出版記念シンポジウム 開催報告 第1部-1 | ネットワーク医療と人権 (MARS)

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出版記念シンポジウム 開催報告 第1部-1

『薬害とはなにか-新しい薬害の社会学-』
出版記念シンポジウム 開催報告

第1部 書籍紹介

佐藤 哲彦 Sato Akihiko( 編者、関西学院大学)

 『薬害とはなにか-新しい薬害の社会学』について紹介させていただきます。スライドのように、表紙はいい感じに仕上げていただきました。

 今映しているのは執筆者一覧です。本書は、全員で19 名の執筆者によって作り上げた研究書です。

 内容について説明いたします。本書の目的は、基本的に薬害とは何かについて、主に社会学的な観点から論じたものです。興味深いことに「薬害」は諸外国にはない日本独自の概念・考え方なのです。ということは、実はこの本は世界で初めての薬害に関する社会学の基本テキストと位置付けることができると思います。

 その特徴は何かというところで、もちろんそれぞれの執筆者がそれぞれの領域、あるいは、薬害の種類について論じていますが、共通理解として一つの基礎をここで説明させて頂きます。
 それは何かというと、一般的に薬害というのは「医薬品の健康被害、もしくはそれが社会問題化したもの」という形で知られています。実際に医療系テキストでそのように論じられています。
 しかし私どもは、薬害は単なる健康被害ではないというところを出発点にしています。むしろ薬害とは「医薬品による健康被害」を越えて生活や人生を壊されるという、理不尽な経験を意味するというのが、我々の共通理解であり議論の出発点と考えていただければと思います。
 したがって、その観点からすると、被害あるいは被害経験の社会的・文化的な意味とその経験について多角的に、多声的に考える必要があると思います。それを行ったのがこの本です。そこで本書はそのような観点の合計12 本の論考と10 本のコラムから成り立っています。内容的には三部構成となっており、まず第一部は基礎編、第二部が各論編、第三部が応用編となっています。論考とコラムは三つのパートに分かれて配置されています。
 
 では本書には具体的にどういう話が論じられているのかということを簡単に説明します。基礎編の最初の章は薬害の定義と薬害概念についてです。薬害概念は実は昔からあったわけではなくて、ある特定のプロセスを経て成立したものです。この成立する過程を論じるとともにその概念が実は何を示していたのか、また何を問題にしてきたかということを論じています。特に薬害という一つの言葉が、いくつかの社会的な事象を表すことを論じていて、それが今現在どのようになっているのかという話を明らかにしています。
 第二章が問題の構築プロセスで、薬害を健康被害の補償を求める集合行為とした上で、そこでどのように問題が焦点化されたのかを論じています。特に訴訟によって「薬害被害者」が成立するというプロセスに注意を払って議論を展開しています。
 第三章では、薬害再発防止策が成立する機会や過程を薬事制度や保健医療政策との関係から論じています。特に薬害事件後に法律ができたり制度が変わったりして、それがどのような観点から事件を捉えて、どう変わってきたのかということを具体的に論じています。 
 第四章では、医療の不確実性と薬害について、医療には必然的に不確実性というものが伴うわけで、だとしたら治療を選択する主体が患者さんであれば、もしかしたら薬害が生じないのではないかという議論も存在しますが、実は現在の制度的な状況からすると薬害の成立可能性はなくならないということを論理的に、さらには具体的な事象にもとづいて議論しています。これら四つの章で成り立っているのが第一部基礎編になります。
 第二部の各論編はそれぞれの具体的な薬害事件の概要と、それらの薬害事件に関連して、現在特に中心的に考える必要がある論点について明らかにしています。
 第五章はサリドマイド薬害です。「被害は障害者に対する排除と差別から始まっている」という副題が示しているように、薬害によって生じた障害に対する日本社会の差別とか排除とか、そういったものが薬害経験の中心であったという角度からこれを論じています。
 第六章は、「薬害スモン──病んでいる社会の発見」です。ここでは1 万人以上の被害者を出した薬害スモンについて論じていますが、これまであまり注目されたことのない医師の責任、つまり処方する主体であった医師の責任の問題について、さらにそれを通して社会の信頼のあり方などを論じています。
 第七章と第八章はいずれも薬害エイズを論じています。第七章は患者あるいは被害者の方を中心として未知なる病の当事者になるという観点で論じています。当時薬害エイズは未知の病であったわけで、そういった病の経験をどのように捉えていたか、あるいは経験してきたかということを論じています。
 第八章は、副題にあるように薬害と医師の経験ということで、マスメディアなどで設定された「薬害エイズ・ストーリー」が、医師を責任のある、問題のある立場に追い込んでいくのですが、しかし当時実際にはどういう経験をしたのかいうことを論じています。
 第九章「薬害肝炎──感染と被害とは必ずしも同義ではない」は、訴訟を成り立たせた原告要件という観点から、感染そのものが被害として成立したわけではないという、薬害を社会学的に考える非常に重要な局面について議論しております。
 第一部・第二部に配置されているコラム「繰返された薬害-薬害エイズの衝撃」と「生まれくる血友病患者たちへ」は二つとも被害者の観点からのコラムになっています。ある種貴重で重要な証言を構成するものと考えています。コラム3 は「ワクチンと薬害」で、コラム4「売血と献血」は薬害エイズや薬害肝炎に関連する血液製剤の問題です。コラム5「陣痛促進剤と医療現場」は陣痛促進剤被害について論じ、コラム6「イレッサ薬害」では抗がん剤のイレッサを取り上げています。コラム7 は「子宮頸がんワクチン」という、有害事象について言及したコラムになっています。
 そしてこれらを踏まえた上で、第三部が展開されています。第三部は応用編です。応用編ということで三つの章から成り立っています。
 まず「薬害根絶への思いと薬害教育」ということで、薬害肝炎の和解事項に従って薬害教育というものが現在成り立っています。それが実は現代社会における道徳教育という機能を担っているという議論を第10 章では展開しています。
 第11 章は「薬害エイズ事件のメディア表象の分析」ということで、特に社会学的には「流用」と言われる観点を使って薬害エイズの非常に有名なメディアについて議論を展開しております。
 最後の第12 章は「制度化からみる薬害と食品公害」です。薬害に非常に近い形で展開しているカネミ油症などの食品公害と薬害との関係や違いが、どのような観点から制度化を可能にしているのかなどについて論じています。
 第三部には3 本のコラムがありまして、まずコラム8 は「薬剤師養成の日英比較と医療安全を支える薬剤師の期待」というタイトルなのですが、実は薬害については薬剤師が関与しているとか、議論の俎上になってくることはほぼないので、そういう観点からこの問題を議論していただいています。コラム9 は「薬害アーカイブズ」ということで、薬害の記録とか記憶というものをどのように活用していくかということを論じています。コラム10 の「薬害調査研究を振り返って」については、後でより具体的に蘭さんからもお話がありますが、ネットワーク医療と人権が中心となって、これまで薬害調査研究をどのように組織してきたかということ、そこで一体どのようなことが起きたのかを簡単に振り返っていただいています。さらに、巻末には年表と参考図書の紹介が加わっています。
 以上、12 本の論考と10 本のコラムによって構成され、今までとは違う、ある意味で初めての薬害研究の本であると私たちは自負しています。トータルな形で社会学的に薬害について議論しているのが今回の本となっています。会場の方には注文書チラシに詳しい目次が書いてありますので、それをご覧になっていただければと思います。私からは以上です。


司会:本郷氏
 佐藤さんどうもありがとうございました。次の基調講演は、伊藤公雄さんにお願いしています。
 現在、伊藤公雄さんは京都産業大学の教授であり、日本社会学会の会長もされています。そして我々の本よりも40 年前に宝月誠さんを編者として出版されている「薬害の社会学」という本の執筆陣にもお名前が連ねられています。
 専門は男性学が中心になりますが、この本の中で「第1章 日本人とクスリ」を担当されているということで、今回あえて強くお願いして、ご登壇頂けることになりました。以前の薬害の社会学から、今回の新しい薬害の社会学へうまくバトンが渡るのかを見ていただけたらと思います。伊藤公雄さんどうぞよろしくお願いいたします。

 

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