「一般用医薬品販売をめぐる冒険」
増山 ゆかり(全国薬害被害者団体連絡協議会)
<筆者紹介>
サリドマイド薬禍の被害者。
財団法人いしずえの事業部長としてサリドマイド再承認問題など、主に対外的な仕事に取り組む。
<参考>
厚生科学審議会医薬品販売制度改正検討部会委員(H16.5~H18.5)
登録販売者試験実施ガイドライン作成検討会委員(H19.2~6)
医薬品の販売等に係る体制及び環境整備に関する検討会委員(H20.2~7)
サリドマイド被害の再発防止のための安全管理に関する検討会委員(H20.8~9)
医薬品新販売制度の円滑施行に関する検討会委員(H21.2~6)
独立行政法人医薬品医療機器総合機構運営評議会
審査・安全業務委員会(H22.10~H23.9)
救済業務委員会(H21.10 ~ H22.9)
行政刷新会議規制仕分け参考人(H21.3.6)
はじめに
1960年、「国民皆保険」を基本にした、健康保険制度を稼働させるために新しい薬事法が施行された。当時、戦後の混乱社会の中で粗悪品が横行し、たびたび薬禍を引き起こすなど問題が山積し、事態を収拾し近代国家に相応しい医療行政として、誰もが等しく病院で治療を受けることを目指し、現行の薬事法が制定されたのである。しかし、時すでに遅かりしということだったのか、このとき日本で最初に薬害事件と呼ばれたサリドマイド薬禍は被害のピークを迎えようとしていた。腕を失った子供たちを前に、多くの人々は一錠の薬がもたらす惨事に目を奪われながら、その後もスモン、エイズと薬害は続き、裁判で問題が指摘されるたびに安全性が見直され、薬事法は改正を重ねてきた。
2001年小泉政権下で、行政を見直し無駄をなくして経済を活性化するという「規制緩和政策」が打ち出され、聖域なき規制緩和の大合唱の中で、医療行政も例外ではないとして、薬事法の見直しが本格的に始まっていく。薬事法は、行先不明の片道切符を持たされ、長い迷走の旅に出ることを余儀なくされた。
医療財政逼迫と経済活性化のはざまで
2002年6月、厚労省に設置された一般用医薬品承認審査合理化等検討会は、4回の検討を経て中間報告をまとめた。報告書の表紙には、「セルフメディケーションにおける一般用医薬品のあり方について ~求められ、信頼され、安心して使用できる一般用医薬品であるために~」と書かれていた。
これまで薬事法上で、医療用医薬品と一般用医薬品の区別はなかったのだが、報告書で初めて一般用医薬品とは何かという定義を記載した。報告書より抜粋すると、「一般の人が、薬剤師等から提供された適切な情報に基づき、自らの判断で購入し、自らの責任で使用する医薬品であって、軽度な疾病に伴う症状の改善、生活習慣病等の疾病に伴う症状発現の予防、生活の質の改善・向上、健康状態の自己検査、健康の維持・増進、その他保健衛生を目的とするもの」とある。
国民の多様化した健康不安へのニーズに応えるために、消費者自らが一般用医薬品を簡便に活用することで治療を行うセルフメディケーションが提唱された。薬事行政に係る規制緩和推進の声に、消費者の利便性を確保することが、健康増進に繋がるという筋立ては、ここに端を発している。セルフメディケーションを推進することで、潜在的な需要を掘り起こし経済を活性化させ、国民健康保険制度による医療費の財政逼迫を解消するという、経済界にとっても政府にとっても「おいしいとこ取りのプラン」だったに違いない。しかし、それぞれの思惑の違いから、あちらこちらからの風に煽られていくこととなった。
ほころびだらけの医薬品販売体制
2004年5月、厚生科学審議会に一般用医薬品販売制度検討部会が設置され、異例の23回という長い審議を経て取りまとめが行われ、2006年6月に通常国会第69号議案として提出され賛成多数で可決された。しかし、新制度の移行のための3年間の経過措置を待たず、規制緩和が不十分であるという声に押され、2009年2月には医薬品新販売制度の円滑施行に関する検討会が新たに設置され、インターネットの利用などで一層の利便性の向上を迫られることになる。
一般用医薬品販売のあり方は、本格的に薬事行政への見直しが始まった2002年以降、軽微な病気の治療は自らの知恵や努力で維持するというセルフメディケーション導入という方針を明確にした。医療費の抑制などからセルフメディケーションを行う必要性は理解できるが、その決定に至るプロセスの中に、消費者の安全性をどう担保するのかという議論が十分にされた痕跡がない。回復や改善などを願って服用する医薬品には、一般用医薬品であっても副作用は避けられないというリスクがある以上、リスクを最小化するための専門家のサポートなしでは成立しない。
専門家へのアクセスを容易にし、相談や情報提供のための環境整備は必須になってくる。これまでのセルフメディケーションを前提としてこなかった販売体制では、販売環境の不十分さは否めず、新たな仕組みに対応した制度設計が必要だという結論に改正検討部会は達したはずだった。しかし、薬が売れることで利益を得るというポジションにいる業界関係者に、消費者の安全性を全面的にゆだねることができる体制作りは限界があるのかも知れない。原則は対面販売でいく、という合意は取れたものの、専門家の常時配置や情報提供のあり方など詰めの作業は難航した。結局、配置薬など旧体制を維持することとなり、新体制移行への足並みは揃わなかった。
こういった小さな幾つもの”ほころび”が、現在の安全性や利便性の議論を蒸し返すことに繋がっていると私は思う。
規制緩和の名の下に
この一年も一般用医薬品をめぐる動きは激しかった。
2000年に制定された高度情報通信ネットワーク社会形成基本法に基づき、高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT戦略本部)が翌年に内閣に設置された。そして2010年10月、IT戦略本部は新たに内閣に情報通信技術の利活用を阻むような規制・制度・慣行、サービスの仕組みそのものの在り方や運用等の洗い出しを行い、国民にとって利益となる形で抜本的に見直すために必要な調査を行うとして「情報通信技術利活用のための規制・制度改革に関する専門調査会」を設置。調査会が2011年1月に提出した中間報告で、検討すべき項目に一般用医薬品のインターネット等販売規制の見直しが加えられた。医薬品の購入においてインターネットの活用について不十分であるとし、ネットに係る規制を見直す必要があると指摘し、最終的にはインターネット販売緩和に向け、3月には具体的な提言を行うとした。
ここで対処方針の方向性が示されると、省庁での議論を経ることなく閣議にかけられ、閣議決定すれば覆すことは難しいという見方が広まった。
性急な結論を避けるために、全国薬害被害者団体、消費者団体等は「一般用医薬品のインターネット販売に関して、規制緩和に反対する意見書」を内閣総理大臣等に宛て提出した。しかし、これに応酬するかのように、行政刷新会議は国の規制が国民生活や企業活動を妨げていないか見直しを行う「規制仕分け」の対象とすることが決まった。
利便性より安全性
再び規制緩和派に大きく水を開けられた対面販売派だったが、2011年1月に長崎薬剤師会が中心になり学会で発表した「離島における一般用医薬品のインターネット購入に関する意識調査 -インターネットを使用する居住者を対象として-」という調査報告書で劣勢を挽回する。
この調査では、本土に直接的な移動手段がない点在する離島を含め、長崎県五島市に住む人々から無作為に抽出した3819人を対象に、一般用医薬品のインターネット購入に関する実態調査を行ったもので、有効回答数は825件であった。そもそもインターネット利用率が全国平均の1/5と低く、安全に不安があるとしてインターネットを使用した医薬品購入がされていないという調査結果に注目が集まった。これまでのインターネットでの医薬品購入状況について把握するものがなかったが、この調査によって離島に住む人々がネットでの購入状況が把握できたことの意味は大きかった。
3月1日、自由民主党において12月に続いて第2回目の厚生労働部会「薬事に関する小委員会」が開催された。この小委員会は自由民主党本部において政務調査会・厚生労働部会のもとに設置され、政務調査会副会長の田村憲久衆議院議員が部会長を勤め、この日は約40名の国会議員が参加し、厚生労働省や日本薬剤師会並びに日本薬剤師連盟からヒアリングを行い、ネット規制や調剤基本料の一元化について行政刷新会議を牽制する意見が相次ぎ出された。
3月4日、参議院議員会館会議室において民主党議員有志60名が参加し、安心・安全な薬とサプリメントを考える議員連盟設立総会が開催された。発起人に原口一博前総務相や松原仁衆院議員らで、連盟の会長は樽床伸二衆議院議員が就任し、最高顧問には鳩山由紀夫前首相、三井辨雄国土交通副大臣や平野博文元官房長官、川端達夫元文科大臣が顧問に民主党の重鎮らが名を連ね、議場で「一般用医薬品のインターネット等販売の規制緩和について、慎重な対応を求める」とする行政刷新会議に対する意見書が採択された。全国薬害被害者団体連絡協議会やSJS患者会、市民団体、消費者団体などが参加し、「安全性より利便性を優先させる一般用医薬品のインターネット等販売規制緩和に反対します」という意見書を提出し、午後からは品川フロントビルにおいて約400名が参加して緊急フォーラム「なぜ薬は対面販売されるのか -ネットで安全は買えるのか-」を開催した。総合司会は花井十伍氏が務め、溝口秀明東京女子医大名誉教授、阿南久全国消費者団体連絡協議会事務局長、湯浅和恵SJS患者会代表に増山が加わり4名がパネラーを務めた。
政局に踊らされた医薬品のネット販売
蓮舫行政刷新担当相をトップに据える行政刷新会議は、3月6、7日の二日間にわたり五反田TOCにおいて規制仕分を行った。行政刷新会議から推薦を受けた伝統薬の参考人と厚生労働省から推薦を受けた全国薬害被害者団体連絡協議会から増山が参考人として出席し、厚労省の概要説明の後にそれぞれの参考人は意見陳述を行い質疑応答に応じた。この日、前原外務大臣の辞任と重なり報道は少なかったが、会場はテレビカメラや記者たちが大勢詰めかけ熱気を帯びていた。前回の事業仕分けは個々の事業に対して評価したが、今回の規制仕分けそのものが問題を棚上げしたまま、規制緩和を進めようとする方法こそ仕分けの対象にするべきだと皮肉る声も多く、そもそも行政刷新会議に法律や制度を撤廃できる法的根拠はあるのかと、実効性に懐疑的な意見も多く聞かれた。
最後のとりまとめは「安全性を確保する具体的な要件の設定を前提に、第三類医薬品以外についても、薬局・薬店による郵便等販売の可能性を検討する」という方向性を示すにとどまった。民主党内での意見も割れており、これ以上は無理があると感じているようにも思えた。
6月15日、全国薬害被害者団体連絡協議会、全国消費者団体連絡会、日本薬剤師会の団体代表は、内閣総理大臣が本部長を務める高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部の専門調査会が提言する「一般用医薬品のインターネット等販売規制の緩和」に反対する署名(540,278筆)結果を、菅直人内閣総理大臣、細川律夫厚生労働大臣、蓮舫特命担当大臣(行政刷新・消費者担当)、及び民主党の「安心・安全な薬とサプリメントを考える議員連盟」へ報告し、あらためて規制緩和を行わないよう要望した。この時期、総理が震災への対応に一定のメドがつけば退陣するという意向を表明したと紙面を賑わしていた。何処に行っても関心は今後の政局にあるようで、「菅さんは、後ひと月の人だから」とか「蓮舫特命担当大臣から相談もなく進めている話」など、たわいのない議員同士の挨拶が興味深かった。特に印象に残ったのは、官邸で総理の代わりに対応した仙谷副長官は、弁護士時代に副作用で死亡した事例に関わり、薬害についていろいろ調べ、薬の怖さをよく知っているので、皆さんの要求はもっともだと思うと熱く語った。
8月3日、高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部は、情報通信技術利活用のための規制・制度改革に関する専門調査会の36項目に及ぶ提言を受け、情報通信技術利活用のための規制・制度改革に係る対処方針を示した。
一般用医薬品のインターネット等販売規制の見直しについて、以下のように①から⑤の対処方針が示された。
以下、高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部のホームページより抜粋。
「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(第55回)(H23.8.3)」
資料3:「情報通信技術利活用のための規制・制度改革の対処方針(案)」より抜粋。
【36】 一般用医薬品のインターネット等販売規制の見直し
・ 厚生労働省は、以下の対応を実施する。
①安全性を確保する具体的な要件の設定を前提に、第三類医薬品以外の薬局・薬店による郵便等販売、及びその他の工夫も含め、当面の合理的な規制の在り方について検討し、可能な限り、早期に結論を得る。<平成23年度検討開始>
②なお、医薬品の販売・流通規制の在り方については、今後の環境変化に対応し、断続的に検討・見直しを行う。<逐次実施>
③第一類から第三類のリスク区分についても、不断の見直しを行う。<逐次実施>
④一般用医薬品を安全・安心・円滑に供給する観点から、薬剤師等の合理的かつ適切な対面販売の実施状況、円滑供給への寄与度等について検証する。<平成23年度検討開始>
⑤経過措置期間中の副作用発生状況等を検証し、上記②の断続的な検討・見直しの内容に反映する。<平成23年度以降検討開始>
まとめ
示された対処方針をみるかぎり、旅の終わりは近いかもしれない。基本的に検討・見直しを約束させられただけで、平成23年度内に省内で見直しを行うという対応であればハードルは高くない。民主党の政権基盤が脆弱な今は、冒険はできないということだろうと推察する。