタズタだったので、すごく時間がかかるわけです。そうすると、「車で3時間かけられたら困る」という状態でしたので、実家に帰りたくても帰れませんでした。車は、「コンビニ見つけるたびに止まってくれ」というような状況になって、余計に時間がかかってしょうがない、というような暮らしをしていました。

 これは全くの余談なんですが、その時に医者には行ったんですね。医者には行って、泌尿器科に行って、研修医のモルモットにされました。尿道造影といって、ペニスの先から造影剤を注入して、詰まりがないかどうかを造影で見る、というのがあるんですけれども、当時の僕は病院なんてものを知らなかったので、そんな研修医みたいな人がいっぱいいるなんて知らず、ずっと主治医のおっちゃんと話をしていたのに、いざ検査となると4人も若手が出てきて、4人に端っこからチャレンジをされ、4人ともに失敗をされ、最終的にその主治医が出てきて一発でできました。「それならお前が初めからしろよ!」とすごく思ったんですが、後から考えたら、「あ~、あれが研修医だったんだ」と思って、ちょっとモルモット気分になったんですけど。最初は、「あ~、炎症が起きてるね」と医師に言われて、薬をもらって、「治った(炎症が治まった)」と医師に言われても、「オシッコに行きたい」という症状だけは続いていて、今から思うと心療内科とかをさっさと紹介してもらえばよかったんじゃないかと思うんですが、ずっと泌尿器科に通い続け、改善しないことに付き合い続けていました。

 そんな状況ではあったものの、「なんか受験はしないと」と思っていて、受験どころか生活がうまくいかないので、「オシッコに行きたいのを忘れる工夫をしないと」と思って、僕が考え付いたのが、単純思考ですけど、「コメディ映画を見よう!面白さに集中するときっと忘れるんじゃないか」ということでした。ツタヤに行ってレンタルビデオを借りる生活を始めて、そこで出会ったのがウーピー・ゴールドバーグでした。僕は彼女の「天使にラブ・ソングを・・・」というのが面白い、と人から聞いていたので、まずそれから手をつけよう、と思って手をつけたのが始まりだったんですけど、「天使にラブ・ソングを・・・」の1と2を見て、ウーピー・ゴールドバーグが面白いなぁ、と思ったので、その後ウーピー・ゴールドバーグをひたすら見ようと心に決めたんです。そしたらたまたま「ウーピー・ゴールドバーグコーナー」というのがあったので、それを端っこから毎日借り続けたんですが、あんまりコメディじゃなくて結構シリアスなのが多くて、シリアスだなぁ、とは思いながら見ていました。彼女の作品の何に惹かれたか、というと、彼女の作品には当たり前に同性愛者が出てきて、当たり前に性同一性障害、トランスジェンダー、トランスセクシャルの人が出てきて、別にそれがメインではなく、脇でそういうキャラが出ていて、でもそれが別にバカにされたり、辱められたりという対象じゃなくて、たまたまその地域で暮らしている□□さん、というような役柄などで出ていて、「あっもしかしてこれって僕が『変態』だとか思っているだけで、『普通』だという社会もあるのか」とちょっとだけ思えたのが多分18歳の春から夏にかけてぐらいでした。

 予備校の自習室の机は座り方によってはトイレに行く時に他の人に迷惑をかけたり、他の人の「ハァ?」という顔に耐えないといけないのがしんどかったので、予備校にはなかなか出入りができなくなっていて、市立図書館の自習室を使っていました。市立図書館の自習室は、実は扉が開けっ放しなので、扉を開けたり締めたりの音がないんです。それが僕の中のメリットで、平日だと空いているので、扉から一番近い椅子に座って、できるところだけ勉強をして、しんどくなったらトイレに行っての繰り返しでした。でもやっぱり何回もトイレに行くと気分を変えたくなるので、本を読んだりしていたんですが、その図書館は当時から自動検索だったんです。興味を持っていたので、「同性愛」とか「セクシュアリティ」とかって検索をすると、いくつも本が出てきて、井田さんという女性のルポライターの書いた「同性愛者たち」という本があって、これは東京の「アカー/動くゲイとレズビアンの会」というグループの活動をしている人をルポしたものだったんですね。僕は最初にそのアカーの書いた本も読んだんですけども、その人の書いた本を読むと、初めて、24時間セックスをしているわけではなく、バイトをして生きていくための稼ぎを得て、そのアカーというグループで活動をして、悩む、恋にも悩む、という生身の人間が、初めて僕の前にその本を通して現れて、僕はその時に初めて、「『変態』というのがちょっとリアルに違うのかも、『普通』に暮らしていけるのかも」と思えました。

 その後、本を読み漁り、もう受験勉強は本当にそっちのけだったんですが、本を読み漁り、「すこたん企画」の伊藤悟さんに出会ってみるなど、いろいろしていると、獣医なんてどうでもよくなって、「こういう人に関わる仕事の方がいいんじゃないか」と思い、僕はそこでセクシュアル・ライツ(性の人権)、という言葉、権利という言葉を知りました。僕は本当に頭が悪かったんですが、僕の中で「権利=福祉」になっちゃったんで、社会福祉学部に進学をしてしまいました。そこでは、1回生でいきなり「高齢者福祉とは」とか「児童福祉とは」と言われて、もう訳の分からない世界で、後々聞くと、「法律学いったらよかったね」と言われて、「間違えましたか、選択」と思った、というような経過がありました。

 僕は18の終わりぐらいに、初めて自分以外の同性愛者の方とお会いしたんですね。ゲイ雑誌には、「友達になりませんか」という文通欄があったので、それを利用して初めて(ゲイの)人に会ったんですが、会ってても『普通』でした。近所の兄ちゃんと変わらなかったんですね。(自分が)すごく「壁」を持っていたのか、嫌悪感とかいろんなものを持っていたんだなぁ、と思うのが、文通欄というのを利用すると、1番から50番までの人が載っていると、「1番の人にこの手紙を届けてくれ」と言って編集者宛てに出すんですね。でも連絡をもらわないといけないので、自分の連絡先を書かないといけなくなります。怖くてしょうがなかったんですね。「お前ホモやろ」と言って脅されるんじゃないか、とか、「バラすぞ、金をよこせ」と言われるんじゃないか、とか、なんかそういう目に遭うんじゃないか、というような不安と、バラされる、ということの不安と、監禁されて手込めにされるんじゃないか、と訳の分からない、セックスファンタジーがなんかそのまま怯えにつながったみたいなことと、そういう漫画とかばっかり読んでいたのでそういうふうになっちゃって、(自分からは手紙を)よう出されへん、と。

 結果として僕は、「自分が載せたら向こうから来るだけだから、連絡するかしないかはこっちが決められるやん」と思って自分が載せたんですけど。でもその時も、例えば、講談社とか集英社とか学研とか中央法規とかいわれると、「は~」という感じなんですが、テラ出版と言われると、「出版社ごと怪しくない?」と思っていて、何か悪い目に遭わされるんじゃないか、と本当になんか、すごくネガティブに思っていて、結局そこに友達募集を出したら山ほど手紙が来て、親が、「あんたどうしたん?」と言うぐらい、1日に20 通とか、同じ宛名シールが貼ってあるいろんな封筒が届くんですね。茶封筒もあれば、ファンシーな封筒もあれば、いろんな封筒なのに全部同じネームラベルが貼ってあって、全部新宿の消印が押してあって、親にしたら、「あんた勉強せんと何やってんの?」というような状況になりました。

 でもそこで初めてその人に連絡をして、「自分はおかしいんじゃないかと思っているけど・・・」というような話をしたら「別に、俺もそうやし、ええんちゃう」みたいな話になって、初めて「会おう」と言ってくれて、初めて会おうと言ってくれたのに、また頭の中は妄想と恐怖でいっぱいで「どこかに監禁されるんじゃないか」とかいっぱい思っていて、「家まで迎えに行ったろか」と言われるのに、「家まで来られたら困る!」と思って、家の近くのファミレスの駐車場で待ち合わせをして、「ヤバそうな人だったら帰ってやる!」と思って、心に誓っていて、会ったらすぐになんか、「乗れ」と言われてそのまま、親とか親族以外の車に乗る機会なんかなかった時代ですから、「初めて会った人の車に乗って・・・、えっ?」といろいろ思いながら、でも乗ってみたら、結局、南港に連れて行かれ、なんか他愛もない話をし、ボーリングに連れて行かれ、ボーリング場に着いた途端に彼は後ろを開けてマイボールとマイシューズとマイグローブを出してきて、「これは僕が手込めにされるとかそういうものじゃなくて、彼がボーリングをしたかったから付き合わされてるだけ?」みたいな気にもなり、彼に後で聞くと、「なんか受験勉強のストレス発散にいいんじゃない?」という話だったんですけど、ちょっとだけ期待もしていた恋とかエッチな関係とかは全くなく、ただの知り合い、ただの遊び友達で今のところ至っているんですけれども。そうやって初めて自分以外の人と会って話をすることですごく、ちょっとホッとして、「自分だけじゃないんだ」という気持ちになりました。

 ただ、「変態」だと思っていたものがリアルな人間になった時に、「そうでもないのか、この人もいるんだから」というふうに思えるようになった。すごく自分の中では充実感があって、「『普通』に暮らせるんだ、『普通』に働けるんだ、『普通』に大学生をしているんだ」とかいろんな人と出会うたびに当たり前のことに今さら気がつきました。

 そうしているうちに僕はちょっと針の振れ方が極端になって、うまくいかないことが出てきました。それが今までの友人関係、今までの家族との関係だったんですね。今まで僕は、「女の人が好きなんだ」と思ってほしいので、そう思われるようにしてきたところがあって、周りはそう思っているわけですね。でも実際、「もう自分はそうじゃないんだ」とずいぶん強く思うようになったのに、周りから見る目は変わらない。そうすると、わざわざどこかで自分が訂正をするか、そのままで通すかを選ばないといけないような気がして、そこにずいぶんしんどさを覚えるようになってしまって、ちょっとどうしていいのかが分からなくなりました。そうこうしている時に、ある日母親が、浪人生活をしているのに山ほど人と手紙のやり取りをしたりとか、電話を長い時間かけたりとか、遊びに行ったりしていることに腹を立て、「アンタええ加減にしなさい!何やってんの、この時期にもなって!」という話になったんですね。ちょうどそんなことをしているので、成績はどんどん落ちていき、余計にそれで腹を立てられました。でも僕にしたら、今の受験勉強より人生としてはこっちの方が大事だと思っているんだけど、そのことの理由も説明ができず、ガチンコのケンカになって、母親が言ったのは、「親やねんから子どものことぐらい分かってるわ」みたいなことを言われて、余計に僕はそこでカッチーンとなってしまって、「お前分かってると思うなボケー、俺が何でこんなしんどいと思ってんねん!」という風になって、ついに口に出そうとしたら、「知ってるわ、言わんといて」と言われて泣かれてしまって、「泣きたいのはこっちやのに」と思ったんですが、さめざめと泣かれてしまいました。

 再びショックだったのが、「やっぱり泣かれることなんだなぁ」と思ってしまったんですね。「このことは、親を悲しませ、周りの人を悲しませてしまうことなのか」と思ったんですが、そのことを考えてもしょうがないので、これはやっぱり受験勉強がんばって、家を出るために大学に行こう、と思って、このまま実家でこの家族に囲まれて暮らしていると、僕も辛いし母親も辛い。母親は、「人に言ってくれるな、知っているけど言わんといてくれ、もうその話はしたくない」と言って、もう全部臭い物にはフタをしようとしたので、助けを求めて、2つ年上の姉にちょっと話をして、「姉には分かってもらおう、姉なら分かってくれるだろう」と。これも甘い期待だったんですね。姉は分かろうとするあまり先走った行動に出て、「アンタの生き方やからそれでいい。アンタはそれでいい。だけど私はアンタが女性の格好をして町を歩くのは嫌」・・・アレ?僕はがんばって「(肉体的・性自認・セクシュアリティは)男・男・男なんだ」と伝えたつもりでいたんですが、こちらの伝え方も悪かったんだろうし、急いだんだろうとは思うけれども、姉の中では、「それでいい」と言いながら、僕のことを男、女、男なんじゃないかと思い、しかもこの部分(性自認、セクシュアルアイデンティティ)を否定をしようとしたんですね。「人前でそういうことはやめてくれ、勝手にやってくれ」みたいな形だったので、「理解を示された拒絶ってすごくつらいなぁ」と感じた経験をしました。

 友達に関しては、「いちいち言うのがめんどくさい」と思いながらも、「長い付き合いになりそうな人には言っておこう」と思ってましたが、最初は男の人に言えなかったんです。男の人に言うと、極端に気持ち悪がられるのではないか、例えば一緒にお風呂に入るという経験をしてきているので、「そういう目で今まで俺のことを見ていたのか」という拒否反応が一番怖くて、そうなるとちょっとマズいと思ったので、女の人にだけ言おう、と思って、最初女の人にだけ言っていたんですね。けれども、中学の時にすごく仲の良かったヤンキーの男の子がとても久しぶりに、「お前ちょっと飲みに行かへんか」と言ってきたことがあったので、彼と飲んでる時に、彼にはもう言ってしまえ、と思って彼に言ったら、彼の反応がたぶん僕の中で一番僕を変えたことだと思っているんですが、彼は、「あっそうなんや、気持ちわる。ホモなんや」みたいな話をしたんですけど、だからといって、例えば僕と向かい合って飲んでいた席を遠ざけるとかいうことはせず、口では言うてはいるけれども、普通の、今までと何も変わらない。「もうお前これだけ酔って家帰ったらまたオカンうるさいんやろ?泊まっていけや」という話になって、彼のベッドで二人で一緒に寝たんですね。寝る前には、「お前おれのケツ掘るなよ」とかっていう軽口は叩くけれども、一緒に寝る、という行為に関して今までと変わることはなく、「今まで通りよね」ということを口ではなくて行動で示してくれたのかなぁ、と勝手に思っているんですが、そんなことがあって、このままでも受け入れられるのかな、と感じるような経験をしました。ただ結局この後も、大学に進む時に、いろんなことでこんなことをいっぱい考えないといけなかったなぁ、ということが経験としてあります。

 すごく余談話が大半になってしまいましたが、なんでこんな話をしているか、というと、患者さんたちが、HIV感染が分かった時に病院で、「あなたのセクシュアリティは何ですか?」とか、「あなたの性の相手は誰?どっちなんですか?」というようなことをとてもさっぱりと聞かれはするんだけれども、そのさっぱりと聞かれている事実にいろんなことを人によっては含んでいる。なので僕は、「人に言えるようになることがいい事だ」と言うわけではないんだけれども、(自分のセクシュアリティについて)自分自身の中の受け入れ状況が人によってずいぶん違っているので、そこがその後にも響いているんじゃないかなぁ、と時々思います。

 患者さんの中には自分のセクシュアリティについて、言わない人は本当に言わないです。もう隠してもしょうがないから、と言われる方もいるんですが、「言わはらへんなぁ」と思いながら付き合っていると、1年半経った頃に、「あの~、昔岡本さんが言っていたグループ紹介して」と言ってこられた方がこないだいらっしゃいました。僕はその時「follow」という患者会を紹介しまして、「関西のゲイ・バイセクシュアル男性でHIV陽性の方のグループというのがあるよ」という話はしたのだけれども、「あなたにとってここがいいのかどうかはあなたが決めてね」と言ったら、「僕はそういうのじゃないのでいいです」と言っていた人だったんですが、1年半経った時に、「あれを紹介して」ともう1回言ってきはったので、「念のために確認しておくね」と言ったら、「実はそうなんです」と言われたので紹介をした、ということがありました。聞かれるタイミングとかによっても、「言える/言えない」とかはあったりするのかなぁ、という風に思いました。

セクシュアリティとHIV/AIDS ~患者の現状~

 ここからの話をちょっといったん病院での話に戻そうと思うのですが、そこ(自身のセクシュアリティの肯定的な自認)がずいぶんとネックになって、うまくいかない方もいらっしゃるなぁ、と思うケースもあります。僕はずっと「MASH大阪」というところで、ゲイ・バイセクシャル男性の性感染症の予防について活動していた時にずっと感じていたんですけれども、「将来結局これ(水商売)しかない」と思っていたりとか、「将来と言われても」とか、「健康で長生きをする、と言われても・・・」という話があった時に、どれだけ自分たちを自分で大事にできるか、というと難しいかなぁ、というふうな感じがしていて、そこがなんとかならないとうまくいかないんじゃないか、と僕としては思っているんですけれども、時々院内で「そういう暮らし方(自分を大事にできていない暮らし方)をしてきたのかなぁ」という方に出会うことはあります。

 みんながみんなそうではないんですけれども、社会性が脆弱な方、社会的な基盤のなさなどが目に付く方がある一定程度いらっしゃるなぁ、と思っています。これはHIVという性感染症に感染をしていることが原因なのか、例えば脳梗塞やがんのために病院に来られる方々に比べると、年代的に若いので今の若者全体がそういうふうなのか、ということは僕はちょっとまだ分からないのだけれども・・・。それは、例えばいわゆる定職というような形の働き方をしていない、貯蓄や生命保険などの何かあった時の備えをするということが習慣的になかったりだとか、なぜか借金だけはあったりだとかということです。

 その日暮らしな暮らしをしてきたら、体がうまく動かなくなって病院に運び込まれ、僕の前(相談室)に来られる方が時々いらっしゃるなぁ、と感じています。うちの病院は救命センターをしているので、いわゆる行き倒れの方、野宿生活をしながら体がうまくいかなくなったとか、日雇い労働の中で仕事中に事故に遭って担ぎ込まれる方もいらっしゃるので、いわゆる生活基盤というものが全くなくて、アパートを借りるところから一緒に段取りをして退院をしていく、というようなケースが実際にあります。その数は、エイズ発症で入院してこられた30代から50代ぐらいの方々に住む場所を作ろうという件数が全体の半分近くに匹敵するのではないかと思っています。

 2ヶ月か3ヶ月に1回ぐらい患者さんの住まい探しをしている現状は、「社会的な基盤がない方がある一定割合いる」というようなことが言える「何か」を見つけてしまうんじゃないか、とちょっと気になっています。その背景が全部セクシュアリティかどうかは分からないんですけど、セクシュアリティというのはいろんな生活に影響するだろうなぁ、ということは体験上思ったりします。

患者全体の状況 ~大阪医療センターを退院してから~

 セクシュアリティからの話題をちょっと外れて、患者さんたちが今どういう状況にいらっしゃるのか、ということを共有する時間を持ちたいと思います。あんまり明るい話は出てこないかもしれませんが、暗さを共有することで明るい何かに向かえるといいなぁと思っていて、特にMERSの方々には今の現状とかということにも理解いただいた上で今後の活躍につなげていただけたらと思います。

 大阪医療センターを退院した後の患者さんの生活についてですが、例えば在宅だったりとか障害者の施設だったりすれば、制度の利用、健康保険をそのまま使ってお薬を飲む、ということができます。高齢者の方で、「介護がないとお家で暮らせない」という方が特別養護老人ホームで暮らされる方が多いですけれども、特養も、お家の代わりと見なされているので、健康保険をそのまま使うことに何の問題もないんですね。ところが、例えば同じ高齢者の施設でも老人保健施設といって、お家に帰るためのリハビリを中心にしている施設に関しては、介護保険という健康保険とは別の制度を使って、「1日いくらの中でお薬代も全部含めて(経営を)やりなさい」となっているので、必要なお薬代をHIVの場合で計算をすると、1日にくれるお金よりも上回ってしまうことになります。これはHIVだけではなくて、例えば神経難病だったりとかリウマチだったりとか、いろんなお薬の中にも高額なものがありますが、そういう経営面の事情から「ちょっと厳しい」と言われて(入所を)時々お断りされています。

 透析に関しては、特養は最近、透析付き特養というのがいくつかできているので、透析が必要な方は、そういうところで療養する場合と、あと透析のための療養の病院で長期療養をする場合があります。また、お家で暮らすことが難しいから長期で入院をしながら透析を続ける、ということは可能なので、アメニティとか暮らし感を考えると、施設の方が望ましい場合がありますけれども、「状態によっては入院の方がいい」という方は病院で長期療養をすることになります。

 療養型の病院についても、そこの病院で出すと持ち出しになる可能性が高くなるし、拠点病院へ受診に行く場合でも、その日の70%減になりますから、(病院の経営側となると)1万円もらえるはずが3千円しかくれません、という話になっちゃうので、初めから「持ち出しが必要だ」と言われている患者さんと、持ち出しが必要ではない患者さんがいて、「ひとつのベットしかない場合にどちらの人を受け入れますか」となると、どうしても「持ち出しが必要ではない人の方がいいな~」と(病院経営者には)思われてしまう、という現実があるのかなぁ、と思っています。

 もうちょっと寂しい話をすると、実は今ですね、療養の病院の中で、減算になってもいいよ、と言ってくれているリハビリ病院がこの近くにあるんですね。そこは、いわゆるそのリハビリで今流行りの「回復期リハ」という基準ではなくて、障害者病棟という基準でやっている病院があって、そこは「HIV感染をしていようがなんだろうが、リハビリが必要なんだからウチに来てください」と言ってくれていて、「月に1回ウチで受診することも可能ですよ、状態がちょっとフラついていると月に2回ぐらい可能ですよ」と言ってくれている病院なので、最近何名かの方がそちらを利用しているんですけれども、国側が「回復期リハというのがあるのに障害者でもどんどん使われるとうまくいかない」と言って、その「障害者病棟から脳血管疾患を外したので、脳血管疾患の人は回復期に行ってください」という方針が出ているんですね。そうすると、骨折の後のリハビリはいいけど、脳梗塞の後のリハビリはそこでは受けられなくなる、ということになってしまいかねなくて、ちょっとどうしたものかなぁと思っているんですが、そんなことが今現状としてあるかなぁ、と思っています。

 あとはPML(注1)の場合もまれにあるんですが、もうちょっと家で看るにはかなり困難だという場合です。例えば、「お医者さんは、安定だと言うけれども、これは安定なのか」と家族にしたら思ってしまうような状態です。寝たきりで、吸引が必要だったり、ご飯が口から食べられなくてチューブから摂取していたりする状況では、施設では対応が難しくて、たいがいの場合はもう病院で療養せざるを得ないということになっているんですけれども、これにHIV感染症がプラスされると、さっきのように、病院でも療養が難しくなって、いくつかの拠点病院を転々とせざるを得ないというようなことがあります。外来でがんばっていらっしゃっても、時々介護をしている家族が疲れないように病院にショートステイ(2、3日もしくは1週間、病院に入院してもらうこと)がありますけれども、そのような家族へのサポートがあったとしても、なかなか在宅でのケアは選びにくい、というのが現状だなぁと感じます。

 なんでそんなことが起きているのかなぁ、と思うと、「プライバシーが気になって」と言われることがあります。本人さん、家族さんの側の方もプライバシーのことを気にして、地域(密着型)であればあるほどサービスが使いにくい、という話をされることがあります。ヘルパーにしても訪問看護にしても、地域の方がそこで働いていて地域のお家を訪問する、という形をとっている場合が多いので、「もし家族の知り合いだったらどうしよう」とか、お子さんがいらっしゃる方なんかは、「子どもの友達の親だからどうする?」というようなことを言われることがあって、「地域サービスであればあるほど使いにくいです」と言われることがあります。ただ、訪問看護ステーションだったりとかヘルパーステーションの方はどんどん対応を前向きに考えてくれるところが増えているので、例えば血液製剤、凝固因子の方の自己注射ができない状況になった時に、「(スタッフ側が)注射も含めてやりますよ」と言ってくれるところが「訪問看護ステーション堂山」以外にもいくつか出てきてたりとか、良いことはあるのでどんどん使おうと思うと使えるんだけれども、使おうと思えない状況がまだあるなぁ、と思っています。


(注1)Progressive Multifocal Leukoencephalopathy:進行性多巣性白質脳症。免疫不全患者等において発症する脱髄性疾患。痴呆などの症状が現れる。

大阪医療センターでの3年間を振り返って

 僕が(大阪医療センターに勤めている)3年間を振り返って、ビビらないようにはなったかなぁとは思っています。HIV感染の、「なんかうまくいかない感じ」にちょっとでも何かできないかなぁ、と思って、僕は今の病院に来たんですけれども、どこまで病院という場所で話をしていいのかが分からない場合があったり、新規の患者さんたちとは新規で話ができるんだけれども、今まで5年も6年も通ってきてはる人に、ポッと出た僕がどこまでこの人の話を聞いていいのだろう、ということをすごく思ってしまって、めっちゃビビっていました。特に、薬害関連は正直怖くてしょうがなくて、「どこまで聞いていいのかどうか」という、「『傷をほじくり返すのか』という風に言われたらどうしよう」という様なビビり方と、制度についても正直使ったこともないし聞かれても分からないし・・・と思って、「もうしんどいなぁ」と3年前は思っていました。僕は入職して4日目ぐらいに、患者さんに「健康管理のなんか制度があるって聞いたんだけど」と言われた時に、本当に分からなくて、何かあるとは知っているけど答えられなくて、「来週までに調べます」と言って帰ってもらったのが初めての薬害の方との付き合いだったんです。(この病院に)飛び込んでみたものの本当に嫌だなぁ、毎日逃げたいなぁと正直思っていました。

 地域生活についてはずいぶんと改善をしてきたんじゃないかなぁ、と思っていたりもします。ただ、まだまだ家以外の生活が限られてしまっているのかなぁ、と思って、僕自身がちょっと他の医療機関とかに相談し続けることに疲れてしまっていて、もうなんか寂しくなってきている状況です。ただこの間ちょっと嬉しかったというか、すごく救われたのが、ずっと3年関わり続けて、行き場所を探し続けて、楽しくない居場所を行ったり来たりしていた患者さんを別の拠点病院にいったんお願いをせざるを得なくて、その病院にお願いをしたところ、そこのワーカーさんが、僕の今までの関わりの報告書を見て、電話をしてきてくれて。僕としては正直預ってくれることで精一杯かなぁ、と思っていたんですが、「病院探しを引き継いでこっちでやります」と言っていただけた時に、「そのようなことのお願いができる」ということを忘れているくらいに自分の疲労感・疲弊感があったんだとつくづく感じました。

 あとは、最近ではないですが、例えば福祉タクシーの営業や、ホームヘルパー、訪問看護、施設など、うちに適当な人がいたらどうぞご紹介をしてください、と言われる営業さんが病院には結構いっぱい来るんですけれども、うちの病院の相談室はちょっといやらしくって、営業に来られる方は、いかに素晴らしいかを語りはるので、「なるほど!そんなに素晴らしいんだからHIVいけますよね」みたいな形で必ず話をしていて、そこで、「何言ってるんですか」と言って引かれるところは、あんまり設備的にも整っていなくて、他の患者さんの紹介をしても引くとき引くやろうな、と思っているので、なんかやらしい話、業者を見極めるのにいいかなぁ、と思っていて(笑)。「うちの病院わかってますか?」と言っているんですけど。

 でもこの間、一件、大手電力会社系列の有料老人ホームの方が、本当に最初はただの営業で来はったので、「HIVに感染をしていても十分に対応いただけますか」という話をすると、「正直考えたことがなかったので分かりません」と言われ、「それなら考えてきてくれますか」と言って資料を渡したら、嫌がらずに持って帰りはって、音沙汰ないなぁ、と思っていたんですが、2ヵ月後に来はって、「ウチで対応できる/できない表」というのを作って来はって、HIVに二重丸がついていたので、「おぉ、本当にいけるんですか」と言ったら、みんなで検討した結果、「何も変わらないのだから何も変わらなくていいやん」という話になりました、と。「あぁ、こういうこともあるんだな」と思いました。ただ、「いいですよ」と言ったところに行って、カルテにHIVってシールが貼られていたという経験をされた方もいらっしゃるので、「いいですよ」と言われたからといって、何も準備せずに行くということはなく、準備は必要だろうなぁ、とは思っているんですけれども、まぁそんなことがあったりしています。

 セクシュアリティについても、3年の間でちょっと難しいなぁ、と思っていることがあります。自分のセクシュアリティについて僕はあえて自分では言わないようにはしているんですね。聞かれても言わなくてもいいか、と思っていて。

 ただ、このあいだ僕はすっかりそんなことを気にしていた自分を忘れていて、MASH大阪が「Sal+(サルポジ)」っていう、ゲイ・バイセクシャル男性のSTI(注2)感染を予防するために利用している毎月発行の、しおりというか冊子があるんですけれども、そこが、年金特集をする、と言われたので、なんかいろいろ答えたら写真付きで載ってしまって、それを見た患者さんたちが、「年金の相談をしていいかなぁ」と言って来られるようになり、「岡本さんやっぱりそうやった?」と言われ、「やっぱりと言われてもなぁ・・・」と思って、「なんか指輪をしているので、そう(MSM(注3))ではない?と思っていた」と言われたんですが、「正直コミュニティが狭いので話すのが難しいと思っていることがあって、お医者さんとか看護師には言えなかったけど、アンタきっとそう(MSM)やからアンタには言うわ」と言って語られる、ということが果たしていいのかどうか、という迷いがちょっとあったりします。

 逆に、入職当時にすごく辛辣なまでに罵られたことがあって、直接罵ってくれたらいいのに、僕が聞こえていると分かっているのか分かっていないのか、看護師に対して罵った方がいらっしゃって、「岡本は今まであれだけゲイコミュニティの中でいろんなことをしていて、いろんな人と顔見知りなのに、そんなアイツにこんなプライバシーを守ってほしい場所で働かせるとは、この病院は何を考えているんだ、俺たち患者に来てほしくないのか、来るなと言うのか!」というようなことを看護師相手に罵倒をされてですね、横で聞いている僕はどうしたらいいのか。「聞こえているんだけどなぁ」と思って、「ここで顔を出すと余計いやらしいなぁ」と思って、出さずじまいだったことがあるんですが、何かそういう形で、コミュニティが狭いことで、もともとゲイとして知り合っていた方が患者さんとして、僕が来るより前からいらっしゃったり、その後いらっしゃる、ということがあるので、そこで守秘義務というのをどう分かってもらって・・・というのが難しいなぁ、とは思っていました。

 いろいろ迷いはしたものの、セクシュアリティって、これで職業を狭めたりとかするものではないだろう、と思ってないと生きていけないので、もうそこはいいかなぁ、と思ったりもしているんですけれども、あとはプロとして信頼を得るしかないのかなぁ、と思っています。患者さんとプライベートな空間は共有されずにいくが、どちら側にも入るかなぁ、とも思ったりしますが。

 最近、大酒が飲めなくなりました。酔っ払うと、どうしても口が軽くなってしまうんじゃないか、と思って・・・。僕は本当に酔うと記憶がなくなっているんですね。次の日、「あれ?昨日どこで飲んでいたかなぁ?」というようなことになるので、あんまりそうなるような飲み方をするとマズいなぁ、と思っていて、最近もう本当にゲイコミュニティにはさらっとしか顔を出せないなぁ、と思っています。

 ゲイコミュニティの中でもHIV/AIDSのことを口にできるようになってきたことが、以前より少し変わってきたところなのかなぁと時々感じます。でも、まだやっぱり、僕がオカマのことを「キモい、キショい、あり得へんわ」と言うことで、そうではないと見られたいと思っていたように、HIVのことを後ろ向きに発言をすることで、「自分がそうじゃないんだ」と思ってほしいのかなぁ、という場に出くわすことがあるんですね。もうそれは本当になんか出くわすと気まずくなるんですが、たまたま飲みに行ったところにたまたま患者さんが飲みにいらっしゃっていて、たまたまその会話(HIVのことを後ろ向きに発言するような会話)をしているのを目に映ると、なんかすごく切ない思いになるので、さっさと店を出ようと思ってしまうんですが、そういうことが昔は多かったかなぁ、と思ったりしていて、ただ最近は別に前向きな話をされる方も増えてきたなぁ、と思っています。

 このあいだMASH大阪のdistaというドロップインセンターがあるんですが、そこが「+-=○(プラス・マイナス・イコール・マル)」と言って、HIV・エイズに関係する展示をしていたんですね。「+-=○」というのは、セクシュアリティとかにあまり関係なく、HIVに感染をされている方とその周りの方々がお互いに、例えば僕が●●さんに手紙を書き、●●さんが僕に手紙を書く、というような手紙を冊子にしたものを作ったり、そこから抜き取ったコメントを壁に貼られたりして、それになんかひらめきをもらった誰かが何かを付け足していく、というイベントです。他に、「サロン・ド・オニ」という鬼塚哲郎(MASH大阪代表)さんがワインを飲みたいだけ(?)で毎月やっているワインパーティーがあるんですけれども、そこにいると患者さんから声をかけられるんですね。守秘義務の問題があるので、患者さんだということが伝わらない形でどうするかと、とても悩んでいたら、人がいる中で彼らはとてもストレートな発言を投げかけてきて、「ヤバくない?大丈夫?」と思って、「あれ、酔ってる?」と言ったら、「あぁ、分かって言っているからいいよ」と言われて、「僕はどこまで付き合ったらいいのかなぁ」と思っていて、「この話はもうよそ(講演などの外部)でしていいよ」と言われたので今話しているんですけど、「感染をしています。陽性者です」と宣言をされてボランティアをされている方もいらっしゃるので、なんか気がつくと僕の周りには5、6名の陽性者がいて、その何名かは、陽性者だ、ということを別に日ごろ口にはしてないのだけれども、そのままで陽性者トークをされていて、それに対して周りが「何?何?」って来るわけでも知らん顔をするわけでもなく、フロアが普通に回っていて、一時期そういう話題があるというような状態です。ようやくコミュニティの中でも話ができる場所がちょっと見えてきたのかなぁ、と思ってちょっと嬉しくはなったんですけれども、まだまだ正直僕の中でも(それがいいのか、良くないのか)答えが出ていません。

 先ほど最初にお見せしたように、うちの患者さんの中で7割が今は同性間での感染で、これはあくまで自己申告なので、しかもデータの取り方が初診時自己申告なんですね。なので、1年半のお付き合いの結果、「実はこうだった」という方のデータは修正をされているわけではありません。今まで同性感染だと言っていて、「実は異性感染でした」と言い直してこられた方の経験はないですが、「同性間ではありません」と言い続けてきていて、「実は同性間だったんです」と後でポロッと言われる方というのは何人かいらっしゃるなぁ、と思っているので、実際にはもしかすると7割よりちょっと多いかもしれません。そうすると、セクシュアリティを腫れ物としてではなく、日常のものになるようなものを作っていかないとしんどくなるかなぁ、と思っています。それは病院の診療が、というだけではなくて、陽性者支援をするという時にも出てくるなぁ、と思っていて・・・。

 セクシュアリティが強く関連しているもので、難しいなと感じているケースがあります。患者さん自身も、「そこ(セクシュアリティ)までは話しません」という方がいらっしゃって、「親、兄弟とか友達に感染のことは言ったけれども、自分が同性愛者かどうかとか、セクシュアリティについては言わないんだ」と言われているケースです。

 自分でも本当にスッキリしないのが、本人がいて、本人のセクシュアリティを知らずに感染のことだけを知っている家族がいて、本人のパートナーがいる。本人が元気なうちには、うまいこと周りの人が時間を調整したりとか、話題を調整したりとかで、本人が入院をしている時にパートナーが来れば、「あぁ、パートナーさんが来たな」と思って対応をしていて、家族が来る時には、「ご家族さん来られましたよ」とわざわざ声をかけて注意を促してみたりとか、家族の前では「友人」になっているので、友人として対応したりとかしているんですが、今度本人が何か別の病気で自分の意思表示ができなくなった時に、何か起こったときのキーパーソンを、家族とパートナーのどっちに置いたらいいんだろう、ということで難しさを感じていたり、介護を受けざるを得ない身体状況になって介護を受けられている場合に、家族介護が中心になってしまっているので、その中でパートナーとの時間をどういうふうに作り出せるのかなぁ、と考えているケースが実際にあります。

 本人だけと話をして、本人だけで決めないといけないので難しさがあるんですが、家族に言っていない場合に、「ヘルパーさんとか訪問看護とか支援をしてくださる方にもセクシュアリティについては言われたくない、知ってほしくないんだ」と言われることがあります。そうすると、24時間誰かに介護をされながら暮らすけれども、24時間彼はずっとセクシュアリティに関することは忘れて
「(この人は)ヘテロセクシャル(異性愛者)だ」とされている周りの目に付き合い続けていらっしゃって、電話をかけるにしてもお手伝いが必要なので、パートナーと連絡を取る時にも恋愛めいた言葉は口には出せないということがこの1年ぐらい続いている方がいらっしゃいます。彼に話す時にはそんな話ができるんだけれども、人と話す時にはそんな話すらもう出せなかった、と言うので、もう少しスティグマ感がなくなると、普通に会話ができたりとか、日常の中で取り扱えるようになるのかなぁ、と思うのですが、若い方だとヘルパーさんたちもがんばって「恋愛関係のことを、気をつけなきゃ」と思って、「彼女とかはいるのかしら、どんな子がタイプかしら」というようなことを言ってしまっていて、気の使い方がすごく裏目に出ていて、「それだとセクシャルな面には触れないでいてくれる方がよっぽどいいのに・・・」と思うんですが。

 HIV のことも当たり前のこととして対応ができるようになっていかないと、とは思うんですが、性感染の場合ではなくても、感染経路に関係なくセクシュアリティというのはあるものだと思っているので、その人のアイデンティティーというものをどう確認して、その人が立ち入ってほしいか立ち入ってほしくないか、ということもあるとは思うんですけれども、QOL(注4)ということを考えた時に、そこに嫌な思いとかしんどさがないような関係ができるような関わりを考えたいなぁ、と思っていながら、こうしたらいいです、みたいなものが見当たらないまま3年間ズルズル働いているような現状です。


(注2)Sexually Transmitted Infections:性感染症。

(注3)Men who have Sex with Men:男性と性行為をする人。男性同性愛者の男性、両性同性愛者の男性が含まれる。

(注4)Quality Of Life:生活の質。

質疑応答

参加者:
 性的指向や生物学的性はわかいやすいが、性自認は何によって決まるのか?その基準は?

岡本氏:
 わかりません。人によって決まる。本人にしかわからない部分。男女の2つにのみ集約しようとするところに難しさがあります。しかしながら、ジェンダーロール(社会的性役割)などの外圧的な何かの影響は否定しきれません。本人にとって生き心地の悪い(嫌悪感等)ものであれば何らかの対処が必要かもしれません。

参加者:
 セクシュアリティに関して、医療ソーシャルワーカーとして感じる現在の問題点は?

岡本氏:
 『性』に関することは制度的にもその他の場面でも日本は過疎的であり、患者本人が自分の意識がなくなった場合の決定権を家族とパートナーのどちらに置くのか話し合っておけば、ワーカーとして支援しやすいが、それができていないケースの方が多く感じます。ワーカーから本人に、その『決定権』について話をするにしても、大変繊細な話題であり、慎重にならなければならない難しい話題です。