特別寄稿 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

Newsletter
ニュースレター

特別寄稿

「化血研問題における『インフォームド・コンセント』」

特定非営利活動法人 ネットワーク医療と人権 理事 大西 赤人

大西 赤人:小説家、評論家、特定非営利活動法人ネットワーク医療と人権理事、一般社団法人ヘモフィリア友の会全国ネットワーク理事。自身も血友病患者である。作家・大西巨人の長男として東京に生まれ、埼玉県で育つ。主な著作には、「善人は若死にをする」、「夜の道連れ」、「悪意の不在」、「時代の罠」などがある。

医療における「納得」

 1997年、筆者は、次のように書いた。

「近年、僕は、『人権、エコロジー、セクシャル・ハラスメント』の三つを新しい『三種の神器』と規定している。これらのキーワードのどれかに引っかけさえすれば、簡単にもっともらしい社会性が生じ、かつ幾分進歩的な色合いを伴っての発言や作文が可能になるというわけである(付け加えれば、最近ではこれらの中に『インフォームド・コンセント』も仲間入りして、『四種の神器』となりつつあるようだが)」

 そして、2006年、筆者は、次のように書いた。

「現在では、同様のキーワードとして、新たに『真相究明、再発防止、責任の明確化(その発展形としての反省と謝罪)』を上げることが出来るのではないだろうか。試しにインターネットで検索してみると、さしずめ国内外ありとあらゆる出来事に関して『真相究明』の必要が叫ばれ、『再発防止』が望まれ、『責任の明確化』が求められている。しかし、これらの出来事の多くは、真相も責任の所在もハッキリしないまま、日遠からずして同様の事態が再発しているように思われる」


 たとえば、1993年10月29日に日弁連(日本弁護士連合会)が出した「戦争における人権侵害の回復を求める宣言」には、既に「【国は】被害の実態の把握と責任の所在を明確化するため、真相究明を急ぐこと」(太字:筆者)というように、上記した新たなほうの「三種の神器」のうち二つが並んで登場している。

 何らかの(とりわけ社会的規模の大きな)「被害」が発生し、そこに「加害」の主体の存在が疑われる場合、被害に遭った側が「真相究明、再発防止、責任の明確化」を望み・求めることは、全くもって理の当然である。ただ、直接的な被害・加害の関係であれば、責任の明確化――即ち、それに伴う賠償や謝罪――が遂行されることが第一義となって然るべきはずだが、実際には、真相究明や再発防止のほうがむしろ被害者側の獲得項目の上位に位置づけられる嫌いさえ窺われる。そこには、物的・身体的なダメージとしての「被害」そのものよりも、” なぜ自分がこんな目に遭わなければならなかったのか?“ という深甚なる問いと、” 自分以外の人間には、こんな目に遭ってほしくない” という切実な願いとが共存する(その際、実は被害者の想定する「真相」が前提としてあり、それに到達しない限り「真相究明」としては十分たり得ない――真の「真相究明」として認定されない――という問題もままあるが、ここでは略す)。

 先の ” なぜ自分がこんな目に” という想いは、しばしば ” 納得が行かない” という言葉によって表出される。「納得」は「理解」とは全く異なる性質であり、要するに、理屈では判る事柄でさえ、心理的・感情的には受け容れることが出来ない。別の表現を使うならば、” 腑に落ちない” ということになる。そもそも「納得」とは仏教における「得度(出家の儀式)」に由来するようなので、(仏教に対しては偏見に類する言い方になろうが)自ずから論理を超越した性質を持っていても不思議ないのかもしれない。

 特に「薬害」と呼ばれるような医療に関わる被害・加害の場合、この傾向は一層強まる。言うまでもなく、患者たる一己の人間は医療に対し、治療による健康体への復帰、接近、そして、残念ながら疾病自体は治癒せずとも、最低限せめてQOL(注1)が改善されることを自明に期待する。しかし、実際の医療とは、患者の想い描きがちな絶対や無謬 (注2)とはほど遠い――むしろ本当はかけ離れた――世界であるから、両者の間には深刻な懸隔が存在しており、何か事が起きた時に致命的な形となって露見する。

 このような医療が孕む危険を補うための概念こそが、インフォームド・コンセントであろう。インフォームド・コンセントは、医療者と患者との間で正しい情報に基づき医療に関する同意・合意がなされたことを意味し、一般に「説明と同意」という日本語訳が定着している。雑駁 (注3)に見て、”病“ を抱えて弱い立場にある患者が、どれだけ情報を咀嚼し、場合によってはその十分・不十分や真偽までをも判断し得るのかという論点はあるにせよ、このインフォームド・コンセントが現代医療を支える主要な概念となっていることは間違いない。

 今日の医療は、医療者は「説明をした(十分で正しい情報を与えた)」、患者は「理解をした(同意した。より相応しいニュアンスとしては、納得した)」というインフォームド・コンセントの建前に則って成立している。これにより、治療後、少なくとも患者が「納得が行かない」事態には陥らないよう、システマティックに担保されるのである(事実、過去には、国立国語研究所外来語委員会がインフォームド・コンセントの訳語に「納得診療」を提案したこともある)。

 冒頭、1997年時点で筆者が「三種の神器」の番外にインフォームド・コンセントを上げていたことを記したが、この年、日本では医療法が改正され、初めて「医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない」(第一条の四の2)との条文が加わっている。この時期、インフォームド・コンセントの重要性が増すにあたっては、いわゆる「薬害エイズ」の教訓――非加熱製剤の使用にあたり、患者はリスクに関する適切な説明を十分に与えられていなかったこと、あるいは、患者の意向を十分尊重せずに治療が進められていたことへの反省――も一定程度影響していたのではなかろうか。


(注1) Quality of Life : 生活の質。
(注2) 理論や判断に間違いがないこと。
(注3) 雑然として統一がないこと。

 

続きを読む

※発行から5年が経過しましたので、どなたでもご覧いただけます。

賛助会員の申し込みはこちら