寄稿2 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

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寄稿2

「凝固因子製剤の回収問題から考える薬事行政の課題について」

特定非営利活動法人 ネットワーク医療と人権 理事
厚生労働省 薬事・食品衛生審議会 血液事業部会 運営委員会 委員
花井 十伍

(前頁からの続き)

回収は企業の自主的な行為

 医薬品は極めて特殊な商品である。医薬品のほとんどは、民間の株式会社等が製造販売を行っているが、通常の商品と異なり、人の身体・生命に重大な影響を及ぼす可能性があるとともに、その使用にあたっては専門的知識を要することから、製造・販売・流通・使用に関して、国によるさまざまな規制が行われている。こうした規制は主に「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(薬機法)」によるものであるが、医薬品は医療制度と密接なかかわりを有しており、医療に関するさまざまな制度ともかかわりも持つことになる。薬機法は主に医薬品の製造販売者等を規制する法律であるが、とりわけ強い権限として、製造販売業の許可取り消しや問題のある医薬品の回収命令などが規定されている。前者は、医薬品製造販売業者としての営業存続が不可能になる処分であり、極めて重大な違反行為がなければ行使されない。後者についても、対象となる医薬品が市場に流通している状況そのものを是正するものであるから、自主的な回収に任せていては、当該医薬品によって重大な健康被害の発生を防げない可能性のある場合などに発せられることになる(しかし、むしろ実態は製薬企業が承認を受けた医薬品でこうした回収命令が発せられた例はなく、最初から無許可、未承認のものが販売された違法行為について、とりわけ強い処分として行使されてきた)。

 一方で、一度市場に出荷された医薬品が回収される例は比較的多い。特に輸血用血液製剤のような特殊な医薬品は、同一供血者が後日献血をする折の検査結果によって、過去の供血血液のリスクが判明する場合があるため、かなり頻繁に回収が行われている。しかしながら、これら人体へのリスクが比較的高い回収であっても、国の回収命令によってではなく、企業の自主的な回収として行われている。薬事行政は基本的に規制行政であって、医薬品という商品の有効性・安全性・品質を確保する一義的責任は製造販売業者が有している。そして、薬機法は、製造販売業者がこれら一義的責任を全うするに必要な基準を定め、この基準が遵守されるべく監視可能な国の権限を定めており、製薬企業が自主的に諸対策実行することを基本としている。医薬品製造販売業者が医薬品を販売するためには、当該医薬品の有効性・安全性を確認できるデーターをそろえて、国に承認申請を行い、国は有効性や安全性、製造方法や規格、適用、用法用量等を確認し承認する。一方、新しい医薬品が保険診療で使用可能か否かという決定は、保険行政にかかわる問題であり、別途「薬価」とよばれる公定価格が定められ、中央社会保険医療協議会で保険収載の可否を判断する。しかし、日本では、殆ど全ての新薬は速やかに薬価収載され、保険診療に供されてきた。こうした事情は、法によって義務化されている訳では無く、近年は高額な医薬品の保険診療上の取り扱いが議論されるようにもなってきている。

情報化社会における制度的不備

 今回のバイエル薬品による回収も自主回収であって、回収時点においての製品は規格内に収まっているものの、有効期限内に規格から外れる可能性があるロットを全て回収すると説明されている。結果論的に言えば、今回回収対象となったロットの製剤は、有効期限近くまで保管して使用すれば、本来の有効性が期待できない可能性があったものの、比較的早期に使用する限りは、安全性、有効性に問題なかったと評価して差し支えないものと思われる。しかしながら、先の運営委員会において参考人が疑問を表明したように、今回のこれらの顛末は、一部の医師や患者の当惑と混乱、当該製薬企業や国に対する不信感をもたらすことになった。

 まず、何よりも、この製品はアメリカで製造されたものが世界中に輸出されているグローバル商品であり、アメリカにおける回収情報が、インターネットによって公開されることによって、すぐさま世界中の関係者が知る事ができたことから、日本においてメーカーや国の対応以前に日本で流通する製品に対する疑義が生じた。90年代以前であれば、おそらく製薬企業と国が調整した結果が製薬企業より医師に伝えられ、医師は安全上問題ないことを患者に説明し、患者も医師に安全上問題ないと伝えられれば患者はそれほど問題視せずに使用を継続したのではないだろうか。もちろんこの議論は一般論であって、血友病の世界の事に限れば、この時期こそ「薬害エイズ」のただ中のことで、HIV の問題に翻弄されていた時期である。しかしながら、まさに当時、今述べた構造があったからこそ「薬害エイズ」被害が拡大したのであって、HIV感染リスクの高い製剤が市場に存在していても、医師が処方せんを書かない、薬剤師が調剤しない、患者が使わないという関門を易々と通過した理由は、情報の不均衡やパターナリズムの問題があったことは否定できないであろう。

 今回のケースにおいて規制当局が、合衆国で回収されたロットと同一のものが日本国内に輸入されていることを認識しつつも、すぐに回収指導を行わず、参考品の試験を命じ、その後メーカーの「様子見」を追認し、9月21日にメーカーが自主回収を決断するまで待ったことについては、一定程度の合理的な行政判断として、必ずしも問題があったとは言えないと考える。しかしインターネットが普及した現在において、回収決定までの2 ヶ月間にすでに医師も患者も合衆国での回収情報にアクセス可能であり、医師は患者から不安の声があがれば、製剤の安全性や有効性について説明を余儀なくされる状況が生じた。この時点では、製薬企業からも詳細な説明が医師等にされた訳ではなかったが、少なくとも力価が早めに低下するだけの問題であって、安全性に影響は無いとの説明はされていた。結果として患者からの問い合わせはさほど多くはなかったし、あっても医師の認識は安全性に問題ないとの見解でほぼ一致していたと思われる。この間、患者会もメーカーに直接説明を求めた経緯があったが、制度的にはこうした患者会の活動はあっても、無くとも影響は無いことになっている。あらゆる疾病に患者会が存在するわけではないし、多くの場合は、患者の方が圧倒的に情報弱者であることを前提として制度設計されているためである。薬機法は、医療情報担当者(MR)が医師や薬剤師に行っているような情報提供を患者に直接行うことを禁止している。これは、専門的知識を持たない患者に知識的にも情報的も圧倒的に優位な製薬企業が情報提供を行えば、製薬企業の都合の良いように自社製品の優位性を患者に信じさせることが容易であると考えるからである。したがって、今回の状況において、少なくとも回収が決定されていない時点で、合法的に市場に存在する医薬品にもし、疑問があれば、当局なり、製薬企業に照会して情報を得るのは医療者の仕事であり、その内容に納得がいかなければ、医師は処方しなければ良いのである。また、処方されたとしても、薬剤師が納得いかなければ、調剤(製剤の提供)を行わずに、医師に疑義紹介をすれば良いことになる。したがって、時点時点において医師は患者にインフォームドコンセントを行えば良いのであって、患者は納得できなければ医療機関を変える権利を有している(フリーアクセス)。

 しかし、こうした制度上の形式的説明が現実的であるとは誰も考えないであろう。今回の場合、患者会は、多くの医師よりも詳細な情報をメーカーから取得していたし、製薬企業が医師と患者向けに作成した説明用の文書の内容も、患者会はより詳細に記述するように求めていた。薬剤師に至っては、大半が事の経緯すら理解していなかったであろう。そもそも、医薬分業が推進されている中で、薬局はあらゆる医療機関の処方せんを処理する必要があり、自ら問題を認識して独自に製薬企業や国に問い合わせることは無理がありすぎる。少なくとも、通常薬剤師がアクセスすべき情報の中に患者に説明可能な情報がなくてはならない。結局今回のそれは、製薬企業の用意した説明文書であり、この文書が配布されてはじめて薬剤師は患者への説明が可能となったはずである。とすれば、今回の最初の混乱は今後も不可避であることになる。

求められるのは「連携」と「スピード」

 それではどうすれば良いのか。当局は、最初の段階で回収するよう行政指導するか、メーカーが躊躇すれば回収命令を発出すれば良かったのであろうか・・・・・・そうではない。当局は、最初の段階で、製薬企業に対し可能な限り詳細な情報提供を医療者に行うよう指導し、回収決定の段階で、医薬品医療機器情報配信サービス(PMDAメディナビ)に回収情報と回収理由の詳細を記載すべきだったのである。この対応は、現行制度の範囲で可能だと思われるが、メーカーとのやり取りをPMDAが直接行う方が機敏に対応できるのであれば、法改正が必要となる。本来、薬事行政はここまでで、あとは医師の処方権や薬剤師の調剤権の管轄となるが、高分子医薬品や再生医療等製品など、医師や薬剤師が学んできた専門領域だけでは対応できないような製品が次々と開発されている近年においては、やはり国がそれぞれの医薬品等の使用される現場の状況を十分把握した上で、薬事以外の管轄と連携し、医薬品使用の安全性向上に努める必要があるのではないだろうか。事実、保険行政として医薬品使用のガイドラインを薬事セクションと連携して作成し、保険償還の条件とする例も出てきている。これは、当該医薬品が高価であることが直接の理由であったが、結果として、安全な医薬品使用の標準化に寄与することになるだろう。国も今後益々医療に関連するさまざまなセクションとの連携と対応のスピードが求められることになるだろう。